NEWヴォイストレーナーの選び方[アーカイブ版]

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に  バックナンバーは「夢実現・目的達成のための考え方と心身のトレーニング」をご覧ください http://bvt.txt-nifty.com/trainersen/

脳の働き~シンプル、エコに

 プロの条件の目安について、私の体験でもあり、一般的に言われていることです。発声と違うのですが、ピアニストの指、これは常人離れして強いと思いますか。実はアマチュアと差がないそうです、つまり指のタッチの筋肉系を鍛えても、空手などではよいのでしょうが、ピアニストには、さして関係ないのです。

脳の働きが違うということです。それがどう働くかというと、神経細胞などは、ど下手な私などが弾くと、めちゃめちゃに働き、プロの一流は、いつも通り変わらないそうです。

 これはスポーツでならわかるでしょう。水泳で素人が選手と競泳すると、素人の方が速くたくさん腕や足をバタつかせて力も入ります。プロはひとかきでスーイと伸び進みます。すでにしてシンプルに最も効果的に働くように、プログラムされているのです。

 あなたが初見で歌うと、つっかかる曲も、100回練習したら、楽に声が出るでしょう。シンプル、エコに、それで余力をもってプレイしなくては、人を感動させられません。

 つまり、専門化(スペシャリスト化)、職人化が行われているのです。いくら、喉や発声器官のあり方やメカニズム、個々の動きや状態のよし悪しなど、部分的にこだわったところで、一般的に、一、二割よくなるだけで大して効果ないのです。

身体知

 身体知の話です。私が量のことを言ったのは、根性や精神力や忍耐のこととは違います。かつて芝居の修行などはそういう中で磨かれていったと思います。しかし、私は心地よくさせることでの声の習得を目的としています。楽にというか、楽しく取り組んでもらいたいと思っています。でも日本では、楽しく取り組むのでなく、楽しくしていれば身につくような、大きな勘違いがありますね。

 

 身体に身についたものは、身体そのものの差やメカニズムのように思われますが、大半は脳によるもの、つまり、脳を進化させてこそ、可能になることです。それを最初に知っておきましょう。

 筋トレや柔軟をいくらやっても、やらないよりはよいのですが、そのままでは、スポーツ選手や楽器のプレイヤー、歌手にはなれません。

 記憶術をいくら覚えても、それで英単語を覚えられたのとは違うということです。テストでよい成績を取りたければ、テストの勉強をたくさんする。運動会の100メートル走で1位になりたければ、早く走れる本を読むよりも、瞬足というシューズを買う、いえ、走る練習をたくさんするということです。

イメージの共有

 私はレッスンでよくイメージの図を描きます。体や頭、顔、喉、メロディ、リズムなども、二次元の世界でイメージとして伝えようとします。最初はわからなくても、だんだんと私が何を言いたいのかがわかってくるようになってきます。

 トレーナーと本人との間に共有できたイメージが全てともいえます。それを引き出すのにインデックスをつけたイメージのことば「キーワード」が、レッスンの要なのです。それは二者間でのクローズの世界ですが、私は、他のトレーナーや人にも伝わるようにオープンにしようと考えてきました。

 スポーツより難しいと思います。目でなくて耳の力に負うからです。耳の力を目で補うために、コンピュータでの音声の解析は、発達しましたが、同じ理由で限界があります。

正確さを求めるな~ホムンクルスの図

 体のマッピングを正確に知ることが、絶対条件のように説かれることが多くなりました。自分の体ですし、まして、それを楽器として声を出すのですから、知ることも学ぶことも、教わることもよいです。ただし実演家として、最も大切なのは、正確な体のマッピングではありません。イメージをして最もよく発声できるようなマッピングが必要なのです。

 ホムンクルス(体性感覚)の図を見たことがありますか。それは感覚器のところが大きく描かれています。本来の人の実際とは、かけ離れています。イメージとしての図としては、その方が近いのです。もちろん、発声のイメージとして、よい図ではありません。

知識と実践

 生理学や運動学は学んできましたが、現場では、私はそれを机上のQ&Aとして、知っていても使わない、使えないものとして、封印しています。研究所には、人体の骨格や喉などのパーツの模型が、いくつも揃っていて、まるで病院か理科室のようです。しかし、私は、それでしか説明できない質問のない限り使いません。権威づけには効果的ですが、レッスンの本道とは関係ないからです。トレーナーが知識も知っているのは、よいことです。ただ、使い方、使うときを誤らないことです。

 

 「喉で声を出すな」の世界で、「喉からどのように声が出ているか」を教えるのは矛盾しています。知ることはよいことですが、知っていることで囚われていませんか。忘れられたらいいのですが、最近は、知らないとうまく出せない、知るとうまく出せるような、トリックが幅をきかせているように感じます。

 レッスンを受ける人も説明されると学んだ気になり、得した気になります。科学的とか、理論というのは、よい売り物になるのです。でも、ピアノを弾きたい人が、調律師やメーカーにピアノの仕組みを教えてもらうことは、レッスンと関係ありません。貴重なレッスン時間では、もっと優先すること、時間をかけることがあるのです。

 

人と違うレベルの声

 大声トレーニングで教えているベテランの役者に、プロの役者とやっている人に、トレーナーが「方法が間違っている」とか、「科学的な理論と違う」と言うとしたら、「ちょっと待て」です。

 練習をして、自分の声を、人が一声聞いて、鍛えられている、人と違うレベルだ、信用できると思われるだけのものにしておくことです。

 私も後進のトレーナーを育てている立場です。いつもこういう点について、頭で勘違いしないように、伝える努力をしています。読んだあと、頭を外して身に付けていただければ嬉しいです。

絶対量の累計経験

 人より優れるためには、誰よりも練習しなくてはいけないというのは、馬鹿正直な考えです。そこから抜け切らない人も少なくなりました。

声について、私は日本で一番とはいえませんが、ある時期、これほどやる人はいない、と思えるところまでやりました。

 歌については、私は声の100分の1もやってないのですから、小さい頃から歌っている人に敵わないのです。ヴォイスの専門家は、プロの歌手ではないのです。

量が質をもたらすことを私は体験から熟知しています。アテネオリンピックの800メートルで、ゴールの200メートル前からダッシュして抜いて金メダルを手にしたのが、水泳の柴田亜依選手です。毎日5時間18キロ、他のオリンピック選手の1.5倍練習したといいます。因みに、私の体形は、10代の2年間の水泳で逆三角形に変わりました。どんな知識があろうと、毎日の体での積み重ねがないと、変わらないのです。

 

選択問題

 楽に少ない練習で、すぐに50の出来になるのと、時間をかけてたくさんの大変な練習で60の出来になるのと、どちらをとるかというときに、昔の人は後者を、若い人は前者をとるのかもしれません。これが効率というものの正体です。その選択のどちらが正しいとは言いません。仮に設定した選択問題です。                               

                         

 現実には、1か月で50を得る人も、10年で25も得られない人もいる、という世界です。それを確実に1、2割増しのリターンにしてあげるのがトレーナーの仕事かもしれません。それは早さ、労力、質のどれでしょうか。私は質にこだわりたいですが。

この背景には、マイクを含めて音響技術の発達があるのです。アカペラ、マイクなしの勝負なら、60、70、80しか通じないのではっきりします。そこを基礎とするのか、余力とするのか、余分、無駄とするのかは、考え方によるのです。少なくとも、私は、選べるところまでみせたいと考えています。

理解とトレーニング

 ヴォイトレは発声も呼吸(法)や聴力など、身体と習得していくものです。体への理解と、体の発達にトレーニングを必要にします。それを頭で考え、やろうとする人が増えたことが問題です。

 喉の仕組みを知って、正しく使うことが、前提という考えを持っている人が多くなったことに、ショックを受けていす。

 1/10の1/10で、「100人に1人くらいは、それが必要」と述べました。本当は1パーセントの人も必要としないことです。ざっとみると2人に1人くらいは、私の読者でさえ(いや読者ゆえ)正しいことを勉強しようとしているのです。

 

たとえば今はトレーナーが否定している、昔ながらの大声トレーニングがあります。役者出身のトレーナーには、続けている人もいます。そこで成果の出ている人がいるのも否定できないのです。

 合理的な方法をとれば、より早く、より良くなると、科学的なことに「絶対だ」と考える人が多いのですが、何ら確かなことではありません。ただし、喉を痛めてまで練習している人には、自分だけで行う練習を、全否定しないまでも、お勧めしていません。 

一般化による退行

 芸に関わらず専門分野の一般化は、メンタルやフィジカルで選抜されていた優等生ばかりだったところに、そうでない人が入ってくることに伴い、様々な問題となって現れてきます。専門家の方法が通用しにくくなり、混乱してきます。目標と必要性、意欲についても異なるので、当然のことです。

 頭で考える人を神秘と科学で虜にしたオウム真理教のようなことにもなりかねないのです。私は宗教を否定しているのではありません。宗教なしに音楽のあるのが不思議なのが、一般的な社会です。

 声は体から出ますから、声を使う人、歌手や役者は、肉体芸術家、肉体労働者です。体が楽器です。楽器の演奏者ですが、楽器が内在化し、身体の中に入っているので大きく違います。体と心とを一緒に手入れします。

 歌い手や役者は、感性の豊かなアーティストでありつつ、ハイレベルな身体能力を持つアスリートです(「感性について」は、私のサイトでの研究をお読みください)。