与えられた声をどう使うのか。それに何が足らないのか、それをどう補うのか。そうした当たり前のプロセスを経ないヴォイトレが目立ってきたように思います。
最初に先生がいて、教え方があって、教材があって、値段があって、それで手に入る、おかしいと思いませんか。そういう声って、どんなものでしょう。
「正しい先生」の「正しい教え方」が、あなたと離れたところに確立していたら、それはインスタント食品のようなものです。誰でも同じものが手に入る、便利で手軽で助かる、それだけのものです。
声があって、身につくプロセスがあり、それを経て身についていくのです。インスタントにできるのは、インスタントな声です。