創った作品を聴きたいと思うから人が集まり、聴きたくないと思うと人はいなくなる。私が皆の声(歌)を聴きたいと思ったから、どんどん聴けるようにしていったのです。そういうものがなくなったら場も機会もなくなるのは、あたりまえです。
私もがまん強く、つぶしはしなかった。再び創るのに相当かかりました。つくっていくよりひいていくことの、ひいて、つくっていくことの難しさも経験しました。
今も昔も、いつも変わりつつあるのです。すべてが変わっていく中に、変わらないものがあるのも、これまた真実です。
真実だけでなく、真実と信じ、変えたくなくても現実には、それを変えてしまわざるをえないこともあります。真実でありたいのに、そのことがそのまま通じないままにも続け、対応していかなくてはいけないこともあります。そういう後ろめたさや反省も、つづれないものかもしれません。
私にカリスマであってほしい、私の方法や言っていることはすべてが正しく、誰もがそれで救われる。こういうことを望んで、それがあたりまえのことですが、かなえられないとブチ切れる、今では珍しくもないのですが、幼稚な人にもいました。