プロしかできないこと、それが声に基づくもの以外になってしまったのです。アイドルやコミックバンドなどのようにです。もちろん、亜流はいつの世にもあってもよいでしょうが、それは、本流があってこそ存在できたのです。
作詞作曲、演奏、ステージパフォーマンス(ダンスなど)はハイレベルになりました。目の肥えた日本人の客にわかりやすいからです。
声が大きいというのが、プロになれる条件ではありません。それは、器の一要素です。条件はむしろ声質、音色、歌やせりふならフレーズ、そこでのオリジナリティです。
歌というのは「自分の声」「ことば」で、オリジナルのように思われてしまいます。それで、通じてきたつけが出てきたのです。プロの楽器奏者レベルの確かな音色(タッチ)とフレーズ(自分の音、音の流れ)のある音楽になっていないなら、その歌が国や時代を超えられるわけはありません。ブロードウエイやグラミー賞と別に、欧米の基準を絶対にしたくないので、それをみないとしても、中国、韓国、インド、アフリカなどにも敵わないのが現実です。