ヴォイストレーナーの選び方[アーカイブ版]

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に  バックナンバーは「夢実現・目的達成のための考え方と心身のトレーニング」をご覧ください http://bvt.txt-nifty.com/trainersen/

二つのレッスンタイプ

私は、トレーナーの偏りに注意して一般的なところへ戻して(初心にかえらせる)いくのと、その偏りを進めて独自の強い分野を持たせるのを併行して判断しています。

 A.一般的、平均的、普遍的、誰にでも当てはまるレッスン。

 B.特殊、偏向した独自の相手や時期を選ぶレッスン。

 と2つあることで、その間にさまざまな可能性のあるメニュも生まれやすくなります。しかも2人のトレーナーによる組み合わせで4パターン、3人で8パターンとなります。複数のトレーナーで併行させてレッスンさせると、まさに相乗効果となるのです。

 達人の経験とか、研究者の科学とかが入ったところで、その確からしさは、“相対的”に上がるだけです。まして、例外的な一人、それがあなたならあなたにとってはすべてが別です。当てはまらないとしたら100パーセントはずれるわけです。しかし、そこにこそ大変革のチャンスがあるのです。人間や人生というのは、すごくておもしろいのです。

トレーニングにおける効果について

私は、考えるとあたりまえなことを、なぜ多くの人は考えずに人に聞くのか、人に聞いて、それを鵜呑みにできるのかを不思議に思うことがあります。

 私もいろいろ聞かれる立場なので「私はこう思う」と言うこともあります。研究所でトレーナーが断定しないとしたら、私を習って身につけた美徳かもしれません。

それは「私にとっては今のところ、こう考えられるよ。けれど…」ということです。「あなたにとっても」そうであり、しかも「あなたの将来において」そうである保証はないのです。「今のところ」ですから「明日の私」は別のことを言うかもしれません。「私」と「今」で限定された答えは「あなた」と「明日」に当てはまるとは限りません。

 トレーナーに関わらず、教える人は「こうしたら、あなたはこうなる」と断定するかのように話すわけです。それがほぼ、これまで正しかったとしても、あなたがそうなるとは限りません。大体は、それが正しかったと思ってしまう人だけが、トレーナーの周りに残るので、そこに合わせて、トレーナーの考え方や方法もますます偏っていくものです。そういったものが、これからもあらゆる人に正しい保証はありません。偏っているからこそ、その偏りに合わせたい人だけが来るのでうまくいくということです。

未成熟のままに

日本人は、完成されたものより、未成熟からのプロセスに惹きつけられるように思います。弱者としての生存術が、日本の歌謡において、第二次大戦後は、頑なに続いています。流行歌まで禁じられていたという状態からの反動やアメリカ文化に対する憧れもあったと思われます。

 アメリカによる徹底した破壊から一転して、予想外の解放と自由が与えられたのです。これが中国やソ連の統治下であったなら、日本の戦後は全く異なっていたでしょう。もう少し自立して、父権的、武士的なもの、和魂が残ったのでは、と思います。日本に侵略されたと訴えを大にしている2つの隣国と同じく、多くの日本人もまた、戦争の前の日本人、軍隊(上官)や軍国主義が嫌いだったと思うのです。

 今、滅びていこうとしている芸は、そういった体質から抜けきれないものです。スポーツでも、相撲、柔道、水泳、プロレス、格闘技…、創始者が奔放に創造してきたことを継承しているうちに、模範の型やルールに定まっていきます。その分、保守化してエネルギーが奪われてしまいます。すると、それを超えるものが取って代わっていく。それが人類の歩みでもあったわけです。

 とはいえ、何であれ、世界で、民主主義国家をもっとも完全に近い形で実現しているのはまぎれもなく日本で、そこを否定しているわけではありません。そのやさしさが、表現のパワーにならず、無関心、「表だって行動せず」のようになっていますが、誰が責められましょうか。昭和天皇は「自分が正しいと思う人が一歩下がれば争いは起きない」と言い残されました。

研究所史(10)

日本は、一端、形、型ができると、それを深めるのに純化していく傾向が強く、そうして強国には築かれた縦社会ゆえ大きな障壁となっています。縦割り行政ということばでよく使われていますが、障害となるのは行政だけではありません。大横綱ゆえに代表理事をやる、料理長が経営をやる、選手として実績のある人が監督やゼネラルマネジャーをやる。それは、本当は、違う才能とキャリアが必要だとは考えないのです。そこで、おかしなことが起こるのです。一流のアーティストとしての才能は、ビジネスやマネジメントの才能とは別、ということもわかっていないのです。

 それゆえ、日本は、アーティストが一流の作品をつくることに専念しにくい環境といえなくありません。根本的には、大きな革新ができず、古いものを残していく、そのわりに新しいものが好きで、どんどん惜しげもなく前の世代のものを跡形なく壊して、リニューアルしてしまうのが日本人のように、私は思うのです。

 私などは、ずっとたくさんのすぐれたトレーナーを使ってきて、ずっとたくさんの古今東西のすぐれたメニュの革新をしています。研究所で声の研究をしているのに、そういう面での評価は受けられません。研究では、自分がすぐれた研究をするとともに、自分よりすぐれた人を集めて、よりすぐれていくようにしていくことがもっと重要だと思い続けているのです。

研究所史(9)

外国人の方が日本の継承にこだわらない分、比較しつつ学んで、総合的に早くよくわかるというのと同じです。結果として大局から入るので効率的なのです。一つの流派だけで何十年もやっている人は、他の流派のことを全く知らないということもあります。そこに合った人だけが来て残るので、同じタイプにしか通じない教え方ばかり深まっていくこともあります。知らずに同じ価値観に偏っていくのです。

トレーナーが独自のやり方をもつのでなく、そこへ来て長くいる生徒の望むやり方に偏っていくのです。トレーナー本人もそれに気づかず、万能と思ってしまう愚を避けられます。

このあたりはフィールドワークのようなものなのです。

日本において、洋楽しか学ばない音大生の方が、邦楽や日本の芸能について、一般の人よりも無知というのも似たような愚です。

研究所史(8)

ノウハウ、マニュアル、方法よりも基準を学ばせ、それに必要な材料をメニュとして与えるというのが、最初からの考えです。このあたりは私のデビュー本に詳しいです(「ヴォイストレーニング基本講座」として増補改訂発売中)。

 邦楽も声楽も、ここの一人ひとりのトレーナーのレッスンは、標準化されたものでも、共通のものでもありません。そうみえて、深いレベルでは、そのトレーナーなりに捉えた持論の実践です。組み合わせることで効果を大きくしてリスクを回避しています。

 ここでは、声楽家だけでも、長くたくさんレッスンをしてきた人を中心に、これまで30名以上に協力をしてもらってきました。日本の声楽の現在についても、どの声楽家やトレーナーよりも共通や異質の要素を抽出して標準化できます。しかもここでは、オペラ歌手が音大生に教えるのでなく、門外漢に教えるのですから、相手に応じた組み換える力が必要となります。それができなくては長くは続きません。

生徒のタイプ、学び方、進度についても、多くの人を長くみていくと、トレーナーとの組み合わせも含め、いくつかのパターンが出てきます。他のジャンルのトレーナーや海外のトレーナーも加えると、さらにこれが明瞭になります。

研究所史(7)

人数がいくら増えても、人材が出なくては仕方ありません。幸い、研究所で学べたかどうかは別として、在籍したあと、歌い手だけでなく、アーティストやプロデューサー、ビジネス、役者、トレーナー、指揮者、作家など、多彩な分野で活躍されている人がいらっしゃるのは、ありがたいことに思えます。

 個人レッスンにしたため、プロが来やすくなりましたし、他のプロダクションやトレーナーと併用される人も多くなりました。そういう面では、純粋な成果がみえにくくなりました。しかし、「他と分担することで、ここで声のことにより専念できる」なら、お互いに悪いことではありません。

どこでもヴォイトレに即効性を問われるようになりました。声よりも総合的なバランスを整えるようになったのです。

それは厳密には、声のトレーニングの成果でなく、声の使い方の成果ですが、ともかくも、こうして声そのものの成果を出すことに専念していく体制にしていったのです。

研究所史(6)

たとえば、研究所の発足当初は、時間など誰でも気にしませんでした。劇団のように、最初のレクチャーで3~5時間連続でしたが、誰も去りませんでした。2時間でも長すぎるという人が出てきたのが1997年頃で、転機とともに第一期の終焉でした。

 私のところは、当初は、いらっしゃる人も、時代の波から10年くらい遅れていた人と先に行きすぎていた人が多かったのが最大の長所でした。バブルから後の日本、特に音楽の業界の動きは、私の望む方向と真逆になりました。研究所が生き永らえているのが不思議なほど、日本で歌の価値、声の世界が縮小したのです。

 当時、「レッスン時間が延びては困る」というような人が出てきたのに驚いたのを覚えています。今では、それはあまりにあたりまえのことなので、そのことに驚いたということに驚くくらいです。

研究所史(5)

研究所のレッスンは、集団グループからマンツーマンに移行しました。多くのトレーナーや生徒さんが通っていると、いろんな考え方が持ち込まれます。未熟かつ柔軟な組織だったときは、その場の相手との対応で自由にできていたことが、形ができて、それを求められるようになると、メリットとデメリットの兼ね合いも、優先度も変わってきます。

 一律の判断が、基準として求められると、7割の人にはよいが3割の人にはよくないという、まさに民主主義の欠陥のようなことが出てきます。その3割のなかに一人でもすごい人がいたら、そこへすべてを絞り込む方がよいという考えはとりにくくなります。巷では、1割にも満たないクレーマーぽい人のために全体が不利益を被り、いつしれず、存続させることが目的になり、サービス面での成果を出すことが目標になったところが数多くあります。それだけは避けてきたつもりです。

 

 「アーティストたれ」を掲げて発足した研究所は、この目的だけでは、5年ともたなかったことでしょう。それを死守するなら、私自身が5年で潰したはずです。2000年の時点で、ここは「声に関心をもつ人なら誰でも来たれ」になりました。声に関わる分野が広がって、深く絞り込まず、拡散していく方にいったわけです。それをずっと突き詰めようとしてきたのです。

研究所史(4)

今の研究所は複数名(2~4名)のトレーナーによる個人レッスン指導が中心です。それと、いくつかの研究会、勉強会、実習、研修をしています。そこでの体制として、参考にしたのは、邦楽とクラシックの世界です。

 一人のカリスマが一つの芸を確立させた、あるいは、形としていった、そこに人が何かをみたり聞いたりして感じ入り、人が集まります。次々と機会をつくりリピートしていきます。時流にのると大きくなり、のらないと廃れていきます。舞台やイベントであれ、店や会社であれ、人間の芸であれ、その人の創りだしたものであれ、大きくみると同じことです。

 人が感動する、人が集まる、この2つのくり返しを、私は若いときから、いろんな機会や場を借りて行ってきました。自らも、事業、研究所、学校、アドバイザーとして試みてきました。

 これらは、縦社会よりは横社会のつながりであり、かつてのスーパーコンピュータよりはマック(マッキントッシュ)の思想でした。現実に社会は、その方向に動いていきました。しかし、それによってアーティストが生まれたのか、それによって人々が、大きな感動と集まる機会を得られたのかというと、そう単純ではありません。