レッスン、トレーニングでも同じです。
相手やトレーナーが介在すると、すでに特別な状況となるのです。
「あいまいで確定できず絶対的でない」ゆえに、しぜんに捉えておく方が「絶対に正しいもの」などを追求するよりも現実的で真理なのです。
自分=人を自然の外においてみることができないように、トレーニングも自分を外において客観的、絶対的など求めても無理なのです。
それゆえ、私は、これまで「トレーニングは各論(個人・特殊)であって、総論で問うても無意味」とくり返してきました。
物質が粒子でありつつ波動であるのなら、ものごとも常に揺らいでいるのです。その加減をよきように整えるのです。いい加減とは、言い得て妙なことばです。