日本人ヴォーカリストが優先するのは、時間です。パワーを捨てます。海外ではパワーを捨てたらファンも離れますからパワー優先です。
となると、日本なら8割潰れて2割しか残りません。向うは8割以上残ります。最大の違いは、パワーをセーブすると器も小さくなり、パワーを保っていると器も大きくなるということです。
この根本的な差の原因は、客の確かな耳とアーティストへの厳しさです。
彼らは日常レベルで歌っているので、日常がハードになればそこがヴォイトレになっていくのです。日本人は日常レベルで声量声域も使わない、使えないところで歌っているので、非日常がハードに続くと壊すということです。彼らの日常の声のパワーは、私たちの非日常的に高めた声のパワーと同じかそれ以上だということです。
私は、彼ら外国人日常の声(言語生活)は、日本ではかつての役者の養成所での声(せりふ)であると述べてきました。それゆえ、舞台=役者の心身をつくって歌わなくては、というのが、私のヴォイトレであったのです。「歌やせりふのレベルを日常化し、そこまでを鍛える」というのが私の目指すヴォイトレだったのです。つまりは、バッテリーの容量を大きくすることでした。それしか根本的な解決はないのです。