本質について語る資格があるのかとは、いつも自問することです。そういえば、私が、本物とか、本当とか、本質とかを、現場で、ことばとして使うことはあまりありません。私に接した人は何千人かいるでしょう。ビジネスマン相手に「感性」論として、本質の把握を話したことがあります。そのとき以外に、こういうワードが使われた覚えのある人はいないと思います。
本物というのも、「あの人は本物だ」とか、「あの芸(作品)は本物だ」と、他人が勝手に祭り上げていくのです。「私が本物です」などと言うのは、流行したTVの番組か、戦後、現れた自称天皇とか皇族とかいった偽物か、真犯人くらいでしょう。
トレーニングにおいて、いえ、教育や勉強など、意識的に学ぶことや他人に対して働きかけるときに、効果を出したいと欲するのなら、目先でなく長期的にみて大きな効果をと願うなら、結果として本質をつかんでいくことが大切になります。