夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

戦闘ゲームのようにしない

アニメやゲームなどの影響でしょうか。戦闘能力の数値化などから、あまりにデータに頼ることに慣れてしまいました。それを、まるで科学やエビデンスと思うようになったのではないかと思うときがあります。

数値だけを信用の根拠にしてしまうのは、本当におかしなことです。

あえて使わない

現実には、何かをするときに、出身などが関係するのなら、それは大切な情報となります。

だからこそ、必要なところ以外では、そういうことを使わないように心掛けることです。

その情報は、それを必要としないところでは、固定観念、偏見、レッテルになりかねないケースもあるからです。

区別と差別

アイデンティティとして、同郷や同じ学校の出身、同じ世代ということで、仲良くなれます。そうであるなら、そうでない人とは、そこで区分けが生じます。場合によっては、それを差別と感じる人もでてきます。つまり、区別と差別の問題は、絡み合うのです。

差別しないという差別

あることを差別しないということは、そのことを表に出さないことです。学歴や性や出自、宗教、肌の色、国籍は、しばしば、公式の場では、タブーな話題となります。

しかし、その問題を論じるときに、たとえば、性のことなら、「男性として」とか、「女性として」とかの意見のように、性が問われてしまうのです。男性9人に女性1人では、フェアに論じられないと思われるからです。

 しかし、本当は、そこを問わずに話すのなら、同じ人数比にするような必要はないはずです。

「同じ」に反するオリジナリティ☆

同じ評価の元では、普通に正しく言える、歌えるのがよいというだけのことになります。

カラオケもヴォイトレも、そのくらいのレベルしか求められていないから、よいといえるのです。

しかし、もったいないことだと思います。

同じ現実もなければ、同じ人も、同じ歌も、どこにもないのです。

オリジナリティとは、明らかに「同じ」に反するのです。

科学の無力な分野☆

 科学は、エビデンスという、誰もが同じと認めるものの上でしか成り立たちません。

でも、声や歌などの世界では、誰にでも同じようにはみえない、聞こえない、感じられないのです。

もし、「同じようにする」、「同じようになる」というところでエビデンスをとるなら、相当に浅いレベルになります。そのことを知っておいてください。

社会と芸

私が社会生活と芸事との両立というのを考えるようになったのは、いつからでしょう。

修行のように苦しいだけでは続かないし、効果も行き詰まります。

社会は厳しいようでいて、救ってもくれます。

社会と芸事、二本の柱が必要だと思うのです。

評価の意味

一つの評価だけで動かされるのは、とてもおかしいことです。

そうなるのは、どうでもよいものと本質的なものを見分けることができないからではないでしょうか。

それならば、その力をつけることです。

それは、今までの育ちや生き方、やってきたことで大きく変わるところです。

絶対からの脱出

「白黒つけての答え」というのは、雑で乱暴なものです。

大抵、ていねいにみていくと合っていません。

ほとんどの問題はグレーゾーン、程度の問題だからです。

そこに絶対的な正解も間違いもありません。

タコ壺

タコ壺の日本、これは、ヴォイトレだけではなく、医者や学者の世界でも同じようです。
医学部、薬学部、福祉、介護と、それぞれ全く別に学んでいて、大した交流もありません。患者も、医者、検査、薬剤師、看護士と、たらいまわしにされてしまうことが、少なからずあるのです。

 

方針の変わるとき

「納得できない」、「反対」と言われて、すぐに方針や指針が変わることはありません。

そのようなものなら、ポリシーがないということになります。

方針には、それが定められ、受け継がれてきたいきさつ、歴史があるのです。

その上で、改良、改善していくことは、時代や相手によって必要不可欠だと思うのです。いろんな状況、条件は、変化していくからです。もちろん、必要であれば、熟考の末に、即時に、対応、改良、改善していくように心掛けています。