NEWヴォイストレーナーの選び方[アーカイブ版]

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に  バックナンバーは「夢実現・目的達成のための考え方と心身のトレーニング」をご覧ください http://bvt.txt-nifty.com/trainersen/

日本人の声の丈

 私は声域より声量、声量より音色であると思っています。歌やせりふでなく、声のトレーニングということです。

 歌い手の世界では、声域(高い声)に悩む人が多いので、それが第一目的になっていることがほとんどです。マイクが使えるから問題にならなくなってきましたが、声が届かない、つまり充分な声量がなくては、声は何もなしえないのです。声量が大切です。

 オペラ、ミュージカル合唱、J-POPS、海外の歌手の声域など、他に合わせるからややこしくなるのです。自分の持って生まれたものを最大限、中心に使うことを考えるのが真っ当なことでしょう。一人ひとりのレッスンの目的や手段は、異なって当然なのです(和田アキ子さんが、裏声のレッスンなど、必要としないのと同じです)。

 日本の歌手やトレーナーがあまりに偏りすぎて、独自のまとまりを作っているので(日本の声楽家も似ていますが)あえて、一石を投じておきます。

 私としては1オクターブで日常会話を話す海外の人たちが歌うのには、その自然な感覚を少し強め高めて、その1.5倍、1オクターブ半を中心にしているのなら、3音(3度)くらいの範囲しか会話で使わない私たち日本人は、半オクターブ、しかも彼らは話し出すと1分間まくしたてる。それが1コーラスなら、10秒くらいでバトンタッチしている私たち日本人は、半オクターブで10秒、短歌の幅で歌うのが身の丈ではないかと思うのです。

 しかも集団好きだから、連歌のようなフレーズつなぎがよいと実践したこともありました(詳しくは会報の「合宿特別号」)。日本の歌謡界の流れ、スマップからエグザイル、モー娘からAKB48の流れをみていると、私の読みも外れていないでしょう。

 

トレーナーの条件

 私はプロ歌手でないトレーナーが、プロ歌手のように歌えなくても、プロの役者でないトレーナーが、彼らのようにせりふを語れなくてもよいと思っています。声のトレーナーなら、プロの声を出せること(出せたこと)が必要なのでしょう。その声一声でわからせることができる、それをもって、プロのトレーナーではないでしょうか。

 

 ルーマニアで、私についたパーソナルトレーナー(フィジカルトレーナー)は男女二人とも、体重100キロ級でしたが、それなりに学べるものがありました。自分の体が管理できていないようにみえました。とはいえ、他人を教えることができるなら、よいとも思えます。となれば、声のないトレーナーも、何か取り柄があればよいと思っています。皆さんも、こうした問題意識を持って、励んでください。

 ここにも、他でトレーナーをやっている人が、学びに来ています。「ヴォイトレのビフォーアフター」で述べましたが、ヴォイトレに資格や定義が決められていないのですから、誰でも、いつからでもトレーナーを名のれます。トレーナーであれば、そのトレーニングで何が得られる、つまり何がどう変わるかを明確にすることです。

 

「アー」の一声

 歌で音程やリズム、発音がよくなっても、声がよくなるのとは違います。歌唱のレッスンでは、ずっと声そのものは、問題にされないできました。元より声のよい人が選ばれていたのです。

 今のヴォイトレでも似たようなものです。トレーナーに「大きな声で『アー』と叫びたい」と言ってみてください。きっと教えてくれません。「声や喉によくないからやめなさい」とか、「歌うことやセリフを言うのと関係ない」と言われるでしょう。でも海外では「アー」と叫べる人、それだけで日本人と大きな差のつく人が歌っているのです。すでにできていることは彼らのメニュには入っていません。

 それは、「結果的に身につく」というものです。それなら、「そこを同じにできるところから入る」というのが、自然ではないのでしょうか。

 赤ちゃんの泣き声は世界共通で、耳も声も人種、民族での差はありません。日本人の赤ちゃんの泣き声が外国人の赤ちゃんに負けていることはありません。しかし、3歳、5歳、8歳、12歳、15歳と育つにつれ、どんどん声の差は広がっていきます。ヴォイトレというからには、それをなくす、その差を縮めると考えるとわかりやすいでしょう。

 こうした本質を説いていた私の初期の本はよく売れました。しかし、巷には歌い手やトレーナーであっても「アー」と言う声さえ体から出せない人が多くなっていきました。

 

声の習得の自然な流れ

 声づくりは、赤ちゃんの頃から声変わりの後あたりまでを前半(10代半ばから20代まで)とします。あとは加齢して変わっていくのを後半とします。声変わりまでのヴォイトレは、無意識に日常の中で、ハードに行われています。そこから意図的にヴォイトレをします。

 効果を出したいのなら、言語学習で臨界期以前に戻るように、声も前半でのプロセスを、再体験していくようにすることです。今度はより深く身につくようにします。

 私はヴォイトレの方法やメニュを、売り出しているのではありません。方法、メニュだけでよいとか悪いとかと言われても困ります。

 現場での声の使われ方は10人10様です。方法、メニュは無限ですが、私は「一つの声で全てを賄っていく」という、シンプルな原理に添っていくだけです。

 一つの声をさまざま使って生きてきたのが現実です。いろいろと用途によって違う声を身に付けようなどというヴォイトレが多いから、ややこしくなるのです。「いくつもの声を習得するのでなく、一つの声を中心にすべてに応用していく」と考えましょう。

方法の限界☆

 どのトレーナーもそれぞれの方法で教えています。新たな方法を知ったからと、習っているトレーナーの方法がよくないとか古いとか、否定してしまうくらいの浅い判断力では、何ともなりません。次のところに行くと、また、その前の方法が否定されるだけです。それが同じ方法だったら、肯定されるのでしょうか。方法自体は、さほど関係ないのです。

 あなたの声は、前と変わっていないのではありませんか。少し器用に響かすことを覚えたくらいというのが、ほとんどの人です。それで過大に評価されている。それでは、本当の自信にも実力にもなりません。トレーナーは、わかっていてそうしているのでしょうか。いえ、けっこうわかっていないことさえあります。

 その状況をきちんと知ることが、声の改革の第一歩なのです。

 ここまでは才能ではありません。事実を事実として素直に受け止めるあなたの力が問われるのです。

 

 なぜ海外にまで行き、あるいは、優れていると言われるトレーナーについたのに、メニュや方法、理論、外国語、発音などいろいろと覚えたのに、声は変わらなかったのか、という根本のことを考えて下さい。

 第一は、時間が短すぎることです。まだトレーニングに至っていません。

 第二に、本質的なことを理解してないことです。

 一流のアーティストの声に含まれていることは、私の研究所のメニュや方法のよし悪しとは関係ないことです。

 第三に、まさにこれが、ほとんど意味のないものにしている理由となる取り組み方です。よい方法やよいメニュ、そのトレーナーの評判やそこで習ったという経験を目的にしているということです。

 私のように本を出しているとよくあることですが、権威づけに1、2回のレッスン体験を欲して来るのです。

 1回のレッスンでもバランス調整くらいならできるので、研究所では、声楽家のトレーナーなどに任せています(レベルⅠ~レベルⅡの問題)。それで充分すぎるくらい満足していただけるのがほとんどです。このパターンは、第一、第二の問題も内包しているのです。

条件の獲得と質の向上

 「強い声」「大きな声」を出すようにというと誤解されて、力ずくの危ない練習を導きかねません。私はレッスンでは「深い声」と言っています。「共鳴する声」―「深い声」―「深い息」―「深い体」、深いというのは、「腹の底からの声」と捉えてください。女性なら「胸の声」あたりです。それをトレーニング、強化しつつ、その結びつきを付けていくのです。

 ヴォイトレで「強化」や「負荷」「抵抗」ということばは、あまり使われません。使ってきたのは私くらいでしょうか。

 素振りをするのは、バットのコントロールとともに、全身の感覚と、体の動き、イメージをきちんと結びつけるためです。同時に体のそれぞれの筋トレにもなっています。

 かつては、「素振りをたくさんしても球は当たらない」、というような批判がありました。それは、すぐに球に当てるのではなく、いつかヒット以上の打球を打つためのトレーニングです。球を当てるなら、腕だけでバットを動かす方が簡単です、素人でもできます。それでは、試合では意味がないから、今、必要でなくても、いつかのためのトレーニングをするのです。

 思えば、昔もそういう理屈っぽい輩に、「ボール球でも、何でもバットに当てるスイングでなく、ど真ん中にきたのを確実にホームランにするためのフォームづくり」というような例えで述べていました。ここでいう球を当てる―飛ばすは、ヴォイトレでは、声の芯を捉える―共鳴する、のような位置づけです。

 目的のとり方が大切なのです。そこからの必要性がトレーニングの質を決めるからです。状態の調整と、条件の獲得が違うことを述べてきました。

 トレーニングという、質を変えるために行うことが、論議も実践もされていないのは残念なことです。育てることについては以前よりも、はるかに浅はかな状況になりつつあります。感覚が鈍ってきたのでしょうか。

 古今東西、世界の一流アーティストを、こんなに手軽に身近に、たくさん聞ける環境があるのにもったいないことです。感覚がなくては、どこに学びに行っても身につきません。

喉の強さ

 もう一つ、誤りやすいことを注意しておきます。声や喉も、スポーツと同じく、やや疲れたときの方が、感情が乗りやすく、伝えやすくなります。それは厳しくいうと判断ミスです。一流のオペラ歌手は鋭い感性と経験で、そんなミスはおかしませんが、ポップスでは甘いです。トレーニングをしていく人にはありがちです。そのまま続くと、喉は疲れ、消耗します。

 日本人で、声量のある人の多くは、この限度をあまり気にせず、練習やライブパフォーマンスで全力を費やします。そこで、その後や翌日に、喉の不調を起こします。これは爆弾を抱えているようなものです。しかし、自覚していたら防ぎようもあります(そのために、レッスンが必要と言っています)。ステージはもとより、体調、メンタル面、年齢やキャリアによって大きく変わってきます。

 

 「トレーニングというのは諸刃の剣、必要悪」とまで言ってきた私ですから、そういうことを記録し反省して、改良していくようにアドバイスしています。それは勇気を持って限界にチャレンジして経験を積んでいくことです。そこから得られる大切なものがあるのです。

 トレーナーは、声=喉を守る役割があります。すぐに喉を壊すようなトレーナーは番外です。しかし、全く喉に負担のない声しか使えないトレーナーも困りものです。私の研究所では、声をこわしやすい人、洋画の吹き替えの声優や、子供ミュージカル役者、教師なども訪れますから、務まりません。

 「喉が強い」と伝わってくるような歌手やトレーナーが、日本においては、あまりに少ないのです。ここでいう喉は、生まれつきとか、ムチャをしても、ということではありません。トレーニングで、しっかりと鍛えられ、素人とは違うとわかるレベルです。アナウンサーが、原稿を読み上げるとアナウンサーとわかるように、声優が、セリフを言うと声優とわかるというように、プロとしてはごく当たり前の声ということです。

負荷のレベル

 無理に負担をかけて、重い強い声にしようとしては喉を壊しかねません。自然にできていくのを、できていかないようにしているから、どの程度に無理をしていくのかがトレーニングの肝です。これを私は「負荷」や「抵抗」といっています。

 きちんとした結びつきを感じられないうちに、思いっきり息を出して、その息を思いっきり声にする、さらに、それを高くとか、シャウトとか、大きくとか、長くとか、続けてやるとかで、無理になりすぎてしまいます。それは初心者には自殺行為に等しいことです。特に自主トレでは。プロでもやってはいけません。だからこそ、息なのです。

 喉を傷めたり、調子によくないときは、のどを休めることです。

 本番前に、息だけを流すというのは、私もよくやりました。オペラの教本にもあります。声を出すのは声帯を振動させることで、その負担やリスクを考えて、できるだけ喉を温存するわけです。

 ただ、いつまでも体や神経まで、うまく働かないままでは困るのです。そこで、アフォーメーションとして、呼吸を使っておくのです。ボクサーが試合前に、体を動かして、汗をかいておくのと同じです。サンドバックなどを叩きすぎては、フルラウンド前に疲れてしまう。でも、じっとして、いきなりリングに出たら1ラウンドでKOでしょう。

 声も息も体も温め、スタンバイできる態勢をつかまなくてはいけないのです。

頭部共鳴オンリー主義の限界

 私は基本トレーニングのなかでは、あまり高いところまでは無理させませんが、頭部の共鳴はイメージさせています。頭部で響くのはよいのですが、響かせるようにするのは、あまりよくないのです。これは、多くの場合、くせ声です。

 このくせ声を誘導するトレーナーが多いようですが、楽にうまくなるものの、実のところ、音に届くだけで、音色も太さもほとんどコントロールできず、ハイレベルではあまり使えません。そこを安定→固定させることで、次の発展を阻害する要因になります。

 優れたトレーナー、特に声楽家の中には(テノールやソプラノに多い)そのくせをつけては取りながら、まっとうに発声を伸ばしていく技量をもつ人も、少数ですがいます(「レベルⅡ」参考)。

 年数を続けるうちに、自然に体、息が強化されて理想に近づいていく人もいます。恵まれた声質と感覚のある人で、日本でのテノール、ソプラノの成功者はおよそ、このタイプです(私の考え方に否定的な人も、このタイプに多いです)。

 しかし、彼らの方法というより目的とするイメージでは、現実に世界では第一線で通じていないということで、私は3つほど仮説を立てています。1.メタリックな輝く頭声、2.深い息と体の支え、3.芯のある胸声、これらの欠如について、です。

 体―息―声の細い結びつきを、キープしているうちに、声に共鳴が加わってきます。発声して共鳴するより、共鳴が発声を正していくイメージです。☆

プロセスは私と同じですが、私は、声―息―体と基本に逆のぼるのに対し、彼らは、声―共鳴を中心にしていたのにすぎないことが多いです。

 いろんなやり方があってよいと思います。例えば頭声→胸声も胸声→頭声も、この順もどちらがよいと決める必要はありません。

 日本の声楽の教育を批判しているつもりはありません。海外からの受け売りで、メニュや方法は海外のと同じです。ただ、それを使う人のもっている条件(器、体、言語、日常)という前提が違っているのです。一言でいうと小中学生の合唱団に、40代の大人のレッスンをやらせているようなものです。日本には前者しかいない、それも頭声だけですべてやろうとするような人が多いから、結果として次の要素が最後まで欠けているのです。声楽だけでなく、ポップスにもそのまま言えることです。

太さ、深さ、インパクト、強さ、大きさ、パワー、タフネス

感情表現、日常性、ダイナミズム、ドラマツルギー、個性

 最初から2オクターブの歌唱を目指すか、まずは1音での完成度を目指すかということです。

基本の「ハイ」

 私のトレーニングには、上半身を90度、腰から屈伸させ、床に背中が平行になるようにして「ハイ」を出すことがあります。前腹を押さえる(前腹が圧迫される)ので、横や背の筋肉が使われやすく、横隔膜呼吸の拡大を意図します。もう一つの理由は、下半身を固定して、上半身だけのコントロールをしやすくするためです。ひざは緩めてかまいません。

 入り口では、話声域、胸声をメインにしています。ここはすでに、私たちが持っている声ですが、使いきれていません。これは、出しやすい中音域の発声が完成に至りにくいのと似ています。生じ使えてしまっているからできていないのです。

 ベテラン役者の中には、この地声を自然に高い完成レベルで使えている人が結構います。大きく怒鳴れるのです。海外の人の声を聞いてください。胸の響きで話せる人が多いから、声がひびきます。響くというと、振動するイメージとなりかねないので、「通る声」を出す、ありきたりの言い方では、「腹から声が出る」ということです。