鍛錬することで鈍感になってはいけない。これは、体や声にはまることへの注意です。しかし、恐る恐る接するくらいなら、とことん鈍に浸るのもよいでしょう。そこから抜け出さない、抜け出せないなら、それだけのものだったということです。
教えることで、相手を鈍感にしていく例はよくみられます。教えないことが相手を鋭くしていくのと反対に、です。きっと教わるがために鈍くなる方が多いのです。本人がよければそこまでなのです。それ以上のものを感じられるようになるのかということです。
なかには、甘え、理屈や言い訳ばかりがうまくなっていく人もいます。周りの影響は大きいです。
できる人は狐として群れない。ということで、鈍くなるのを防いでいます。組織化すると、どこでも群れたがる人が主流派になります。不毛な集団化ですが、多勢に加わると安心する人が少なくないのです。人数が多いのはパワーにみえます。可能性は高まりますが、大抵は何も生み出さず終わります。同じようなメンバーを結びつけようとする力が強いからです。それも周りの人とうまくやっていける才能と言えなくもありません。このあたりが、本当の意味でのセンスが問われているということころでしょう。