夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

トレーナーの条件に日本語教師を例に

 日本語を外国人に教えられると思うのですが、相手の母語国語についての知識がないと効率が悪いもです。日本語教師は必ず、日本語だけでなく、相手の母語との音声での比較を学びます。

 ヴォイストレーナーにおいても、自分がしゃべれる、話せる、歌えるだけでは足りません。相手がどういう状態かを知り、それと自分とを比べるだけでなく、ここがポイントで難しいのですが、相手の理想像をセットしてのアプローチが必要となります。それには多くの経験を他の人の心身を通じて積んでおくことです。

 

 日本語教師

 a:日本語

 b:相手の母語

 aとbの比較

を埋めるトレーニン

 

 ヴォイストレーナー

 a:自分の声と心身

 b:相手の声と心身

 aとbの比較

それに加えて

 c:いろんな人の声と心身

 aとbとcの比較

 d:相手の理想イメージ

 bとdの比較

 e:自分(トレーナー)の理想イメージ

bと(aとcとd)から導いたeの比較

 そのギャップを埋めるトレーニン

知識だけでない分、このように複雑なのです。

プロの条件

 歌手も役者も、出口は、表現力となります。そこで歌手は音楽の、役者は演技の振り、しぐさや表情といった、プロを目指さなくてはいけません。素人であってもプロ以上のプロ、役者以上の役者もいるので、いくつか定義してみます。

 

 プロであるには「プロみたい」「歌手みたい」「役者だね」といわれるようではだめです。最低の条件として、

1.いつでもどこでも(いろんな制約下で)最高のパフォーマンスができる。

2.不調のときにも、最低限許されるレベルより上で演じられる。

 そこでは応用性と再現性の2つが徹底して問われます。

 心身の能力が高いことがそれを支えます。感性や視野の広いこと、即興性も必要です。考え方や振る舞い方もプロでないと、務まらないわけです。非日常において日常であることができることはそういうことです。

 ですから、レッスンもトレーニングも非日常でセットしないとよくないのです。日常で、非日常なことをするのは、奇人です。プロは、日常と非日常を自由に行き来します。日常を一瞬で非日常化する力をもつのです。

 状況対応力は、プロの条件です。状況打破力は、一流への道、いつでも現状を自分で変えられる人、つくれる人だけが、生涯のプロ=一流となれるのです。その状況を指して、その人の世界というのです。

 

 日本語について、私たちは日本語を大して努力せずに話しています。多くの場合、音声で放送したり演じるレベルには磨かれていないので、トレーニングが必要です。

 その人の今のレベルというのは、それぞれに違います。必要とされるレベル(目標)も、それぞれに違います。

 その2つをはっきりさせます。トレーニングを曖昧にしないためです。アナウンサー、ナレーター、声優なら、目標を表現や演技で、音声で放送できるレベルに設定します。

 

歌手、役者の特異性~学ぶべきものの専門範囲がない

 ヴォイトレとして似ているものとして、話し(方)、語学(日本語、外国語)に関わる人、プレイヤー、役者、歌手、声優、アナウンサーなどで例をとります。

 たとえば、アナウンサーや声優は、2年くらいの養成所(スクールなど)での勉強の期間が必要でしょう。私どもも、滑舌や早口ことばを実習に入れますが、これは彼らの得意とするものです(つまり、きちんと習って身につけてきている)。普通の人なら2年くらいかかります。普段の生活にはない特殊な技術の一つです。いつも早口ではっきりとしゃべっている人のなかには、労せずマスターできる人もいるかもしれません。技術として、日常では個人差が大きいものの一つでしょう。

1.高低アクセント

2.イントネーション

も、標準語としての日本語(共通語)として教わりマスターします。方言は直さなくてはなりません。報道、放送のための共通のルールです。

 それに対して、歌手、役者はあまりスクールのようなところに行きません。実生活のなかでスキルを得てきます。他の人よりもおしなべて高い、感性、感覚と声の調整能力があると考えられるでしょう。

 研究所にくると、プロ歌手なのに音程、リズムから徹底して基礎をやらなくてはいけない人もいます。楽譜が読めても読めなくてもプロにはなれますが、耳・声のプロセスは、欠かすことはできません。

 

 レッスンとなると、「レッスン=トレーニングで上達する」というプロセスを歩ませますから、「楽譜を読めるように」とか、「楽器が弾けるように」というのを加えることがあります。音楽の世界で長くやっていきたい人なら効果的です。これまで入れていなかったから、入れることで大きく上達するからです。変わる可能性があればやるに値するのです。

歌手の新分類

 歌手において、プロや職業的歌手ということを、歌で生計を立てているかどうかで問うことの無意味さを述べたことがあります。次のように分けてみるのは、一つの案かと存じます。

1.芸術的歌手(オペラ歌手)

2.総合的歌手(シンガーソングライター)

3.パフォーマンス的歌手

4.役者的歌手

5.タレント的歌手

6.ビジュアル的歌手

7.レコーディング歌手(流し、声優)

8.カヴァー歌手(オールディーズ)

 

 重なるところも多いとは思いますが、その要素は次のようなことです。

1.楽器プレイヤーの演奏レベル

2.作詞・作曲・アレンジ・演奏のトータルレベル

3.振り、アクション、ステージ、ライブ

4.ことば、せりふ、雰囲気、振り、表情、アクター

5.知名度を活かしての歌

6.ルックス、スタイル、ファッションを活かしての歌

7.何でも声でみせられる

8.どこまで似ているか

 7は、耳へ働きかける音の力として1と通じますが、ラジオ、CDに強い人、アニメソングや唱歌の歌手などが代表例です。8は日本のように外国の力(海外の流行のプロデュース)だけで成立してしまう国では、ほとんどのポップス歌手も含まれるといえます。

本当の効果、成果とは

 次のことを覚えておくとよいと思います。

・レッスンにきているとか、レッスンが楽しいとか、レッスンが充実しているということと、本当の効果や成果は同じではないということ。

・自分が出ていると感じている効果と、本当に必要とされる成果は同じではないということ。

 

 目的がレッスンそのものでの快感なら、何もいいません。それが得られているなら、最高によいこと、うらやましい限りのことです。

 声を武器として使いたい、魅力的に使いたいという人には、トレーナーを最大に活かすように使ってほしいし、使えるようになって欲しいのです。心身がリラックスできて発散できれば心地よいという場と、自己修業として能力を高めていく高まり感の必要な場では、違うものということをどこかで気づいて欲しいと思います。

唄えないものを聴く

 私は、トレーナーのわがままを許さないのと同時に、いらっしゃる方のわがままも許しません。スタッフやトレーナーに比べて、私との接点の少ない皆さんの意見や感じ方を知りたいから、何でもいえるように気をつけています。

 トレーナーと合わないと、その人によかれと思ってセッティングしていることを、1回のレッスンで否定されても、何でもすぐに皆さんの望むとおりにすればよいとは思っていません。

 設備やモノについては、利用する人の求めに応じてできるだけ早く改善します。しかし、レッスンは、その人に見えないことを見させていく、気づかないことを気づかせていくためにあるからです。

 

 短期でみて判断すると、長期的にみたときの、より大きな成果を妨げるケースが多いものです。声や話、歌はみえにくい分野であるからなおさらです。

 理不尽なことを我慢しろとか、精神主義的に鍛えるのではありません。本人が自主的に行なわなければ効果半減です。

サービス不本意

 私が毎日のように疑問や提言、クレームを皆さんに求め、それに目を通すのは、その解決がレッスンになると思っているからではありません。生徒にトレーナーやレッスンを評価させているのも、それでトレーナーの評価を決めたり、人気を計っているのではありません。

 教育や医療が市場原理主義で、商取引としてのサービス最優先で捉えるものなら、愛想よくして、その場での充実度、満足度の高い、楽しく楽なお得なレッスンを提供して、ビジネス収益を最大に上げるようにすればよいでしょう。多くの人は、それを正しいと思い、ここにもそれを求める人もいます。

 お客さんはわがままになり、規則を守らない(言った者勝ちのクレームをつける)、整理整頓をしない、失礼なことばを吐く、対価を払わない、ものを乱雑に扱う(こわす、もって帰る)、そういうことが、起きているスタジオやレッスン室もあるようです。

 サービスが最大のことに思われ、ランキングされ、不満やクレームがネットで荒れるようになると、どこの店も同じようなことに気をつけ、マニュアルを厳守していき、似たものになります。サービス業と、教育、医療、芸事は違うということさえ、わからなくなっているのでしょうか。

 

背景と蓄積の力

 研究所は何もないところからから私とその当時のスタッフ、生徒がつくりました。何年もたつと、そこにずっとあるかのように思って、人がきます。ここを、どれだけ多くの人が多くの時間とお金と汗と涙をつぎ込んで維持してきたのかを、わかってもらうのは難しいと思います。

 ロビーに、ここの史料の一部を置いています。私が50ヶ国以上、全国を巡って入手してきたものや、いろんな人からいただいたり、通われた人が残しておかれたものが、飾られています。そういったものこそが、レッスンのバックボーンとして、働きます。レッスンをあなたに活かすための力なのです。

 そういうものがあるところで学ぶのと、きれいなビルのスタジオで学ぶのは、まったく違います。そのようなことに感じられない人が多くなったように思います。

トレーナーについても、そこにバックボーンを感じなければ、大して成果は期待できません。方法メニュなどはいくらでも口移しでコピーできます。本当に世の中で活かせる力にはならないのです。

 伝統は、過去の力ではありません。それをあなたが今、未来へ向かって活かす、そのことによってしか活かされていかないのです。

 研究所も私も、スタッフもトレーナーも、形だけにならないように日々改良し続けています。皆さんから学び続けています。

 皆さんも是非、ここに今おかれた場と機会(トレーナーとレッスン)を利用して、最大限の結果を出していってください。

トレーナーの本当の力

 ときに、とんでもない要求があります。「プロの歌手よりうまく歌ってください」、「プロの役者よりうまくせりふを読んでください」、「アナウンサーよりうまくニュースや早口ことばを読んでください」、などです。

 世の中には、スーパーマンのように何でもできる人もいます。しかし、トレーナーは、スーパーマンではありません。そんなことができるといったら、それぞれのプロの人に失礼なことです。

 そういうプロの人とはトレーニングしていないトレーナーなら、素人相手にのど自慢をするのもよいと思いますが。本当のプロとは、専門の場で長く居つづけた人です。トレーナーはレッスンのプロであり、ステージのプロではありません。

 

 自分の能力や素質、才能などは、わかっているつもりでわかっていないものです。トレーナーも、すぐにはわからないことが多いです。それでも、経験上、10年20年と人をみていると、認識を深めていけます。

 私が続けていられるのは、私の力でなく、私に与えられた機会や場のおかげです。そこで取り組むうちに、私のなかのそういう力が出てきたのです。これも、そのプロセスの一部です。こうして伝えようと努力してきた結果です。

 

 私にとっては、当たり前のことが、世の中の多くの人にわからなくなったのは、中途半端な自己責任、個人主義に走ったためでしょうか。マスメディアや教育やトレーニングの劣化のせいです。学ぶ人もお客さん気分になってしまったからです。トレーナーの歌に感心するくらいなら、なぜ、その人がプロ歌手として、うまくいっていないかを学ぶことが有意義です。プロ歌手とトレーナーは違います。プロ歌手の二流が、トレーナーではないのです。

変わるために変える

 これまで、いろんな人に会いました。欠点が目につく人ほど、それだけ欠点があってやれているのはたいしたものだ、その力の本質は何なのだろうとみてきました。

 いろんなアーティストとつきあってみると、必ずしも、その地位相応に常識やマナーのある人ばかりではありません。自分の世界を創りあげるためには、気を遣い、誰とも仲良くやっているわけにもいかないのでしょう。

 とはいえ、アーティストである限り、作品においては、いかなる制限の下でも、人が期待する以上の力を出してきたから認められてきたのです。

 トレーナーに就くと活かそうとするのです。トレーナーに自分の力を最大つけさせたいように感化せしめていくのです。このまわりの人をとり込み動かす力がなければ、芸も仕事もまともにできません。

 

 あなたの今の力に何かを加えたいのなら、大きく望むほどに、自分を無としましょう。トレーナーのいうことを聞けというのではありません。その向こうにある超越的な何かを感じること、そこに素直になっていくことです。

 トレーナーは、あなたの潜在させている能力を開花させるための技術(方法、メニュ)を与えて、変化させようとしています。あなたが何かできるなら、世の中に問うてください。何かできないなら、できるために、与えられたものに全力で取り組み、本当のあなたの力を出してください。仕事も他のことも同じです。

トレーナー捜し

 トレーナーを探すのは、自分の能力をつけていくためです。どんなトレーナーであれ、あなたがそのトレーナーを最大限に使い、最も大きな成果を求めていくことです。

 すぐに合わないと決めてしまう人は、心の問題です。優れた人は、どのトレーナーにも合うのです。合うなかで、最良の選択をしていけるのです。トレーナーのよいところを取り出し、最大限に活かせるからです。

 トレーナーの悪いところを最大限に見つけるような才能は、愚の骨頂です。自己満足、自己保身でしかありません。変わりたくないなら、一人でやればよいのです。今の自分の肯定をしてもらいたくてトレーナーを探す人、そこで応じる人(トレーナー)、これは、医者とカウンセラーの関係です。芸や仕事の力をつける関係ではありません。

 

 「変わらなければ出会いでない」。変わるチャンスを自分の考えに囚われ、拒んでいるのは、未熟なのです。

 トレーナー探しが、自分探しになってしまいます。自分を見つめずに、トレーナーみてを判断しようと考えていても、仕方ないのです。トレーナーの目を使って自分の検証をすればいいのです。

 どのトレーナーも万能、完全ではありません。すべてのトレーナーがトレーナーとしてあなたにふさわしいとも思いません。私も私自身を誰にも推薦しません。この研究所には、いろんなタイプのトレーナーがいます。

 少なくとも、トレーナーはそれでメシを食ってきたので、そうでない人が学べるものはたくさんあります。

相性とスタート

 まだ何者でもない人は、トレーナーなどを選ばなくてよいと思っています。本人が未熟な経験で選ぶより、私が選ぶほうが結果として適切なはずです。

 でも、あえて自己責任で遠回りをしてみるのも悪くありません。自分にぴったりのトレーナーや歌にめぐり会うには、自分を知らなくてはなりません。それは、すでにある自分ではないのです。そのままで相手に通じる、そんな天才なら、すでに世の中でかなりのことをやっています。

 自分に合う相手や、相手に合う自分が、あるのではないのです。自分を知るために相手に会うのです。会ってから、合うところや合わないところを知って、合わせていくのです。

 ここでは複数のトレーナーにいろんなメニュをセットしています。

 そのバリエーションからあなたの素質や才能、個性や性格が発揮されてくるように、です。

 自分のことは自分だけが知っていて、正しい判断で選べるなどというのは、根拠のない自信です。それで事に当たると、続かなくなります。すべては新しいスタートなのです。