夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧

ネーミング

人間がことばをつくるときに、あたかも赤ん坊の喃語から明瞭な母語になっていくように、曖昧な音声が少しずつ明確に区分されてきたのは、間違いないでしょう。外国語は、母音の音も子音の音も組み合わせが複雑です。 日本に来た外国人には、漢字に興味を持つ…

せりふの分解

せりふを、分解してみます。意味は省きます。せりふは語感の組み合わせです。一語の発音の感じが組み合わされ、リズムやメリハリが変化します。 感嘆詞でも、ああっ、ああ、ああ、あ~、あー、あ”、と、で表すには限界があります。日本はうまく字の形を変え…

声としての差

最終的に問われる、その人の魅力や存在感というものも、音声では最低限のことをやったうえですから、つまり、はっきり聞こえるように言えることが、第一となります。そのことが個性を出すことより優先されます。 歌や芝居のうまい人と、印象に残る人の違いは…

音色と味

私が一般向けのテキストをつくるときは、ことばの発声に加えて、声の使い方を入れています。ことばにならないところは、本では書けないために、CD付になるまで出せなかったのです。CD付きになっても、教材として、ことば、発音中心にせざるをえないのです。…

声として視る

私は言語よりも音声、ことばよりも声としてみるのが専門です。歌には歌詞があることがとても重要で、特に日本人にはそこは外せません。しかし、私は、歌詞はのっているだけ、声だけで、楽器レベルの演奏として完成させてくれと、ことばを引いてみる立場を大…

ことば以前と省略形

たとえば、「おはよう」と言うのと「オッス」、「オッス」は「おはようございます」の短縮形とも思われます。一方、上司が部下に「おはようっす」などと言われて、「オッ」「アア」と応じると、そこでは承認の返答として、その表情や音が意味を持ちますが、…

声の想定

声を音としてみると、次の4つで定まります。 強弱、(声量、音圧、ヴォリューム) 高低、(周波数) 音色、(フォルマント) 長短、(time)、持続時間、息の長さ これに 共鳴(鼻声、ハミングなども含む、または頭声、胸声) が加わり 調音(調音点、調音法) で…

性と声

ほとんどがマニアックなため、研究されず、実践だけされている分野では、喘ぎ声、いわば閨房の世界です。しかし、これは芸能やショービジネスに、まさに直結しているものです。ヌードが芸術にまで高められたのに対して、声では、いささか貶められているよう…

求愛の声

求愛のために、使われたのはメールや手紙という文章、文(ふみ)の前に、ことば、呼びかけ、歌謡です。その前では、声の響きだったでしょう。セレナーデのように、異性に呼びかけ、自分に関心をひく慣習は、今のカラオケにまで引き継がれています。 そこでは…

眠りの声

「喜怒哀楽」と言いますが、喜び、楽しみと、悲しみと怒りは、ことばや語がなくても伝えられます。伝えなくても自らで発することができます。表情だけでも区別できるほどです。目や口も、体の姿勢や振るまいとともに、口内で息と声が、それに伴う音を発する…

ダンスのように

リズムは、心臓や脈拍、呼吸の動きと、足を蹴る、ゆするなど、くり返しの動きから生じてきました。もちろん、風や雨や川の流れなど、自然の音から入ってきたリズムもあります。 メロディの先駆けとなる節(ふし)も、まわりの音や自分の内部感覚から心地よく…

喃語は、歌

ことばと歌と、どちらが先かというようなことは、定義にもよります。この2つを明確に分けることは、本当はできないのですが、それぞれに便宜的に分別しているわけです。しかし、私はストレートにことばのない歌、スキャットなどを考えたら、すぐにわかること…

感嘆の声

私たちが意味をつけずに、ことばとせずに、声を発していることを考えてみるとわかりやすいと思います。たとえば文法上での「感嘆詞」です。「ああ」「あっ」「ええっ」などです。これは、interjection(英語)で、定義としては「不意の発声」となります。他…

反射としての声

原始的なものとして、反射作用で声をあげるということがあります。火に触ったときに「熱い」などと、考えるまでもなく私たちは反射的に避けようとします。手を離しながら「アチッ」というような、ことばになるかならないかの音を発します。「アッ」「ワッ」…

触れあう声

語感というのは、ことばを自分で発するときの感じと相手が受けるときの感じです。声を介し、私たちは自らの心身とも、他の人とも触れあっています。声は、自分の声帯の振動から相手の鼓膜の振動へ伝わります。空気中を伝わる音のバイブレーションなのです。 …

観衆ばかり☆

母音を、切り離すという練習法は、劇団四季の浅利さんが、今や劇団を超え、日本の子供たちにも教えている方法です。私は、舞台の表現、演出としては、主宰者の好みとなりますから、口をはさまないのですが、日本語の発声や歌としての方法については、別の見…

発音アクセント中心主義

アナウンサーになりたての人の発音、アクセント絶対主義の基準と、TV、ラジオ放送のベテランや一流と言われる人の語り口が一致しないことを指摘したことがあります。 ここではアナウンサーの専門である発音について述べます。ベテランのアナウンサーの能力に…

アナウンサーの話し方

日本の共通語は、東京の下町ことばをもとにしていながら、実際は、放送のために使われていることばです。共通語は、私の考えでは、NHKの編纂によって認可されたり、変えられたりしていく、あまり話されていないことばです(「日本語アクセント辞典」などが教…

英語や日本語を簡単にする

共通語は、現実のコミュニケーションのために使うものです。今のところ世界の共通語の位置づけにあるのは英語です。中国語やスペイン語を使う人も多いのですが、国を超えたところで話せることばとしては、インターネットなどにおいては、元から使われている…

語学学習のコツ

教えるということ、あるいは、伝えることでもよいのですが、それには二つの必要条件があります。まず、「自分が、あることを知っている、できること」、です。あなたが日本語を教えるとしましょう。すると、あなたは日本語を知っていて、できる(話せる、書…

「グロービッシュ」の登場

グロービッシュという言語について述べます。グロービッシュは、イングリッシュとグローバルからの造語です。英語を母国語としていない人のための英語体系です。シンプルな言語体系にして、コミュニケーションに使えることをメインにするのです。 これは、標…

標準語と共通語

「標準語」ということばは、standard language、岡倉由三郎が最初に用いました(1890年)。それが東京語に準拠することになったのは「口語法」(1916年、国勢調査委員会)によります。最初の国定教科書「尋常小学読本」は1904年、すでに口語体の文章でした。…

江戸のことばから共通語に

多数の人を相手に話すと、講義調、説教調、演説調のようにスタイルが確立していきます。これは、報道、ニュースをみるとわかるでしょう。そして、その調から体へ、「だ」「である」とか「であります」「ございます」なども文体をもち、話のスタイルができて…

共通語の誕生

日本ではずっと、中央は京(京都、奈良)でした。近世になり、江戸(東京)になったわけです。江戸でも初期の頃の文芸は、井原西鶴の浮世草子、近松門左衛門の浄瑠璃など、上方のことば遣いでした。江戸、武士、男ことばなどは、荒っぽく粗野なイメージでし…

日本語の遍歴

日本語を総覧してみると、万葉の頃は、歌垣として、情愛の呼びかけでした。歌垣は、言霊という呪術的な力の働きが加わるとはいえ、今のコンパのようなものです。その後、お上の勅選和歌集では、選者が記述して記録していきました。 紀貫之の土佐日記「男もす…

ネットと世間

世界に有数の、日本の、大量の数を誇るブログや掲示板などへの無記名の書き込みは、よくも悪くも昔ながらの「世間」の存在を感じさせます。私のように常に読み手と向きあい、文章を書いてきたものには理解しがたいことでもあります。 そのエネルギーには、よ…

文字への思い入れ

私は欧米のことばにやや近い感覚のものとして、これまで関西弁、広島弁や博多弁などを挙げてきました。音声以外の日本語の研究はたくさんあるので、興味のある人は学んでください。言語で文字によって表せるものは、書物で学べるからです。 文字の発明、紙の…

主語のない日本語

「日本語には、subject(主語)がない」などという批判は、欧米のグラマーに日本語をあてはめているからです。ボクシングのルールで、柔道をjudoにしてしまったのも乱暴なことだと思います。 伝統を尊重する私も、このところの柔道、相撲、野球といった、か…

日本語は会話向き

日本語は、対話型のコミュニケーションには、不向きな言語です。すでに関係ができている相手に伝えるには、うまく使えるのですが、初対面、特に1対多では、混乱しやすくなります。人前で話すのが不得意な人が多いでしょう。 主語を出さず、受け身で婉曲に伝…

対話と会話

「日本には会話しかなく対話がない」、と言われてきました。対話とは、第三者を聞き手においた対談を考えるとわかりやすいのでしょう。1対1で話していても、その2人の中でなく、他の人が聞いてわかる、つまり、ドラマの出会いのシーンのように、観客がいても…