人が変わることは、ハイリスクです。場合によっては命にかかわります。表面の動きのよさと裏腹に、内面は、あせりとゆとりとのくり返し、ということもあります。
レッスンを受けるためでなく、話を聞いてもらいに会いに来る人もいらっしゃいます。そういうときは、すぐに解決を目的にしなくてもよい、と思っています。少しでも深く探っていくのです。自分への信仰心のようなもので表向きの悩みを絶つのです。自信とは違いますが、自己肯定感のようなものです。
人は、とことん困らないと悩まないものです。また、古い観念を壊すのは難儀なものです。
トレーナーが守ってあげるから安心して壊せと言っても壊さないでしょう。でも変わりたい、変えたいからいらっしゃるのです。そこでトレーナーが壊そうとしたら、守ろうとするでしょう。それでは何のためかわかりません。
ですから、待つしかないのです。これでよいのか、このレッスンでよいのか、と問いながら、本当は、こんなものを求めているのではないのではと、疑問を深く投げかけながら…。本人も気づいていないことを明らかにしていきます。
心身での組み換えは、相当に若くタフでなくては耐えられないはずです。共倒れをしてよいのがというと、否です。でも、引きあげなくてもしぜんとよくなります。
レッスンでは、自分の見方のバイアスを知ることが大切でしょう。私は、質問に答える前に、相手のスタンスや考え方がみえてくるようになるのを待ちます。