ヴォイストレーナーの選び方[アーカイブ版]

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に  バックナンバーは「夢実現・目的達成のための考え方と心身のトレーニング」をご覧ください http://bvt.txt-nifty.com/trainersen/

本当の力と手品

例えると、早口ことばで滑舌をよくするみたいなメニュです。私たちも入門用に使っていますが、それを2週間やると、大抵は淀みなく話せるようになります。なったところで大した力となりません。

 表現力としては、全く変わっていないし、声も変わっていない。ただ、つっかかっていたところがつっかからない、それで達成感と上達つの実感があります。素人のなかで披露したら感心される手品セットのようなものです。

 それを、プロのマジシャンの一歩とみるのか、素人芸とみるのかは、その人のその後の歩みによります。そもそも手品セットで売られていることに限界があるのです。マジシャンでなくとも、その種は少し学んだ人には知られているからです。

 でも、人前で、自分も楽しみながら人を楽しませることはできます。小さいながらもエンターティメントです。映画の「バクダット・カフェ」を想い出します。そこでプロ並みの大掛かりなマジックに進化しました。

 つまり、手品を、仕掛けを知ればできるツールとみるか、相手の心理からコミュニケーションまで学び、自分の身体でのパフォーマンスとして磨かなくてはできないものとしてみるかでは、違います。ヴォイトレも似たようなものです。が、案外と、「その手品セットいくらですか」みたいな質問がくるのです。

真ん中

多くの人は自分の真ん中に中心をとらないで、他人の歌や声に合わせようとします。時にオペラ、ミュージカル、合唱などでは、あたかも本人以外に正解や基準があるように思ってしまいます。トレーナーも、本人が望むのだから、それを正しい目標とします。わかりやすくまねられて早く上達するからです。すると可能性が狭くなり限界が早く来るのです。

 それは、周辺を中心と思って深めようとするからです。これは、不利な勝負です。無駄とは言いませんが、最終的には、報われにくいし、努力の効率もよくない。

しかし、表向きの器用さで選ぶ日本のレベルでは、早く形をつけやすく認められやすいノウハウになります。深まらないが早くできるということで、売り物になりやすい。初心者が飛びつきやすく、トレーナーにしても教えやすい。それだけに、用心すべき点です。

未熟と周辺の声☆

あなたの今の声も無理に変えたくせ声も、違っているのではなく、未熟なだけです。器が小さい、いびつなだけで否定されるものではないのです。声優のアニメ声の一部などは、まさに無理に別のものとして使っているものの代表例です。男性のファルセットも、そうなっているといえなくもありません。

 問題は、それが中心か周辺かです。本人の中心に近い周辺か、本人と離れた周辺かということです。それによって、しぜんとよくなるケースにも、なかなかうまくいかないケースにもなります。☆周辺になるほど無理がきます。しかし、そこを周辺として中心を知ればよいのです。中心に修正していくか、周辺も中心に含まれるように器を大きくしていくか、レッスンで両方を兼ねられたら理想的ですが、多くは、修正までもいかない調整で終わります。☆

 

トレーナーとの関係性をみる

ヴォイトレは、今のあなたの声をそのままよしとするか、メニュやノウハウで少しばかり大きくするか、無理に変えて別のものにする、などそれぞれです。トレーナーにもよります。同じトレーナーでも相手によって異なるものです。   

 私は、第三者としてみていますから、わかるのですが、トレーナーは、生徒との関係性については、自分を合わせてしまうため、どういうスタンスに自らと相手がおかれているのか、ほとんどみえていません。私も、スタジオに入ってしまうとそうなります。同じゲームのプレイヤーとなっているのです。このことのよし悪しは、何回か触れてきました。関係を築くのでなく、その関係性をみる第三者が必要だと指摘してきました。

声の器

研究所や私やトレーナーは、最初は外にあるきっかけの一つにすぎません。それを利用して大きく変わればよいのです。そこでのメリットやリスクも、やる前に個別に説明しています。人によって違うからです。

 変わるとか変わらないというのでなく、大きく異なるほどに変わるのは、自分が決めるということです。変わろうと思わなくても変わっていくのが理想です。変わっても元と違うものにはなりません。いや、なってもよいでしょう。ヴォイトレで表面的にどのように変えても本人の声なのです。スーツを着て敬語を使っても、一声聞くと、その人のままなのです。いつでもやめられるし元に戻れるのです。

 それが異なったものとなるには、相当な修行のレベル、年月と練習量がいります。それを誰も強いません。

 あなたの日常が変わらないのに大きく変わることはありません。小さく変わっていくのでもよいのです。変わるというのが怖いのなら、だからこそ変わると使っているのです。それは器が大きくなるということにすぎないのです。その大きさを、私もそれなりの人もみています。声の器のことです。

声についての分析

自分を知るのは大切ですが、分析などのデータや誰かの所見は、それを鵜呑みにしないようにしましょう。私もときに、そういうものを私自身や希望者にも使ってみます。自己申告の診断でも何とかそれらしい結果が出ます。使い方によってはヒントになります。

 自動車の免許更新でも適正チェックみたいなのが出されますね。でも、程度の低さや不甲斐なさなどは出てこないですね。占いとも似ています。誰が何のために作ったのかとことも思うことがあります。そこで時間をかけて、質問をつくった人と対話するのは無駄なことではありません。少なくとも自分では考えない問いからみえてくる自分もあるからです。それらを自分で、自分の判断シートをつくればよいのです。

 

技術の間違い

短期投資、ローリスクハイリターンのような伝え方をしてはいけないと思うのです。技術を教えてはいけません。それを求める人に、そういう教え方になります。

 他人よりも自分に目を向けること、自分を知ることです。

 主体的とは、自分が声もヴォイトレも変えていくことです。それができるようになるためにレッスンがあるのです。批評家、評論家は、何年経っても声がよくならない。でもトレーナーにはなれるようです。

技術で学ぼうとすることが間違いであり、人は技術で間違うのです。私の経験したこと、学んだことです。

喉を壊す

極端に言うと「喉を壊すから間違い」といっても、そうは壊さないし、壊せないものです。「壊したら間違い」も、「壊したら厄介」なくらいでしょう。壊しても元に戻ることが大半です。もちろん、わざと余計な苦労をすることは勧めません。

 本人が「間違った」と言うことでも、その経験から学ぶことが多ければ、長い人生で生涯かけて続けていくことなら、マイナスよりもプラスが大きいことになります。

間違い☆

多くの人は、間違いを正そうとか正しく覚えようとかして、技術を知りたがります。でも、相当にやらないことには間違いも生じません。本当の間違いはそう簡単に生じません。完全な間違い、いや、おかしいというところまできたら、トレーナーは、やむをえずストップします。大体、その前に本人が気づくものです。これほどわかりやすい例はありません。学べるスタンスができるまでの許容範囲は広いのです。ほとんど何をしてもよいくらいです。出し尽す前に絞り込むからあとが伸びないのです。☆

技術的なことのアドバイス

技術論やレッスンの理論を求められることが少なくありません。あまりそのようなことにレッスン時間を使いたくないのは、そんなことで何らよくならないからです。その暇に練習をした方がよい。これを読むより練習すること。優先順や重要度を間違えてはなりません。それは、「技術に頼るのは必要悪」と説明してきたとおりです。とことん行き詰るところまでいくことが大切なのです。やるだけやって、やれなくなったら考えればよいのです。

 それに気づかない人には、いくら言ってもわからないと思うのです。不平をもってやめるとなったら元も子もないから、いつか気づくように猶予期間を設けるようにしています。このQ&Aもその一環です。そういう間、他のトレーナーにお任せすることも多いのです。技術論のやり取りほど不毛なことはないからです。

 

発見する力

どの時点で修正をするかも、我慢比べのようなところがあります。最近は、毎回、小さく修正して効果を実感させないと、トレーナーが信用されません。しかし、本当は、そういう指摘に依存するのではよくありません。本人自身がくり返しのなかで気づいて修正することでしか本当の力はつかないのです。自ら気づく、発見する力が問われているからです。修正することより修正する能力をつけるのが大切なのです。

 正確な知識や理論よりもイメージが大切なのは、まさに一般的な正解を排除するためです。☆自分の外に正解を求めてどうするのでしょうか。こういう当たり前のことがわからなくなっているからです。それを伝えるのがトレーナーなのです。その邪魔をしてはなりません。トレーナーのやさしさがお節介となり、レッスンが歓談の場となるのは避けたいものです。

修正能力

レッスンでは、次回に結果をみて修正できます。できないから失敗ではなく、それでうまくいかないということがわかれば、それでよいのです。ただし、1回くらいで結果としてみるわけにいかないから、時間や回数もかかります。レッスンの回数を重ねたらできることもあれば、本人のトレーニングの時間がなくては、何ともならないこともあります。

まともなことは、その2つが伴わなくては進みません。やったことをヒントに、次に、その人により合った手が打てるのです。トレーナーが、その修正能力が高くなくてどうするのかということです。修正能力こそ、学ばせることだからです。