「今ここ」に専念することで「いつかどこか」に行くのです。「今ここ」より、「いつかどこか」がよくなければ不幸ではあります。「いつかどこか」を追いかけるために「今ここ」に、青い鳥を感じることなのです。
非日常に憧れて日常を離れても、自分が変わらないのなら、どこもかも日常になっていくのです。日常のなかで非日常にワープできる人だけが、どこへでも自由に行けるし、いつでも自由になれるのです。女性はそれを男性に、旅人に求め、待ったという時代もありました。今は、逆転しつつあるように思います。ワープのために孤独になるのです。