自己防御機能がすぐに働いて、守りに入ってしまい、いつまでも変わらない人がいます。例えば、よい人にみられたい、そう振舞う、それは悪いことではないのです。しかし、そのため、言い訳で正当化したり、ごまかしが起きてしまうようになるのです。婉曲や逃避や、まねることや同化、責任転嫁が知らずと起きてしまいます。
自己のイメージにつじつまを合わせるためにそうしていると、いつの間にか、本当の私というのを別につくることになりかねません。創るのは創造、創造物ですから、別の自分でよいのです。
「どうしようもないわたしが歩いてゐる」(種田山頭火)