高い声に届かせようと、あてようとするとあたりません。あたっても、大してよいものではないのです。魅力的な声でも、表現できるキャパシティのある声でもないからです。カラオケなら届けば充分です。
ただ、あたればよい、あたったら次にいけるように考えるのが違うのです。それは、高い声コンクールとか、大声大会の目的にしかなりません。あてるのでなく、あたる、いや景品狙いの射的ではないのですから、あてるというイメージもどうなのでしょう。響かせるとか、届かせるとかも、あまり使いたくないことばです。
要は、部分的で意識的であるトレーニングだからこそ、意識的にセットをしたあとは、できるだけそうならないようにすることが大切です。その意図を切るのです。より深く絞り込むことで、部分的なところへの意識を解放するのです。