18.トレーナーについて
トレーナーに習っていても、そのトレーナーができることより、できないようなことを考えましょう、といっています。 日本人は、トレーナーに憧れてしまい、同じ声をまねていこうと思ってしまう人が多いからです。
トレーナーには、自分ではいいと思っていても、トレーナーに聞いてみたら、よくない、といわれること、それは、ときに酷かもしれませんが、それを求めることです。 それが納得できるのであれば、最高のレッスンになります。
声楽は、声も身体の使い方も明らかに違います。ギャップに直面することで、そこから埋まらない差が見えてきます。遠くにあるほど全体が見えやすいということです。☆
トレーナーをよく変える人がいます。そして、自分を褒めてくれる人についてしまうのです。 実際、今は、どこのトレーナーも何かしら褒めてくれます。 でも、トレーナーによって価値観も違うし教える内容も違います。 そのトレーナーに認められたら世の中に通…
徹底的な何か強みがあれば、トレーナーも何もいわなくなるでしょう。 あるいは、そのトレーナーが評価するかどうかはっきりとしてきます。 あなたはあなたです。そのレベルが高いか低いかとなります。
トレーナーは、常に自信もって、自分には間違いがないと思い、他の先生の方が間違っていると思いがちです。
巷のトレーナーは、自分のところで長くいる人の効果でみます。効果の感じられた人だけがいるのですから、その効果は、かなり限られたものです。 効果がなかった人は辞めてしまい、辞めた人がどうなったかは調査しないからです。
普通の人が普通の歌としてのヴォーカリストを選んでいるとしたら、それに関わるトレーナーもまた普通であるということです。それはそれでよいと思うのです。
私はヴォイストレーナーについて気にかけることは、ありません。引き受けている人についてだけです。研究所内でトレーナーを選んでいますが、すべての責任とともに、その配慮をしています。
トレーナーとも似ていて、例えば、アーティストとの交流等を売り物にしているような場合は、すでに、トレーナーという本分を放棄しているといえなくはないのです。 もちろん、まわりがプロとして売ろうとしている分には仕方がないところもあります。
この辺は、声楽家や邦楽家には、とても理解しにくいところなのかもしれません。 彼らの場合は、習う人より上手なのが当たり前であって、目指す方向、目的が同じです。先生も一から学んだので、共通のプロセスとして取りやすいので、先生を見本という上下関係…
私のところのように、たとえば、声楽家が噺家の師匠に教える場合にはそういうわけにはいきません。 でも、声楽でも、ときに、教え子が先生を超えることがあります。そのときは、これまでのプロセスを踏まえて、第三者的なアドバイスということで充分に指導で…
トレーナーは、評価においては、習っている人よりも上のレベルをイメージすることができるからです。それは、トレーナー自身も到達できなかったところかもしれません。 本来、先人のレベルを超えることが伝統を伝えることです。指導の本当の意味はそこにあり…
研究所の音源の教材では、言葉での説明を声優にお願いしています。ナレーションのプロに任せています。毎日、聞いていて、それがお手本にならないようであれば、トレーニングにもよくないからです。 私の研究所には、プロの歌手や声優、アナウンサーが来てい…
発声の専門と、それをせりふや歌に使うことの専門は、明らかに違うのです。自分が実践するのと教えるのとプロデュースするのも違います。 あまりに歌ったり喋るのがうまくない人や初心者に、ヴォイストレーナーが一般レベルのサンプルを示し、見本のように読…
研究所のトレーナーは、音大など声楽を学んだ上でオペラ歌手歴10年を超える人が中心ですが、プロのポピュラーヴォーカリストの前で、オペラを歌って見せたりすることもほとんどありません。それぞれ勝負するステージが違うからです。 本当に必要なとき以外は…
2 、3年から5年くらいのトレーナーというのは、自分に合った人に出てくる効果に影響されていますので、どんどん独りよがりになっていく傾向が強いわけです。 しかし、自分よりもじょうずな人、プロや違う分野のプロなどをたくさん教えていると、自分の限界も…
ビジネスであれば、売りたいものと買いたい人が一致すれば、それでよいという考え方もあります。皆、生計を立て生きていかなければならないからです。 しかし、それが第一義になってしまうと大きく歪んでしまうというのは、ビジネスでもよく見られることです…
ビジネス的な思惑なしでボランティア精神でやっている人たちが、理想的なことを行っているとは限りません。 金銭的なゆとりが全くないことで、研究や勉強というのは、できませんし、指導する側としても、それを発揮できるだけの設備や人材を確保することがで…
トレーナー本人自体が、質の高い豊かな経験を積むことができないと、長い年月においては致命的なものとなります。
身体のことでも、いろんなメニュをさまざまにマスターしていて何百個と覚えている人もいます。トレーナーには、ある程度、そういう能力とストックが必要です。 それは、相手にとっての必要性が違ったり、得意、不得意が違ったりして、そのプロセスで与えなけ…
例えていうのなら、プランナーと名乗る人に、「自分の企画が通らない」とか「仕事がない」とかといわれたら、「そういうものを企画し通すのがプランナーではないか」、「この人は企画を通すプランニング力がない」と思わないでしょうか。
本人とってみれば、大切なメニュが3つぐらいあればよいと思うのです。 つまり、テクニックなどの数はどうでもよくて、作品としてすごいかどうか、表現の世界に、世界観や空気感がきちんとあるのかどうかで問われるものだからです。
トレーニングにおいて、「いわれたことをやらないからダメだ」といったことで不利な扱いを受けることはありません。 さすがに今のトレーナーは、「黙ってやりなさい」というようなこともありません。説明もていねいでしょう。「やってこなかった」、「できな…
「自分一人で最初から教えたい」というトレーナーは多いのですが、そこに習いに来るのは、自分よりできない人ばかりです。 すると、トレーナーが進歩しない、それどころか偏向しがちになるものです。 その方法を使っていなくても、そうなったという可能性を…
間違えた経験を踏まえたトレーナーは、間違えないように正していきます。 一方、自分は絶対に間違えていないと思って、学んでいかないトレーナーもいます。 難しい手術をしない医師が失敗をしないように、低いレベルでの経験は、学ぶのでなく出力だけです。…
若いトレーナーは、自分の知っている限りの処方をします。次に、思いついたことをすぐ行います。 それは、本来、勉強中に試行しておかないといけないことなのですが、資格のないような分野では、そういった実習を積む経験があまりとれません。総じて、経験不…
スポーツなどでも、選手として活動することとコーチとして教えることというのは、問われる能力が全く違うわけです。 天才的な選手ゆえに、一般的な人には教えられないということもあります、違うタイプの天才には合わないし、もともと、そういう人は、教えら…
対策をして、全くよくならないようなレッスンは、ほとんどないでしょう。 ですから、「効果がありますか」と言われたら、どんなトレーナーも、どんな相手に対しても、「効果がある」と答えるでしょう。ということは、何の問いにも答えにもなっていないという…
コーチに依存してしまうと、何も考えずに、新しい可能性のフォームを頭から否定してしまいます。まず、コーチが否定するでしょう。それが初心者を平均的なレベルに引き上げることを得意とするコーチについたときの限界です。 もし、あなたに抜きん出た才能か…