私のことばに専門用語が少ないのは、机上の学問ではないからです。そうした議論に関心がないのは、これまで述べてきた通りです。
語れないものを語っています。それは、答えではなく、問うことが必要だからです。
いろんな先生の声の教科書として、多くのものが出ています。そうしたもので知ることもよいとは思うのです。 でも、それがなくとも、それを知らなくても、いや、そういうものからもっとも縁遠いところに、一流のアーティストも歌手や役者も出ている事実を忘れないことです。
それよりも、自分とは、自分の声とは、自分の声の可能性とは、を問うことです。その上で、なぜ声なのか、なぜヴォイトレなのかを知るのです。