2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧
音を出すことの楽しさとともに音を聞くことの楽しさを味わうと、それはその人の音楽となり、他の人にそれを伝えたく思って広めていくのです。曲とか演奏とかいうようなレベルとは違う、本来の、音楽というようなものが、あるのです。
大阪市平野区の平野の音博物館。 音が地域の人の生活にどんな影響を持っているのかを探ることができます。
屋上に上がって、遠くのものを見たり、遠いところから聞こえてくるような音、鳥の声などを聞くようなことは、静寂がなくては難しいのです。 以前、風景はスモッグで妨げられていました、そこは改善されたと思います。 つい30年前は、中国が車社会になったら…
初期の騒音規制法令は、人間の声、呼び売りをするような人の声を対象としていました。音だけなら、教会の鐘やお寺の鐘などの方がうるさいのですが、騒音としては見られなかったのです。 車や建設現場の音などは、やむを得ないし、短期ということで認められて…
電車のホームでのけたたましく鳴っていたベルが、音楽に変わったのはよいことですが、海外のように、そもそもそんなものは必要ないとも思うわけです。 日本の場合は、時間通りに電車が出るのですから、時計を見ればわかるのです。こういうもので甘やかされて…
それにも増して、迷惑になってきたのは、テレビの中で使われるピー音やスマホの音です。街中での呼び出し音も相当気にさわりますが、番組で使われたときにも反応してしまうのです。私は家の中でも、サイレントモードやバイブレーションにしているので、尚更…
翻って考えるなら、我々日本人は、このようなもので指示されることをあまり気にせず聞き流す術を知っている、というか、学び、慣れてきたのです。お上からのお達しのように、受け止め、適当に流しているわけです。そういうことも、音声に鈍感であることと関…
公共の場での日本のアナウンスは異常にていねいです。「うるさい」と外国人に思われることが多々あります。日本語で何を言っているかわからないことに不快なのかもしれませんが、緊急の時以外は、公共の場では、声や音はタブーだからです。
和食が世界的にハイレベルなものであることは、日本人の味覚に負うものでしょう。 それに対して、声や音に関する、ある種の鈍感さが、世界的な俳優や歌い手を生み出せないことは、今までも繰り返してきたことです。
個人的には、昔の食材が本来持っていたようなアク、苦味、まずさなどが、個性的で懐かしいと思うこともあります。みかんでもイチゴでもぶどうでも、昔は酸っぱかったものです。 それが全て、甘くなっているのは、健康上にも、多様な味わい方にもよくないよう…
昔であれば、野原で、自分の五感を使って食材を選べたかもしれません。 しかし今の私たちはそういう経験がなく、そうした味覚に対しては鈍感になっています。 いわば毒物を口にして、即時に判断するような感覚が衰えているのです。
日本語には、食感についてのオノマトペが非常に多く、コマーシャルなどでもよく使われています。また新しい食感に飛びつくのは、国民性なのでしょう。 生の魚や野菜を食べる日本人は、そうでない民族より、食感や味覚を働かせてきたのでしょう。
日本語は、触ることについてのことば数の多い言語です。触覚からの擬態語が多いのです。職人が舌や耳を使って、品質を判断しているというのは、よく聞く話です。 一方で、世界一の味覚を持つ割には、日本語には、味覚についてのオノマトペはあまり見当たりま…
もともとは、大便であれ泥であれ、裸足で駆けずり回ることであれ、いろんなものに触ることは快感だったのです。 大人になっての性的な接触もいうまでもありません。 他の者や他者との境界があいまいになるということは、最も親密な接し方でもあるのです。
欧米人に比べて、私たち日本人は、大人になるにつれ、他の人の身体に触るのを避けようとします。湿気が多く腐りやすい土地柄、身体接触を厭うのでしょう。神道からの触穢の意識も強いと思います。 触ることで汚いというような感覚を学習していくからです。特…
子供の頃に、古いものや慣れていないものの匂いを嗅ぎ、音などを聞く経験をたくさん積んでおくといいと思うのです。 清潔なマンションで育つと、農家に行っただけでもカビ臭いとか湿っぽいとかで耐えられなくなりかねません。 成人して仕事についてから、上…
生物にとって有害なものに対しての生理的な嫌悪感は、身を守るために必要です。 しかし、他の人がよいとか好きだとか言っているものを自分が受け入れられない場合は、排斥するのではなく、理解、受容するように努めていくことです。 潔癖症になると、異物を…
正しいとか間違いとか、絶対によいとか悪いとかは言えないということです。好き嫌いはあっても、それが体験からきていることであれば、書き換えが可能だということです。 自分が嫌な匂いや嫌いな音でも、それを排除するのではなく、身体で心地よく感じるよう…
ことばで得た記憶よりも、五感で体得されたものは忘れにくいものです。 ですから、高齢者であっても、生活の中で得た匂いは、強烈にインプットされているのです。 これと似ているものが、聴覚での音や声です。人によって好き嫌いが全く違ったりするのも、こ…
匂いは、記憶を司る海馬というところや記憶と結びついた感情処理する扁桃に、直接、達しします。ですから、匂いは、過去の記憶、情景や情感を伴っているのです。 匂いを感じなくなってしまうと記憶と感情が結びつかなくなります。 ぼけてしまったりします。…
「アフターコロナよりは、ウィズコロナを使おう」 というのは、日本人らしい発想だと思います。 でも、どう考えても変な造語です。 「濃厚接触」という用語も、とても怪しいことばです。 夜の街、接待を伴う飲食店などというのも変に誤解を招くのではないで…
芸能人などを見ると、一般の人たちが一声目に出すことばが「顔小さい」になっています。「それは頭が悪いことではないか」と感じる人はいないのでしょうか。 海外では、そうとられることもあるそうです。頭がでかい方が賢いとは限りませんが。
その行為ではなく、その人の属性によって叩いてもよいというようなものがあるとしたら、それは、差別です。 かつてのオバタリアンは、今や、女性ということで、叩いてはいけない、よほどうまくパロディーにしなくてはいけないようになったのではないでしょう…
相手のことを落としてから褒めても、マイナスプラスでゼロにしかならないものです。 たとえば、「あなたには◯◯のようにみえるけれども、本当はそうじゃなくていい人なんだ」のような言い方です。 今や、高齢者、子供、女性、身障者、マイノリティということ…
歳をとると1回言ってもらってもわからなくて、2回、3回、同じことを言われると、ようやく理解できる場合があります。 すると、「水分補給」とか、「エスカレーターに乗るときは…」とか「白線の内側までお下がりください」とかいう、若いときにはうるさいだけ…
集団行動は、目的や目標を明確にすることです。特に、誰に対してどうして欲しいのかがわからない場合が多いです。 最近、研究所の近所が、「ほぼ新宿のれん街」や「代々木ブロードウェイ」などというようになったせいか、外国人は少なくなったものの、若いカ…
自分の人生を他の人に頼ったり、あるいは、公の世話になったりすることが嫌だというのは、健全な考えだと思います。ただし、本当に危なくなったら公共の自治体や国に泣きついてもいいのです。それがせめても日本に生まれた特権です。
話せばわかると思っていた頃があります。 やはり、相手によって限度があります。 意見が異なるもの同士での話し合いは難しいです。 けれども、いろいろと経験して相手の立場に立ち、当事者性を獲得すると、そのとき、すぐには無理でも、いつか、わかり合える…
クレームによって、運動会、あるいはそれを知らせる花火や大晦日の除夜の鐘も中止になったケースがあります。公共の場でのうるさすぎるアナウンスや宣伝のための音公害は否定してもいいと思います。 ただし、エスカレーターや動く歩道などになると、普通の人…
野球の監督は、なぜか選手と同じユニフォームを着て帽子をつけています。 服装を統一するというのは、日本などではわかりますが、なぜアメリカでもそうなのかとなると、よくわかりません。 野球とベースボール、日本人向きなのでしょう。