ヴォイストレーナーの選び方[アーカイブ版]

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に  バックナンバーは「夢実現・目的達成のための考え方と心身のトレーニング」をご覧ください http://bvt.txt-nifty.com/trainersen/

テンポを変えてチェックする

4行のフレーズでの起承転結をみる

1、テンポアップ 2倍のスピードで全体掴む

2、テンポ 2倍遅くして声と息と体の不足を知る

発声、共鳴の不統一性、入り方、切り方をチェックする。

音色とフレーズのニュアンスをみる。

3、「Ah~」と出してみる。

1、デッサンの動きをみる。

2、練り込み(芯)と浮遊をみる☆

3、体―息の線が繋がっているか、なめらかかをみる(声が入るべきところで充分に素早く入っているのかをみる)。

これは3次元として、書家の筆の空中の高さをみるようなものです。流れ、度の太さ、鋭さ、スピード、変化で、どのように描かれていくのかを体感として得るわけです。

基礎へのアプローチ

 一つのシンプルフレーズでみる声の変化の方向

1、 長くする、短くする[呼吸]

2、 高くする、低くする[周波数]

3、 大きく(強く)する、小さく(弱く)する[音圧]

4、 音色と共鳴[フォルマント]

母音(5つ+α)子音、共鳴のバランス(頭声―胸声)

スケールとして5音をとる(例)ドレドレド、ドレミレド

 

音が届いているとか、声が出ているとOKとして先に進め、いつまでも雑になったままなのを避けることでしょう。そこでは肝心の体や息が伴っていないケースが多いのです。

a、浅・軽 頭声 響きから降ろしてくる 引く

b、深・重 胸声 体の呼吸から声にしていく のせる

 

生産する

レポートには、その人の個性が見えるのです。これも表現の一つです。

レポートには、お金を払ってもよいと思えるほど、学ぶ人たちに役立つものがあります(ここには、アーティストとしてのプロと、生徒、もしくはレポーターとしてのプロと、2つの意味があります)。

 作品の鑑賞レポートも、「お勧めのアーティスト・作品」として、掲載しています。ピンからキリまであります。以前は選りすぐっていました。今は、よいとか悪いとかに評価は入れていません。

 トレーナーやレッスンと同じく、接する人によければよいからです。そのよし悪しには、売り物としてのよしあしでない、自由があります。無責任とは言いませんが、極論やうまくいかない人や初心者、入門レベルの感想レポートも加えています。だからこそ、役立つという人もいるからです。

 以前、研究所のレポートをみて、「こんなすぐれたレポートばかりでは、自分には書けません」と言われました。以前の体験談では、読んだ人に「こんなすぐれたものを書ける人ばかりのところへ私などが入ってよいですか」と言われました。もちろん、何百枚もの中からすぐれたものだけを選んでいたからです。しかし、レッスンですぐれていけばよいのであり、最初からすぐれていたらレッスンは必要ありません。そう思って、プロセスもみえるように無作為をしたのです。

鍛錬

「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とする」

宮本武蔵のことばです。

時間、挨拶、身だしなみ、ことば遣い、整理、その上に練習(レッスン、トレーニング)があります。そこに加えるのならレポート、スピーチと、ことばで記録し記憶するとともに、人に伝える行動をとるのです。

 すぐに動画をアップできる時代、手段として大きな可能性を持っています。才能のある人が早く広く認められるという点においてもです(特にビジュアル、ダンスなど動画に映えるものに強いです。声も音で、プラス面が大きいでしょう)。

 私は研究所のヴォイトレをアップしていますが、他の人がアップしたものを参考としてはいません。いつもここのものは、作品でなくプロセスであるという思いと、そういう目で見てしまうがために見えなくなってしまうことの害の方が大きいと思うからです(本も似ています。活字の働きかけの方が、相手のレベルが高くイマジネーションが豊かな場合なら有効です。その人のレベルにアレンジされてクリエイティブな形で受容でなく導引するからです)。

 

ことば力

緊張して話せない人、ことばが出なくて話せない人、ことばにできない人の多い、「葦原の瑞穂の国は神ながら言葉解せぬ国」(柿本人麻呂万葉集)の日本です。アグレッシブに論じたり、諭すことが、できなくなってきました。リーダーのような立場の人さえ、話させることの大切さを説くばかりになりました。日本国民総ヒーラーかカウンセラーですね。声に問題を抱える人に対し、ヴォイストレーナーにも、それが求められるのは当然なのでしょうね。

1、 たくさん聞いて、たくさん声にする(歌う)

2、 よく聞いて、よく声にする(歌う)

聞くのは歌い手なら歌がことばです。

この2つの主題なくして

1、 たくさん話す

2、 よく話す

が努力目標です。たとえビジネスや日常生活でも

1、 たくさん聞いて

2、 よく聞く

という前提は崩せないのです。

活字の力

かつて、研究所の生徒は、リソグラフで両面刷った会報を、自分でホチキスで留めて持っていきました(今は印刷です)。60~80枚くらいあり、1ページも3段でした。私も通して読むと丸一日かかりました。それを皆、食い入るように読んでいたものです。

 「なぜヴォイトレなのに」という問いには、当時はこう答えていました。「レッスンでは頭を真っ白にして欲しいから言いたいことは全て会報に書いておく」と(私のレッスンでは、最初は、曲の由来も語学、発音、楽譜など解説なし、音源と来た人の声だけでした。フォローするトレーナーが、グループレッスンにも個人レッスンにもいたこともあってのことでした。私自身は会報でもフォローしているつもりです)。

 レッスンで話したことをできるだけ会報にリライト(「レッスン録アーカイブ」)していました。結構しゃべっていたようです。生徒のコメントも話でした。今ならYouTubeにでもアップするでしょう。読むには忍耐力がいるし、イマジネーションが必要です。私は活字に残しています。

読み込む(ゆとり教育の批判)

私は、ゆとり教育を否定してきました。理念はともかく、現実として実践しようとしていることが理念と違って悪い結果しかもたらさないことが明らかだったからです。それなら、昔の軍事訓練、寺子屋、農業実習などを経験させる方がよいと思いました。今さら言っても仕方ないのですが。

 日本では銃を持ったり、憲法を変えたら戦争になると信じている人が多く、今だにこういう発言はタブーですが、「はだしのゲン」の一件でもわかるように、よくないことが描かれたものは隠せと言い、そういう反対があれば、すぐ引っ込める。世間ともいえない一部の主張に及び腰で、何でも事なかれ主義で対してしまう。気にくわないことは悪のように言ってしまう住民、それを言われるままに鵜吞みにしてしまう役所の方が、よほど怖いでしょう。一個人としての思慮ないのです。

 たくさんの知識は、暗誦で身に入るのですが、インパクトを受けたものが、その人の精神、思考を形づくります。その組み合わせから、異なる個性も行動も生じるのです。

 レッスン室では声のプレーでも、ことばを与えていくことがとても大切です。インプットが充分でないとアウトプットのクリエイティビティは生じないのです。

会報のレポート

レポートも、慣れ、習慣づくりの一環です。それが難しい人のために、他の人のレポートをサンプルとして紹介しています。至れり尽くせりでしょう。自分の気づきと比べられます。他の人の質問や理解の仕方も学びの材料です。一つのレッスンを最大に活用できるように膨らませているのです。

 これは仕事をしていくノウハウでもあります。私は、いつも多くのトレーナーのレッスンへレポートを読んできました。膨大なデータ量となります。会報のバックナンバーはロビーに置いて、ホームページに一部、公開して追体験できるようにしています(私は、相手や日付、目的まで知っているので、もっとも学べます。それはトレーナーをまとめる立場として必要なことです。皆さんは特定されていない事例として、普遍化したもので学ぶほうがよいと思っています)。

 グループのレッスンや地方のレッスンで、とても役立っています。自ら主体的に学ぶための習慣づくりとして課しているのです。

 よく学べる人は気づきもよいのです。ことばや文章にも特色があります。個性や味が出てくる人も、最初からそういうスタイルを持つ人もいます。小説家や文章のプロの人もいらっしゃいます。

 自分の書いたものが実のあるレポートになっていくのも、レッスンと同じく一つの成果です。それも表現です。トレーナーの報告書よりもレポートがわかりやすいから皆さんに紹介しています。どんなものでも人それぞれというサンプルです。

身につける

早口ことばは、声の応用例です。声の力がなくても、滑舌としてアナウンサーのようなレッスンをしていると器用にこなせるようになります。楽譜に正確に歌うことと同じく、レッスンとしてはやった分、確実に身につくので、トレーナーにはありがたいメニュです。

 ただ、ヴォイトレの中心の声をつくるメニュとは違います。でも、暗誦するほどにくり返すとよくなることは共通します。複雑なものがシンプルになってくるからです。少しずつ、声の動き、呼吸の動き、体や感覚の動きが感じられ、結びついてくるのです。深めていけるのなら、どんな入口、何をどうやってもよいです。

 正しくできたかどうかを問うのでなく、まず、そこでの声を問うのです。

 なのに、そうでないレッスンばかりが多いのです。表面的なもの、頭―口の連動からであっても、身体に入ってくると、そのうち頭も口もさほど使わなくてもできるようになります。それにつれ、声も少しずつよくなっていくのです。

 これとは反対に、無理に高いところや大声で合わないところばかりでやり続けている人が多いのです。その場合、発音や読譜力(初見)は上達しても、声そのものはあまり変わりません。そう教えている人も多いのです。それで、ヴォイトレを何年も続けてきたという人やトレーナーもいます。その判断力が問題です。

 

自信にする

慣れるということで、当たり前にできてくると、「慣れればできる」という自信になります。レッスンの大きな目的は、一人でやるだけでなくトレーナーの前でやれるようになることです。やりながら慣れて、自信をつけていくことです。どこかに長くいると、あるところまでは自ずと上達します。それは慣れる力のなす業です。だから続けることが大切なのです。

 下手にトレーナーが教えようと急がない方がよいのも、慣れていないところでは、身につかないし、付け焼刃にしかならないからです。

 コツコツと積み重ねていくと、そのうち「できなくてもできる」と思えるようになります。自信過剰とは違います。周りはOK、でも自分ではNOという厳しい自己評価です。

 オリンピックは、自己更新タイムを狙います。自己更新とは、これまで出せていないタイムです。それに挑む、不可能に挑むから、できたときにすごいのです。

 できたことは過去のことです。それをくり返しているだけではクリエイティブでもアートでもないのです(しかし、私も過去の整理をしなくてはなりません。先ばかり進めてまとめていないのが気になりつつあります…)。

 プロや芸能人のなかには、私の本を知ってその日に、アポを取ろうとしてきた人もいます。考えるより行動してしまう、その力で自分や周りを変えていく。連絡したら会ってもらえなくてだめもと、自分には会うはずだという自信も、これまでの実績からでしょう。私はあまりタレントの名前は知らないので、それで動かされることはないのですが、そういう行動力は見習ってください(私もお偉い先生にたくさん会ってきた方ですが…)。