応援でもよい、デモでもよいでしょう。声を使うこと、使う場をみつけてください。行き過ぎると暴力をも引き起こすし、そのまま暴力となりかねないのも声の力です。とはいえ、そのパワーのレベルは落ちてきています。特に日本では顕著です。50年前なら、会社の上司の多くは、今でいうパワハラで訴えられたことでしょう。
声の能力でパワーについて、私は、歴史的といっても、ここ50年、国際的といっても中国や韓国との比較だけでも充分なほど、日本の特別な状況を前提にしては述べざるをえなくなったのです。
声の力という、人としての基本的な能力の欠如に気づいていないこと、悩むだけならよいのですが、それが問題にも上がってこないのは、大変な問題です。