人は言語がわからなくても、歌に感動します。来日したアーティストたちが、その日にルビをふって、ほとんど初めての日本語で歌った歌にも感動したこともあります。
ことばも、風土も、すべてを備えた人が歌うことがふさわしいのは確かですから、バックグランドを学ばなくてよいとは思いません。しかし、バックグランドというものは、学べるものでないとも思います。
向うの国に行き、向うの国の人になり切るというのが、従来の学び方でした。それは向うで生まれて育った人に比べると、あまりにハンディが大きすぎます。圧倒的に不利な勝負ゆえ、成し遂げられた人は純粋にすごいと思います。
一方で、ネイティブレベルに発音がよくなった日本人の歌手の英語曲を聞くにつれ、疑問が出てきました。昔、カタカナのようにしか歌えなかった日本人のプロ歌手と比べ、失ったものの方が多いと思うからです。
どちらを優先とするか、どちらが本質かということです。模倣、再現か、創造表現かということです。発音、ピッチはよくなって、表現力、声力、オリジナリティ、個性、パワーはどうなったのでしょうか。