ヴォイストレーナーの選び方[アーカイブ版]

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に  バックナンバーは「夢実現・目的達成のための考え方と心身のトレーニング」をご覧ください http://bvt.txt-nifty.com/trainersen/

プログラム化

 これまでにもボディビルダーやフィジカルトレーナーのように体のつくりそのものを研究してきました。いつか毎日のトレーニングメニュや食事など、24時間の管理において、ベストのプログラムを実現していくのは、トレーナーの夢でしょう。

 「貴方は、この項目のうち、この○項目に問題があります」「このメニュを毎日、○分○回くり返し、○ヶ月たてば必ず解決できます」そう言いたいのです。

 

 勘と経験を頼りというところから、データとトレーナーの知恵を使ってきたおかげで、私一人でやっていたときよりは、多くの人に対応できるようになりました。

しかし、その完成度はスポーツのトレーニングなどからみると雲泥の差です。彼らは3Dセンサーから血液分析まで24時間をデータ収集し分析し、プログラム化しているのです。

 声は楽器とも異なり、客観的に効果を測りにくいためにアプローチが発展しません。データも客観的でなく、その理解や判断も状況にすぎません。勘を頼りのプロジェクトで、実績、結果として積み上げているのが現状です。

 

筋肉と声

 向こうの曲に関西弁をつけて大ヒットをとばした歌手が、私のところに向こうのレベルの声と体を求めてきたことがあります。そのころの私は、まだ体についての理解が十分ではなかったので、彼は、イチローのトレーナーのところに行きました。「1ヶ月で太ももが2倍になった」と言って、それに対応できるようなヴォイトレを求めていたのです。

 1ヶ月では声の太さは2倍にはなりません。外国人のような声にもなりません。あるいは、声の太さや外国人と同じとは、どんなことなのかということになります。

 声帯は2倍にもなりません。喉の筋肉を2倍にはできません。将来の整形外科手術などでは可能かもしれませんが、発声と筋肉量の明確な関係はわかっていません。筋肉の力の働きとその結果の発声は違います。力でなく音に変化させるのですから、筋肉を使うとはいえ、音響物理学や音声生理学の分野です。

 

絶対視しない

 歌や声が声がよいからとまねしたところで、人は育つものでしょうか。それがトレーナーの資格だとすると、私も世界一、声がよく、歌がうまくならなくてはなりません。

 私が見本をみせるとよくないのは、それがサンプルになるからです。サンプルの一例というならよいのですが、気をつけないと(いや、気をつけていても)絶対視されていくことがあります。

 ポピュラーではオペラと違い(オペラでもそうかもしれませんが)、先生に似ていくのは自殺行為になるのです。

 影響力のある人ほど、その影響をストレートに与えすぎてはいけません。それによって洗脳された人が集まるようになります。

 一流のアーティストと出会い、そこに学んでいくやり方は、これまでも述べました。環境=場と材料、基準を与え習慣化させていくことが、ここのレッスンの真髄です。それがわからない人との間では、私も、個人レッスンになってからは、気兼ねなく声を出しています。

叩き台

 これを述べているのは、自己を正当化するためではありません。結果として、誰でも自分が正しいという自己肯定から始めています。ですから、批判すると、天に投げた矢は、自分に落ちてくるのです。

研究所は、私以上の研究生やトレーナーがきて、学べることを前提につくっています。そうでなければ私が行う意味がありません。

 世の中には、すばらしいアーティストや演奏者がいるのですから、そのようになりたければ、そこに行けばよいのです。しかし、そのうちの1パーセントの人もそうはなれない。そこから、ここはスタートするのです。

 私が教えるのでなく、皆が学ぶのです。私に追い付くのでなく、私やトレーナーを叩き台にしていくのです。本もブログもメニュも材料であり、叩き台です。

 次の時代のために、次の人がより高いところへ行くためにここがあるのです。これを間違えると、すばらしい劇団とか養成所とかアーティストのところでも、人は育たないのです。

声楽家とクラシック

 声楽家の先生などには「日本人の発声は皆、間違っている」と言う人がいます。「日頃からイタリア人のように発声しろ」と教える先生もいます。私はそういう人の理解者でもありますが、教え方については、一般化できないから相手にされないと思うのです。もちろん、クラシックという分野が確立しているから教えられているのですが。

 私は、歌手はもちろん、声優、俳優からビジネスマンにも「声の問題を解決したければオペラを学べ」と言っています。オペラ歌手に学べとは言いません。オペラ歌手のような声になりたくなくても、クラシックといわれるものには、人類の財産として共有するに値するよいものが詰まっていると思います。

 多くの声楽家は、「他の先生は発声も教え方も間違っている」と言わないまでも思っているのです。それには違和感を感じざるをえません。

 「大人のラジオ体操」にも、プラスαとしてバレエの基礎やヨーガが、載っていました。人類皆兄弟です。

 

劣化の逆

 声を使わなくなったための劣化は、声をよく使う職業から引退した人をみると、よくわかります。歌手のなどは、歌わなくなると声が高いところへ届かなくなり、声量も衰えます。

 トレーニングは、使わないために劣化することの逆をやると思えば良いのです。使っていくことで、その扱いをすぐれさせていくのです。

使い方を間違えると痛めるのは、他の分野の身体トレーニングと同じです。

 目的とその人にあった量や時間がありますから、無理せずにゆっくりとコツコツ長く続けていくのが理想です。早く変えたいからトレーニングすると、そこに必ず矛盾が出てくるのです。

 「使い方を間違える」というと、声の間違い、間違った声や不正解の声があるかのように思われる人もいるでしょう。これは目的にそぐわない方向にすることと考えましょう。

声の使い方での変化

 ものまね芸人を見ていると、意図的にいろんな音色をつくる能力を、人は持っていることがわかります。奥様には、「よそ行き声」と子供を叱る声が、1オクターブも違う人もいます。電話での応答で、相手によって別人になるのは、女性に限ったことではありません。

 これらは口内や声道での変化によって可能なので、声の使い方となります。

魚市場のせりの声やアメ横の売り声は、職によって嗄れ声になることが多いのですが、なかには立派な声の人もいます。

同じ人でも社長になるか平社員か、営業か技術職かでも20、30年の歳月は人の声を変えます。データとしてはとりがたいでしょう。心身が弱ると声が別人のようになることもよくあります。ホルモンでも違ってきます。

 

プロと声

 確かに発声法でなく、声そのものが変わっている人で、声でプロになっていく人もたくさんいるのです。

 プロという声の定義はとてもややこしいのですが、私は、いくつか機能面をチェックとしてあげています。その多くは総合化したもの、声の使い方であって声そのものではありません。

 本質は、声質、音色についての変化についてみることです。

 役者、声楽家には、声が大きく変わる人がいます。一般的に、他の分野では10代後半から20代、成長が止まるまではあまり、落ち着きません。その後、老けたり、かすれたりすることはあります。しかし、男性の第二次性徴期の声変わりほどの大きな変化は起きません。

顔が人を表すのと同じく、声も人を表します。職業や地位の変化により、声は驚くほど変わることがあります。

 同じ人でさえ、自信のあるときと、落ち込んだときとで変わるものです。

本質の話~総合化と個別化

 声のまわりの問題を総合してから、その人自身の声そのものの問題に焦点をあてます。そこで、声はどのように鍛えられていくかということをみてきました。

 ヴォイストレーナーも成果を急がされ、プロデューサーや演出家的のような役割を求められています。そのなかで、これは忘れられ、取り上げられずにきた大問題です。彼らは声質や才能ある、すでに選ばれた人を扱えばよいということです。

そうしたチェックとの違いは、選ばれるまでブラッシュアップして、よりよくセッティングし、調整するのです。

 

 私も最初はプロにだけレッスンをしていました。

トレーナーは、トレーニングで、そうでない人をプロレベルにしなくては、その名には値しないと思ったのです。そこからのここの現実の歩みについては述べました。

 アーティストを育てるのは10戦10勝とはいきません。なのにヴォイトレは、確実なものとして、ローリスクローリターンの声の調整一辺倒になってきたのです。

バランスをとるのではなく崩す

 歌唱、発声の2オクターブをみると、ほとんどは1オクターブ半以上高くなると、声帯の使い方が変わります(声域が変わる。裏声、ファルセット)。別のやり方で、振動数(つまり周波数)を増やす使い方にします。

「基礎講座」では、基礎の1オクターブまでが中心なのです。話声区に限れば、強く言うと高くなるという、単に、声門下圧と声帯(声帯の長さと緊張度)で捉えてよいのです。

 多くの人は喉声なので、私は、胸声でのフレーズで動かせるようにしています。クレッシェンドと同じ感覚で音程(この場合、高めの音)をとります(「メロディ処理」=私の造語)。

 ベルディングのようなのは、声楽では中高音以上になると、その発声を否定されています。単なる命名では実体を伴わないので論じません。地声(1オクターブ内)では、一流の声楽家は、声の芯で同質の深い共鳴をキープしています

日本人が歌唱をせりふの延長上でなく、響きの方からもってきたことについては、非日常的で、そこに二重性の問題をはらむというのが、私の立場です。日本人の歌唱が、なかなかしぜんなロックや、ミュージカルにならないことで証されています。

 すべてのバランスをとることが、うまくこなすこととして目的になりがちですが、トレーニングは、そのベースを固めつつ、ときに、その逆を試みるものということです。バランスを意図的に崩してそこで、異なる可能性を追求するのです。特別なメニュを使うのも、そのためです。

そうして自分自身の声の可能性を知っていくのです。基礎だけでなく応用である表現で、これまでのバランスを壊しても作品がもつように、それがもっとよくなるようにしたいものです。