NEWヴォイストレーナーの選び方[アーカイブ版]

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に  バックナンバーは「夢実現・目的達成のための考え方と心身のトレーニング」をご覧ください http://bvt.txt-nifty.com/trainersen/

自分のストライクゾーン

 長嶋さんのレベルでは、ストライクとボールの区別もなく、単に打てる球、打てない球、いや、打ちたい球と打ちたくない球だったのでしょう。野球がおもしろいのは、どんな悪球、ワンバウンドした球でも、敬遠の球でも、打ってもよいということです。確かにボール球はヒットになる確率は低いのです。一流は、そんな常識も通じないからこそ一流なのです。これこそが、声や歌で一流になろうとする人が知っておかなくてはならないことです。そういう人を育てたいと思っているトレーナーが心しておくことです。狭い判断や自分のパフォーマンスのために、その人の大いなる可能性を邪魔しないように気をつけることです。

 

 レッスンをしたり、トレーニングをしたり、アドバイスをすることで、ことばにしたり、マニュアルや本にすることで、何かは、まとまり、その分、何かは失われます。

 いくら科学的な分析や理論が進んでも、一流のプレーヤーはさして多くなりません。一流のアーティストもそこからは生まれません。学ぶこと、知ることは大切ですが、頭でっかちにならないことです。頭をとるために学ぶのだということを忘れないでください。トレーナーも、頭の固まりみたいな人が多いものです。

「一つの声」から

 私のお決まりの比較表です。

ステージ・本番   トレーニン

応用        基本

全身        部分

調整        強化

無意識       意識的

 しかし、そこへ至るプロセスの練習では、意識して、部分的につかみ変えていくのです。

 役者が肉体をパーツに分け、パントマイムを学ぶように、です。

 ちなみに、ファインプレーは応用の最たるものです。それを誰も練習しません。危険ですから、同じプレイなら、ファインプレーにせずに、基本のレベルで処理できる人のほうがずっとレベルが上です。難しいボールを派手に転倒してとる人より、地味に目立たずとる人の方が実力が上ということです。

 

 ヴォイトレも、声を分け、それぞれをやり方で学んでいくというのが流行しているのでしょうか。トレーナーの方法をみると、3パターンが多いです。初心者にはわかりやすいからでしょうか。ストライクゾーンでいうと、高-中-低、内-中-外の3×3マトリックスと似ていますね。

 私はあえて、まず一つの声といいたいのです。研究所には声優が多くいらしています。仕事としてはまず、最低5~7つの声を使い分けられないといけません。一人何役もやるからです。しかし、私は、一つの声を徹底してマスターしてから応用していくのか、正道と思っています。

その人に無理がくるので、ものまね声やアニメ声からスタートさせません。分けると早く上達したかのようにみえて、早く限界がくるのです。

 噺家は人物を描き分けている、声で演じ分けているといいますが、まったく違う声を使っているのではありません。若い噺家なら、女性なら高く弱く、男性を低くと変える人もいますが、ベテランや名人は、同じ声で、声の表情で分けてみせます。2つの声が必要なのではなく、高度に使える一つの声が必要なのです。ここは声の種類をどうみるかということになりますが、実際の名人の声を聞いて判断してください。

勘と動作

 トレーナーのなかにも、声を分類して名称をつけ、その出し方を一つひとつ教えている人がいます。ヴォーカルでは、地声-裏声、ファルセット、デスヴォイスやエッジヴォイス、低中高音域の発声、ミックスヴォイス、日本人は、こういうことが大好きです。

私は当時、ボール球を打つ練習をしても悪くしかならないという例で、欧米人ヴォーカリストのとてつもなく高い声やダミ声(ハスキーヴォイス)をまねるような練習はしないようにさせていました。

テニスでも野球でも、基礎というのはいろんな球をいろんなフォームで打ち分けるのでなく、もっとも理想的な一つのフォームを身につけること、それで全てをシンプルにまかなうことです。

たとえば体で打つ、腰の入ったフォームを、球を打つ前に徹底してマスターします。

8×8のマップがあろうがなかろうが、そのど真ん中に来た球を百発百中、ホームランにできる力がなければ、通用しないのです。

プロが3割しか打てないのは、プロのピッチャーとの心理的駆け引きのせいで、次にストライクが来るのを読めたら、ほぼ、確実にヒットに(あるいはホームランに)できるそうです。素振りのなかで、8×8どころか、80×80、いや、イメージした線上に1、2ミリの狂いもないようにバットを運ばないと、ホームランにはなりません。物理的に考えたらわかります。

 最大に力が働くところに、タイミング(時間)と空間の軸を瞬時に一致させ、ボールとバットの面での拡張、そして、ボールを運ぶのです。予測(勘)と、選球眼(ボールに手を出さない)、あとはストライクで、打てる球がきたら打つだけなのです。そのために、全身で統合し、シンプル化しておかなくてはいけません。そこにはバットにボールを乗せるとか、まさにイメージ言語でしか伝わらない世界があるのです。

 

 ですから、3×3しか知らない人に、8×8の世界があることを見せるのは、よいことです。しかし、ここで64通りの打ち分けのフォームを教えても、どうなるでしょうか。多分、対応できようもありません。ゴルファーが、肝心の素振りを大してせず、チェックせずに、球とヘッドの角度を測ってばかりいるようなものです。測ってよくないのを知るのは大切ですが、00コンマ何度と考えて練習すると部分的に力が入ってしまうでしょう。全身を一つにして、アウトプットするということが、最大に優先されるべきなのです。

 こうした状態の調整が使い方の工夫がメインになって、細分化されてばかりいくのはよくないことです。一方で、大きく条件をつけていくこと、つまり鍛えて変えるべきところを変えていくことを怠るのなら、本末転倒です。

 

イメージ言語と理論(野村克也氏)

 ヴィジュアルの次におかれる難題は、トレーニングという、本来、自己目的化してはいけない特別なもの(期間、プロセス)のあり方です。

私は野球での、天才型の長嶋茂雄さんと秀才型の野村克也さんとの比較で例えます。「来た球を打つだけ」「こうきたらコーンと打つ」というイメージ言語中心の長嶋さん。これは松井など同じく天才型のバッターにしか伝わらないでしょう。こうきても、こう打っていない人が多いのです。でも、プロ野球選手はエリート中のエリートですから、通じるところもあります。勘、理論、データベースを加えて、指導法から人生哲学にまで結びつけたのが野村さんです。相手打者の研究を徹底して指示する捕手と、野性の勘と派手なパフォーマンスで客を興奮させるサードとの違いでもありました。

 野村監督がストライクゾーンを8×8の64に分けました。ピッチャーもそのときは考えていても、そのデータの蓄積から出てくるものは知らないのです。そこで野村さんの術中(読み)にはまるわけです。

 私は、かなり前に、この8×8の考え方を、声にあてはめて述べたことがあります。私のような素人では、せいぜいストライクゾーンといってもバッティングセンターやゲームセンターなどにある3×3の9のマップしかないのです。それを8×8=64で区分けして捉えるのは、よりていねい、繊細なコントロールや判断が必要とされるということです。もちろん、3×3でコントロールできないうちは、8×8は無意味ですが、その先の世界を意識づけしておくのは有意義です。そして、レッスンやトレーニングを次元アップさせる感覚の意識的基準になります。

みかけの効果

 滑舌はやればやるほど、すぐによくなります。誰でも判断がつくので、一般受けするメニュです。私も、一般向けの研修に入れます。一回だけとか、一日だけ、というところでは、デモンストレーション、パフォーマンス、プレゼンテーションの要素を求められてしまうのす。

体験レッスンなどもその一つでしょう。すると、ビジュアル的に、使用前、使用後と、こう変わりました、のような即興効果に焦点を当てざるをえないのです。

 

私が一時、必要としたのは、そういう方面で能力のあるトレーナーでした。私もスタートはそれがあったからこそ業界に求められ、プロになれたのです。

 これは根深い問題です。真のレッスンと、みかけのレッスンとの違いといって片づけられない、というのも、形に実が伴わない、みかけが、真を呼び込むこともあるからです。

 私が組むのは、少なくとも自分のやっていることの位置づけがみえている人です。他の人をまねただけでやっているトレーナーには、この仮やみかけを、ど真ん中に思い込んでいる人が少なくありません。 

 

 多くのトレーナーが研究所にもきています。教えているトレーナーでなく、生徒として学んでいるトレーナーです。それはとてもよいことです。トレーナーには、学ぶことの必要を誤解している人が少なくないからです。

自分の方法を相手にやって効果が出ないと、資質がないとか、努力不足として片づけてしまうのです。これは、すぐれた人ばかりをみているトレーナーの中にも、昔から多かったので、私はそういうトレーナーを「先生」として、区別しています。お山の大将でも、お山の上だけなら、そこでやれていたらよいのです。

一流のアーティストに役立てばよいというのと、1000人の一般の人が確実によくなる(よくなったと思わせる)のは、同じことではありません。トレーナーの置かれた立場、相手の目的、レベルによっても変わります。

 今の研究所は、広く多くの異なる目的やレベルに対応して、方法やメニュも多彩にしています。

 一流のアーティストへのレッスンをバックボーンにもちつつ、いらっしゃる人のニーズに合わせ、応用しているところです。

 そのよしあしは、こうしていつもチェックし、舵取りをしています。教えることのまえに、みることに専念するのです。

マジックの効用

 その日にすぐに結果を出すためのレッスンやワークショップというのは、考えものです。ますますそういうことを求められているからです。一番ひどいのは、TVやYoutube、動画といった映像で、目で見える効果を最大限に発揮するものですから、ビジュアル>オーディオです。日本人の視覚優先社会、最近はわかりやすいものしか認めない感覚が輪をかけています。身近な道具を使うトレーナーや声をグラフ化してみせる分析家が優先されるのです。

 早逝されましたが、ピンポン玉、割りばしなどで声をよくしていた上野氏などは、TVによく出ていました。私も、カラオケの取材がよくあったのですが、TVという媒体が、あまりに本質よりも表層だけ曲げて伝えるので、お断りしているうちに来なくなりました。90年代には、経験としてトレーナーに振っていたのですが、リズムを縄跳びしかクローズアップしないことなどでショックを受けました。音の変化よりも、滑舌、高音など、明らかなものに集約されるのは、しかたありません。企画書に、主婦の日常でできるトレーニングに包丁を使い、リズムを取るなどと台本にあったときに、ムリと思いました。

 90年代終わりからは、お笑い芸人タレントが仕切る番組が多くなり、バラエティ化して、おもしろいもの、楽なものが求められるようになりました。私は電話があると、上野氏のほうへ振っていました。

 彼の名誉のために言っておくと、彼の声はよかったし、ヴォイトレを一般化させた功績は大きいと思います。タレント、芸能人(ボブ・サップあたり)と、一般の人が対象でしたから、マジシャンのような役割を自ら引き受けられていたのだと思います。

 比較的まともな番組で、科学的として専門家や大学の教授が出るものでも、声で行なうことは、話題に合わせ、パフォーマンス化しています。番組のために即興でつくられた驚きをあたえたり、視覚の効果的でおもしろいメニュ、方法が多いのです。

 私は、心身、健康とも結びつく発声、声だからこそ、細心の注意を払うべきと考えています。声の判断は、とても難しいものです。それを見てまねる人に、のどが悪くなったり、方向違いの努力を強いられることを憂慮せざるをえません。

 「トレーナーに合うが自分に合わないもの」もあります。まして、みせるための方法は、よくありません。

天のやり方、地のやり方

 天才の俯瞰的な物の見方と、秀才の俯瞰的な積み重ねの二方向からのアプローチが必要です。

 どんなに毎日トレーニングしていても、それが日常、あたりまえとなると次のレベルが求められます。常に非日常を日常化して、そこに非日常をセットする取り組みが求められるのです。私は、これを「状態づくりから条件づくりへ」、つまり、今の状態のベターを取り出すことは、将来のベストを求めることの前提としています。しかし、必ずしもつながっていないこともがあるのです。

それをくい止めるために、頭が空っぽにするのが必要と考えてください。

 私は今、一番出しやすい声からアプローチさせますが、その声イコール将来の目指すべき声そのものではありません。もしかするとその基礎も当たらないということもあります。これは、どこかで考えておくべきなのです。

 今その人の一番出しやすい声よりも、トレーナーは、自分の理想の声そのものや自分の発声、あるいは、その人の理想と思い込んだ声を押しつけやすいのです。トレーナーというのは、この点で危険な存在ともいえます。

 稽古やトレーニングが理不尽、修羅場であることで、自らを捨てて、つかんだり、「破」や「離」ができるきっかけになるのなら、結果として、よいことです。これは、その人の資質によるので、人をよくみて、対処するとしかいいようがありません。

方法やメニュではない

他のところのレッスンの方法やメニュ、考え方、理論、説明、関連商品などについても、正誤を知りたく、いらっしゃる人がいますが、私は他のところについては寛大です。

ことば、知識、科学としておかしくても、ペーパーテストではないのですから、成果が出ていたらよいのです。ことばや理論を読めば、大体、どの程度のものかはわかります。

 それに惹かれる人はそのレベルですから、そこからスタートすればよいのです。優れたら、次のステップ、次のトレーナーへ進めばよいのです。

どっぷり浸かっても、本当に全力でやっていくと必ず次につながります。侮いを残すのは、全力でやらなかったからです。全力でやれなければ、やれる環境にしていくことです。どこにいくとか、誰につくではなく、それを元に自らの環境や習慣、生活をどう変えるかが本質的な問題です。そのために自分のセンサーを磨いていくことです。

 私はレッスンで、声がよくならなくとも歌がうまくならなくとも、センサーが磨かれ、基準が一流レベルに高まっていればよいと思っています。おのずと成すべきことがわかるからです。すると、そう行動し、必要なこととめぐり会えるからです。

 その基準があれば、トレーナーにそれを満たす材料をもらえばよいのです。レッスンではチェックして、目的とのギャップをみて、その材料をもらいます。トレーニングをしてギャップを埋め、レッスンで高い目的をもらいます。それを自らの必要性として深めて満たしていく。それが研究所の求めているところです。

 評判や雰囲気に影響されるのではなく、本質をきちんとみることです。長く多くの人とやっていける人は、本当に少ないのです。5年で95%の会社は潰れているます。誰も潰したいのではないのに、あたりまえのことがあたりまえにできていないからそうなるのです。

 私は、2、3年の関係で、人を信用することも、評価することもありません。寛容です。誰から何をいわれても、その人を否定したり、関係をこちらから絶つこともありません。よいところをみつけていく、それは基本、大切なものが発酵していくのに要する沈黙の期間なのです。

充実感と実績

 トレーナーや医者というのは、職業上、個人情報の秘匿が義務です。いらっしゃる人も、あまり他の人に知られたくないことを話せます。それがレッスンに関係することもあります。メンタルのケアが入るので、精神科医と同じようなことに気をつけるようにしています。

 トレーナーにも、生徒さんの情報の扱いには厳しい契約をしています。生徒さんの情報も個人が特定されることは出していません。

 トレーナーを評価し、そのトレーナーに感謝して、名を挙げるのは自由ですが、ここでは、それも困るトレーナーもいます。

その人が、トレーナーに育てられたと思うのは自由として、トレーナーが、この人を育てたというのは、傲慢に思います。私は、関わったとか、ここにいらしたというところまでしか言いません。

プロでなくとも多くのトレーナーについていることもあります。他のところに行って、同じか、それ以上の効果が出ていたかもしれません。充実感や満足度と、実績とは別です。

 私は、ここのトレーナーをほめられるよりも、その人が、トレーナーを利用して、自らの夢を実現された、何かを変えることができたら、嬉しく思います。

有名な人がたまたま来て、数回、接したくらいでその名を挙げるような人の神経はわかりません。人は、10年、15年と長く付き合ってこそ、信頼、信用となるのです。どうして1、2年くらいのレッスンで、成果や結果をPRできるのかと思います。人は人、です。

レッスン環境の保持

オペラ歌手でも医者でも、若くして世に問う、持論をもち本を出したりすると、日本の社会では、ねたみ、そねみ、嫉妬で、疎外されることが少なくありません。一人前でなく、世にも知られていない若さで、人に教える、ポップスや役者、一般の人に教えに行くこと何事かというような風潮はあります。歌手が、医者に行くのも、実力不足、管理不足とみなされ、選抜に影響したり、役から降ろされかねない、精神科医心療内科となると…。この時代錯誤の認識は困ったことです。

 私はどこにも属さないので、何を言われても利害関係がない分、どのプロダクションとも良好の関係を保てます。どこかに推薦してもらっているのでもないから、どのオーソリティ、専門家、学者や医者ともやっていけます。

 ホームページに具体的に名を出さないのは、私の責任の下、レッスンに集中する環境を保持したいからです。

 

 芸能人も有名人も、ここでは一人のレッスン生です。他で話せない苦労や厳しい立場におかれている人も多いので、声を中心に応援をしています。隠れ家的に利用ができるのが最大のメリットです。紹介で来られますので、PRは出していても、活動は別、レッスン室のなかでトレーナーと個別にレッスンは行なわれています。

 関わった人を例に出すのは、どういう分野の人がいるのかはヒントになるからです。体験談も、職業、年齢、性別があれば、伝わるものが大きいと思います。しかし、ここは常にプライバシーを優先しています。私の発言でも、今は個人の名を出すのは控えています。