察するという風習は、日本人の特色の一つですが、私たちだけでなく、どこの国の人も察して行動しているのです。これは配慮の深さで、KYや忖度と直結します。
ただ、日本の場合、言われないのをゼロとして、言挙げするとマイナスになります。言われないで察するほど、有能に見なされることが徹底されています。
つまり、言ってしまったり確認してしまったりすると、マイナスになりかねないのです。しかも、それを誰もことばに出しては教えてくれないことが多いのです。
察することが求められている、いや、当然とされ、義務化されているのです。それは口頭でのやり取りが信頼されず、自分の意見を言わないし、言ったリスクを取りたがらないことに結び付いています。