体の使い方をどうこうすることで、声が出るのではないのです。声が作品の素、ツールとしたら、それはすでに体に一体化している。声は体なのですから単体として扱っても仕方ないのです。
荷物や他人を背負うのと我が子を背負うのとの重さの違いを考えてみましょう。同じ20キロとしても、かなり実感は違うはずです。愛情の深さで重さは大きく変わるといえばよいのでしょうか。
子共は、寝たら重くなる。起きている体は、バランスをとって動くので軽いでしょう。自転車の後ろに乗せてもわかることでしょう。これらを実際の重量だけで判断するのは愚かなことでしょう。
感じる重さと測った重量は違うのです。声や耳の世界は、事実と異なることがたくさんあります。計量より感覚に基づきます。科学的より想像的であるべきです。
生きていること、連がっていること、関係と深さです。
自らのなかに取り込むこと、荷物でないから人の声はすでに取り込まれ、体と一つになっています。それを外側から取り扱い、仕様に沿って動かそうとするのは、よいアプローチではありません。