ヴォイストレーナーの選び方[アーカイブ版]

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に  バックナンバーは「夢実現・目的達成のための考え方と心身のトレーニング」をご覧ください http://bvt.txt-nifty.com/trainersen/

しぜんのレベル

私も無理して背伸びする時間があったからこそ、今があるのですが、ここ4、5年、トレーニングを再開して、確かに声の調子がよくなったので、自分のメソッドのよさを実感しています。どのメソッドも、そのまま他人に通じるわけではありませんが。

 私は、舞台を降りてからは、発声のトレーニングをしなくても声に困らなかったのです。まわりのトレーナーには、怠慢にみえたことでしょう。

しかし、当時はレッスンの指導を、朝の10時半か11時から夜の10時か11時まで、ひどいときは、食事もなく15分の休憩で続けていたのです。

夜だけのレッスンのときも、それまでに人に会ったり講演で、毎日最低4時間、多いときは8時間、声を使っていました。

今も、私は4~8時間、声を出しても支障はありません。しぜんであるというのは、その生活にそれだけの声が必須であり、それだけの声を出しているのです。

 しぜん、毎日の生活、そういうものから離れた声や歌やアートというのは、私は、あまり好きではありません。もちろん、アートは非日常かつ華やかなものだからこそ、客は日常を離れて楽しめるものです。ですが、出演者は別です。本来、客の数倍も大きな日常の世界に住み、高度な芸をしぜんにふるまうべきでしょう。私は、日本のオペラに、しぜんを感じたことは、あまりありません。ミュージカルにもです。その違和感にいつもなじめないジレンマを感じています。

自然と訓練

正月恒例のガラコンサートに文枝師匠が出演されていたので、通してみました。昨年は少し若返りして、ガリガリしていた、若さでなく質ですが、今年は、今の日本の舞台でよくやるものを中心に、タレント、知名度のある人をもってきて視聴率を上げようとしていたようです。

 今、研究所では12~15名のオペラ歌手がいます。音大の先生との交流もあります。

 クラシック好きの文枝さんよりも、三橋美智也好きの談志さんに私は影響を受けたので、亡き氏を偲びつつ、オペラの声と2人の声を比べてみたりしたのです。

 私はオペラのよき理解者でもよき観客でもないし、ポップスについても同じですが、どちらも肩入れしない分、客としてフェアでしぜんであるつもりです。そこを求めてくる人もいるので、できるだけ、しぜんでいようと思うのです。トレーニングは、無理せずしぜんに、というわけにはいかないのですが…。しぜんではないけど、みるのです。

 出演されている人は、音楽面や語学はもちろん、歴史や地理から台本に、膨大な時間を費やして出ているので、その努力には毎度、頭が下がります。皆、キャリアは、プロとして必要な1万時間は超えているでしょう。

 

本一冊分のノウハウ

私はトレーナーにも生徒にも一冊の本を、自分の本を書くように言っています。本当に書いた人はこれまで数人ですが、本一冊分以上書いた人もたくさんいます。

 トレーナーなら2、3年で毎回しっかりレポートを出しているので、それだけで400字200枚くらいになります。週に400字×3枚ほどでも2年ほどで一冊分となるのです。

 

 一回の出会いでも一期一会で、変われる人は変わるのです。今もレクチャーは月に何回か行っています。その人を本当に知るには 何年かかかります。トレーニングが幹となり、枝葉となり、たわわに実るのは、その辺りからです。

 守の3年、破の3年、離の3年でも、桃、栗3年、柿8年でも、石の上に3年でも同じです。他の人が大体、続かなくなってあきらめたところから、道が開けてくるものです。そこからが楽しいのです。

 もちろん、最初から楽しい人はとても恵まれています。

 「声が守=固める。声が破=動き出す。委ねていく。声が離=自在、自由になる」というのが、私の思う10年です。

複数の視点

一つの方法がよいか、複数の方法がよいか。トレーナーを変えた方がよいか、続ける方がよいか。私は「どこのトレーナーがよくない」ということはありません。ここと両立させている人もいるからです。

 ここのトレーナーは最低2人ついて、それをメタでみるサードオピニオンとして私や別の専門家がいることが、他とは大きく違います。他のトレーナーの価値観や方法、メニュについても、たくさんの情報が入ってきます。判断の材料が多くなるわけです。他のところではOKでも、そこから絞り込めば、矛盾も問題もけっこう出てきます。

 いつかそれを楽しみ、自分の変化を楽しめるようになればよいのです。トレーナーや私が、あなたを変えるのでも、つくるのでもありません。自らを知るために人につくのです。☆

 私は、「トレーナーにあなたのレッスンの邪魔をさせない」ように注意しています。

 教わりにくるところであっても、いずれは、主体的にならなくてはなりません。日本人は、自立、主体的ということを大人になっても、どこかで学ばなくてはいけない人が多いようです。

 私は昔、教わりに行きましたが、一方的に教えられたくはなかったから、あまり教えないところにしました。

芸事は環境を与えて待つのです。そこの醸し出す空気が、先人たちが流した汗と涙がみえない力となっていくのです。人類のDNA、地球も宇宙も、あなたが、あなたであるように助けてくれるのです。

経験の限界

いろんなトレーナーが20年、30年とかけて、人をみてきたところからの判断や処方は、とても参考になります。トレーナーにも天才的な人や神様のような人もいますが、実績のある人ほど、ある特定の条件下での対応となってしまうため、なかなか一般化できません。

 トレーナーの書いた本が、トレーナーが望むようにうまく使われていないのも、その証拠です。それでも「すごい効果が出た」とか「声が変わった」と言ってくる人がいるのは、ありがたいですが、複雑な心境です。それがどの程度なものか、本当にメニュのおかげかもわかりません。他のメニュの方がもっと早く高い効果が出たという可能性もあります。

 トレーナー、レッスン、トレーニングについても同じことがいえます。十数名ものトレーナーがいると、いろんな試行ができます。多くの人は1人のトレーナーと進めて、問題も深くつきつめられないことが多いように思います。

プログラム化

 これまでにもボディビルダーやフィジカルトレーナーのように体のつくりそのものを研究してきました。いつか毎日のトレーニングメニュや食事など、24時間の管理において、ベストのプログラムを実現していくのは、トレーナーの夢でしょう。

 「貴方は、この項目のうち、この○項目に問題があります」「このメニュを毎日、○分○回くり返し、○ヶ月たてば必ず解決できます」そう言いたいのです。

 

 勘と経験を頼りというところから、データとトレーナーの知恵を使ってきたおかげで、私一人でやっていたときよりは、多くの人に対応できるようになりました。

しかし、その完成度はスポーツのトレーニングなどからみると雲泥の差です。彼らは3Dセンサーから血液分析まで24時間をデータ収集し分析し、プログラム化しているのです。

 声は楽器とも異なり、客観的に効果を測りにくいためにアプローチが発展しません。データも客観的でなく、その理解や判断も状況にすぎません。勘を頼りのプロジェクトで、実績、結果として積み上げているのが現状です。

 

筋肉と声

 向こうの曲に関西弁をつけて大ヒットをとばした歌手が、私のところに向こうのレベルの声と体を求めてきたことがあります。そのころの私は、まだ体についての理解が十分ではなかったので、彼は、イチローのトレーナーのところに行きました。「1ヶ月で太ももが2倍になった」と言って、それに対応できるようなヴォイトレを求めていたのです。

 1ヶ月では声の太さは2倍にはなりません。外国人のような声にもなりません。あるいは、声の太さや外国人と同じとは、どんなことなのかということになります。

 声帯は2倍にもなりません。喉の筋肉を2倍にはできません。将来の整形外科手術などでは可能かもしれませんが、発声と筋肉量の明確な関係はわかっていません。筋肉の力の働きとその結果の発声は違います。力でなく音に変化させるのですから、筋肉を使うとはいえ、音響物理学や音声生理学の分野です。

 

絶対視しない

 歌や声が声がよいからとまねしたところで、人は育つものでしょうか。それがトレーナーの資格だとすると、私も世界一、声がよく、歌がうまくならなくてはなりません。

 私が見本をみせるとよくないのは、それがサンプルになるからです。サンプルの一例というならよいのですが、気をつけないと(いや、気をつけていても)絶対視されていくことがあります。

 ポピュラーではオペラと違い(オペラでもそうかもしれませんが)、先生に似ていくのは自殺行為になるのです。

 影響力のある人ほど、その影響をストレートに与えすぎてはいけません。それによって洗脳された人が集まるようになります。

 一流のアーティストと出会い、そこに学んでいくやり方は、これまでも述べました。環境=場と材料、基準を与え習慣化させていくことが、ここのレッスンの真髄です。それがわからない人との間では、私も、個人レッスンになってからは、気兼ねなく声を出しています。

叩き台

 これを述べているのは、自己を正当化するためではありません。結果として、誰でも自分が正しいという自己肯定から始めています。ですから、批判すると、天に投げた矢は、自分に落ちてくるのです。

研究所は、私以上の研究生やトレーナーがきて、学べることを前提につくっています。そうでなければ私が行う意味がありません。

 世の中には、すばらしいアーティストや演奏者がいるのですから、そのようになりたければ、そこに行けばよいのです。しかし、そのうちの1パーセントの人もそうはなれない。そこから、ここはスタートするのです。

 私が教えるのでなく、皆が学ぶのです。私に追い付くのでなく、私やトレーナーを叩き台にしていくのです。本もブログもメニュも材料であり、叩き台です。

 次の時代のために、次の人がより高いところへ行くためにここがあるのです。これを間違えると、すばらしい劇団とか養成所とかアーティストのところでも、人は育たないのです。

声楽家とクラシック

 声楽家の先生などには「日本人の発声は皆、間違っている」と言う人がいます。「日頃からイタリア人のように発声しろ」と教える先生もいます。私はそういう人の理解者でもありますが、教え方については、一般化できないから相手にされないと思うのです。もちろん、クラシックという分野が確立しているから教えられているのですが。

 私は、歌手はもちろん、声優、俳優からビジネスマンにも「声の問題を解決したければオペラを学べ」と言っています。オペラ歌手に学べとは言いません。オペラ歌手のような声になりたくなくても、クラシックといわれるものには、人類の財産として共有するに値するよいものが詰まっていると思います。

 多くの声楽家は、「他の先生は発声も教え方も間違っている」と言わないまでも思っているのです。それには違和感を感じざるをえません。

 「大人のラジオ体操」にも、プラスαとしてバレエの基礎やヨーガが、載っていました。人類皆兄弟です。