多数の人を相手に話すと、講義調、説教調、演説調のようにスタイルが確立していきます。これは、報道、ニュースをみるとわかるでしょう。そして、その調から体へ、「だ」「である」とか「であります」「ございます」なども文体をもち、話のスタイルができてくるのです。
問題は、江戸のことばが全国に広まり、共通語になっていくプロセスです。
明治になり、欧米に追い付くために、日本語は「ローマ字」で統一しようという論議さえありました。漢字は知識人に多く用いられていたので、福澤諭吉は、「漢学制限論」を説きました。
その後、漢文直訳体の仮名まじり文から言文一致、話しことばと書きことばを一致させる運動になるのです。
明治20年代、二葉亭四迷の小説「浮雲」の「だ体」、山田美妙の「胡蝶」の「です体」が、その代表例です。それには、江戸落語を大成した三遊亭圓朝の影響があったようです。彼の「牡丹灯籠」などは速記によって出版され、大ヒットしたといいます。