ヴォイストレーナーの選び方[アーカイブ版]

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に  バックナンバーは「夢実現・目的達成のための考え方と心身のトレーニング」をご覧ください http://bvt.txt-nifty.com/trainersen/

他力

毎日のサッカーの練習でしぜんと20キロ走っているという人や陸上の長距離の選手から転向した人なら、10キロ走る特別のトレーニングはいらない、小さい頃から毎日10キロ走ってきたような人も、その日常をキープすればよいことでしょう。つまり、プロの体があるからです。

 それがない人が身につけていくということで、必要なのが、トレーニングの目標です。20キロを目指しつつ、5キロ、10キロでも、今よりよくなれば、それだけプレーに有利になるのです。

 体が資本なのは、皆よくわかっていらっしゃいます。体づくりについて、スポーツでは長い歴史のなかで改良されてきました。一方、アーティストは、表現や媒体なども変えてきたためでもあり、改良の歴史は、まだ新しいし浅いのです。

 声以前に、人前に90分立ち、動くだけでも相当の体力はいります。つまり

1.手の付けやすいところから力をつけていく。

2.目的に対して必要な体の使い方を知り、優先順位をつける。

これは、人生の時間の使い方の優先順位に重なります。若いときは、目的がわからなくて、その必要も絞り込みもできないものです。一方、大人は人生を逆算して2をメインにするとよいでしょう。ここでの体力とは、そのまま声力、呼吸力などに置き換えてみるとよいと思います。

高める

ヴォイトレは、「高い目的に強い必要度をおかないと大して使えない」ということです。その必要度は、これもアスリートで例えます。オペラ歌手やアスリートの例を出すのは、今のヴォーカリストでは定められないからです。

 世界レベルのサッカーの選手は、試合で10キロ走ります。その体力、筋力をトレーニングの必要条件が基準とします。ただの10キロを走る体力では無理です。動きも変化するし、猛ダッシュもあるし、15~20キロ走るのが最低限とみます。一試合90分、休憩があるから10キロでも充分という人もいるでしょう。でも、延長になるかもと考える。15キロ走れないなら可能性はないと思います。

日本のサッカーを楽しんでいる人のどのくらいかはわかりませんが、シュートやドリブルのテクニックが最高でも、この体力なしではノミネートされません。次の段階で、1ゲーム8キロしか走らないのに得点に絡むメッシの動きに学ぶようにするのです。

 

深める

くり返すまでもありませんが、単独での「正しい声」「正しい発声」「正しい呼吸」などはありません。すべては、どう使えるかの程度問題です。ですから、私は、ことばとして「正しい」でなく、「深い」をよく使っています。トレーニングは深めていくプロセスです。

 どこまで必要かは、その人の目的によります。ギリギリ使えるよりは、余裕がある方がよいに決まっていますからハードめにセッティングします。つまり、わざとふしぜんを求めるのです。

 仮に、歌に対応しうる体というものがあったとしましょう。これはローレベルでは誰もがもっています。音痴の人でも声が出るなら歌える体です。

それでは、ハイレベルでプロ(ここでは、本当に声だけとしてみるのですが)として歌える体、誰が聞いてもプロとして通じる歌える体-となると、どうなるのでしょうか。オペラ歌手とか邦楽の第一人者のように、いえ、世界レベルの最高のヴォーカリストの体が、感覚も含めて、その条件となります。そのように仮定して、トレーニングをセットするとはっきりしてくるのではないでしょうか。

 

オンとオフ

直前に筋トレしてから、バッターボックスに入る人やPKを蹴る人などいませんね。

スポーツのオンシーズンとオフシーズンにも例えると、オンで力を発揮するのにオフでジムに通います。

 特にトレーニングをせずに、それなりに必要な要素を取り込めてきた勘のよいアーティスト、特に20代までが全盛だった歌い手には、そうでなかった人のことがよくわからないでしょう。自分のことも把握していないからです。身についていったプロセスがみえないのですから無理もありません。これはステージでなく、声についての話です。そういう人の話を聞くと「それでは、スポーツ選手も、試合だけやっているのが一番力がつくのでないですか」と言いたくなります。仮に、そういうスポーツがあるとしたら、会社に行っている人のサークルとか、学校の授業のなかのスポーツのレベルでしょう。高校の課外クラブでさえ、今や特別な基礎トレーニングをしているのです。

 でも、何をもってトレーニングというのかは、いろんな見方があります。アーティストですから、ステージや作品をつくり続けること、そこに、みえないけどトレーニングが含まれていたらよいのです。しかし、その人はそれでよいというのと、教える相手がそれでよいと思うのかは、別のことでしょう。

 

一つになる

どんな方法、メニュも、とは言いませんが、基礎ということで行うなら、やがて声は一つの大きな動きとなります。流れるように柔軟にしなやかに結びついて一つのまとまりとなります。そうならないものは、現実に使えませんから省いていくことです。なのに、そうならないもので何とかしようとするから、後で伸びなくなるのです。

 歌やせりふの中心で声がコントロールできないのは、かまいません。気持ちと声がバラバラになり、両立もできないからトレーニングするのです。目的が高いほど、早く身につけようとするほど、無理がきます。無理とは、トレーニングそのものが無理なものです。無理に対して無理を通すのです。

 なのに、「トレーニングするとしぜんでなくなる」と言うような人がいるのは、おかしなことです。「トレーニング」も「しぜん」も定義して使うことです。そうでなければ、「しぜんでないようになってないと悪いのか」「歌もせりふもしぜんなはずはないではないか」のような反論もできるでしょう。「トレーニングは部分的、意識的であり、それゆえにトレーニングにすぎない」と説明しています。

 一つのプロセス、一つの体、一つの声を分析して、それぞれのチェックや調整から強化をするのがトレーニングです。

ふしぜんの理由

「早くしぜんになるためにふしぜんなトレーニングをする」といつも私は言っています。

 しぜんになったとき、トレーニングは日常ということで置き換えられ、消滅するのです。少なくとも、トレーニングのままに、人前に出してはいけません。トレーニング中でも、トレーニングは忘れましょう。

 これはトレーニングということばを技術に替えても、同じことです。しかし、努力やテクニックだけをみて拍手をくれるようなところでは勘違いされやすいので困っています。ハイテクニックを使って歌う技術を教えて欲しいという人も出てくるわけです。

特別な呼吸法を知りたい

呼吸は、あらゆるもので扱われているので、呼吸法もメニュもやり方も集めたらきりがないでしょう。特別な方法もたくさんあります。大体、特別というのは、無理ということです。特別なほど、ハイリスクと思えばよいのです。ハイリターンとは限りません。

一人で取り組むと、こうしたハイリスクかローリスクローリターンを重ねていくことのなりがちです。くせだけついて、抜け出せなくなるかもしれません。発声のためなら、自主トレよりはレッスンを受ける方がよいわけです。

 身体がわかってくると、そのトレーニングをやめるあたりで、つまり、捨てるところで身に付く方向にいっているものです。それも踏まえて、何をやってもよいということです。

小さな質問

大きな流れ、プロセスからみたら、次のような質問は、ほとんど意味をなしません。そのように疑う時点で効果がないし、効果が出にくくなります。結果は続けていくことでしか出てこないからです。

・息は吐き切るところまで伸ばすほうがよいか。

・息を吐いたあと止めた方がよいか。

・声(ハミング、息の音)を出して、吐いた方がよいか。

・息を吸うトレーニングも必要か。

それぞれ、目的や質問の出るレベルにおいて、いろんな考えがあります。私のところのトレーナーもそれぞれに応えています。状況をみて、よし悪しで答えて、それなりの理由をつけることもあります。そう思って答えるトレーナーもいれば、迷っても仕方ないので迷わないように先に進めるためにアドバイスするトレーナーもいます。

 上の質問について、私は、「はい」 でも「いいえ」でも、理由をつけて答えられます。また、その結果のメリット、デメリットも言えます。といっても、それは一般論としてです。相手とその目的が定まっていなくては、ほとんど無意味です。ですが、自分とトレーナーの勉強のために、トレーニングをしている人の疑心暗鬼を晴らすために答えているのです。

プロセスと結果

例えば、今、最大限の力で持てる重いリュックを持ち上げるときに、呼吸は変わりますね。体の使い方も腰の入れ方も変わるでしょう。それを持って歩いたり走ったりできませんね。でも、力のある人は、軽々と、あなたがハンドバックを持つくらいに、それを扱えますね。それを持って踊ることもできるでしょう。トレーニングとは、そのギャップを埋めるために行うプロセスなのです。

 すでに変わった呼吸では、声は自ずとコントロールされますが、変えようとしている呼吸や変えつつある呼吸ではコントロールできないし、うまく声にならないかもしれません。寝起きにすぐ歌うのは、難しいのに似ています。しかし、プロセスを結果としてみてはなりません。結果を出すまでのプロセスなのです。

呼吸と呼吸法

呼吸が深まっていくと、すべて解決する。とまでは言いませんが、呼吸を深めることは、何事にも切り離せないところです。特に、声は呼吸で出しているのです。

 声楽家は共鳴のプロと思いますが、一流の声楽家は、紛れもなく呼吸のプロです。呼吸によって発声も共鳴も習得の土壌ができてくるといえます。

 ここには、バレリーナやダンサーやパントマイムの人が、ときおりみえます。発声でなく呼吸の勉強にいらっしゃいます。呼吸には精神力もリラックスも、あらゆる問題の解決のヒントが隠されています。酸素が血の流れで全身にいきわたるのを待つように、です。

 呼吸法や呼吸のトレーニングが、あまり役立たないように思われるのは、すぐに成果に結びつかないこと、それどころか、一時、バランスを崩すことがよくあるからです。

 いい加減な歌やせりふ、発声はできないようになるのです。だから、今のままがよいとか、少しよくなればよいくらいに思うのはよくありません。それならラジオ体操の呼吸くらいでやめても充分でしょう。根本的に変える必要性がないなら、呼吸法をやっても何にもなりません。そういう人が少なくないのです。