NEWヴォイストレーナーの選び方[アーカイブ版]

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に  バックナンバーは「夢実現・目的達成のための考え方と心身のトレーニング」をご覧ください http://bvt.txt-nifty.com/trainersen/

研究所の30年

  研究所は代々木という土地柄もあって、声優、ナレーター、俳優、タレントの対応が増えました。ミュージカル俳優になりたい人も増え、J-POPSの志向が強まったので、外国人やポピュラーのトレーナーを使いました。そして、基礎の必要性を改めて認識して、体制を一新しました。声楽家をトレーナーとして声のベース(息、呼吸、共鳴)づくりを主体としたわけです。

 自前のライブハウスを引き上げ、個人レッスンにしたため、プロやプロデューサーと接する機会が増えました。歌の仕上げの後、プロデュースを依頼しました。ジャズやシャンソン、ラテンのシンガーも増えました。専門の先生についた人の基礎を引き受けることが増えました。トレーニングもコラボレーションが中心となったのです。

 研究所で、私は、2000年からメンタル面(精神科医心療内科の方向)、その後はフィジカル面(インナーマッスル、整体、マッサージ、他)の研究を重視せざるをえなくなりました。スタジオにも音声の医療や人体模型や解剖図、センサーや声の分析の機材などがおかれ、研究者との繋がりが増え、研究所らしくなりました。2010年までには、それまでのビジネス、執筆や講演を抑え、研究に専念できる体制になったのです。

 

ヴォイトレの30年

 私はこれまで、著書に、あえて、あまり科学的なことや生理学的なことを入れないできました。

 デビュー本で、公にした仮説の元は、10~20代までの実演や経験です。自分が3割、海外や日本の他のトレーナーとの経験が2割、レッスン指導の経験が4割、類書からの参考引用が1割です。

 それから10年後に「基本講座」「実践講座」と、最初の2冊の本を全面的にリニューアルしました。そのときに思ったことは、他書から引用したことが、研究の進展で、ずいぶんと変わったことです。声のしくみについても「裏声は仮声帯で出す」と、音声医の第一人者が本に書いていたくらいです(米山文明氏など)。音声の研究は、物理的(音響学的)、生理学的に進みました。声については、専門分野の人向けだけでなく、一般の人も研究できるようになってきました。

 ヴォイトレでは1990年代後半から、

1.欧米のメソッド(クラシックよりポピュラーとして)

2.科学や理論に基づいたようなメソッド

3.日本人の求める高音発声や声域拡張、ミックスヴォイスなど

が出てきました。

ヴォイトレリアル

 「革新的な試みをしているのに、叩かれないなら、その名に値しない」といいます。いろんなオーソリティにお会いして、叩かれてもいる私ですが、そのことについて。

 声の分野は、実質としては、啓蒙期に近いところで、同じようなことをくり返している段階で一個人の体験、そして、微々たる結果、それをもとにした指導、それだけで終わっていることがほとんどです。その後に、フィードバックして、改良し、他の人に共有されること、そして更にそこで第三者に試行され、チェックされ、改良されていくようなプロセスが、とられていません。声に関しては、このことがとても難しいことをずっと述べてきました。

 

 なのに、今や人は、正しいものなら、すぐに自分にわかり、実行したら、すぐに効果が出るのが当然だと思う傾向が強くなりました。日本の高度成長後の経済的低迷やゆとり教育の失敗で、何ら根本的な改革されずに超高齢化社会に突入、そうした世潮がこれに拍車をかけたように思います。

 私からみると、どんなことも、発展して後、万人に受けるようになってからは、ちょっとした目先の転換、目のつけどころの差別化になります。安く早くても、1~2割、変わるくらいでは大した意味はありません。ゴルフを習うと、「打つときに球を見ないで」とか、教習車では、「目線はずっと遠くに」などと言われて修正するのと同じです。それが必要な人にはレッスンにもなるともいえますが。

 

 私が研究所を個人レッスンだけにして、トレーナーは声楽家を中心とした集団指導体制にしたのは、この入口でのニーズにも充分に応えられるためです。

あなたの目的、レベルによって、あなたの好きなトレーナーを選べます。スタッフが間に入り、トレーナーのメニュも目的やレベル、進行のテンポも変えられます。

研究所も一般の人を指導するにあたって、かつての養成所の体質から、カルチャースクールや教室のような機能を合わせ持つことになりました。

 古武術家が介護法を教えるように、基本の原理を、今、必要とされているものに応用していくのは、世の中のためになることです。芸術や芸能、ビジネス、ボランティア、ということでも、いろんな面から関わる人を刺激することになります。ただし、そこは入口です。

保留する

 方法でなく、一流の感覚、完成の影響下で自分を一時離れることです。捨て、殺し、保留するのです。つまり、()カッコに入れておくことです。

 追いすがっては振りほどかれ、また追いかける、一流のアーティストに憧れ、一流になっていった芸人たちの後追いをする、それ以外に真の上達はないのです。

 レッスンでできることは、トレーニングがそのようになるように目的と必要性を高くセットするということです。それコソトレーナーがすべきことです。

 

 基本の基本と応用のための基本、これについてイメージしてください。充分な情報は与えますが、それを使えるために、あなたに基準が必要です。それがなければ、それを得るまで、まず学んでいってください。

 

 多くの人の才能が開花させられるように、この研究所をつくり、日夜、声の研究をしています。あなたも、そのように自分の声の研究をし、創り直し、声を、表現力を活かしてください。そして、必要なら、この研究所を活かしてください。

 

私のヴォイトレ

 私のヴォイトレは特殊なもののように思われるかもしれませんが、声の自然に育つプロセスを、一般の人ではなく、一流のアーティストレベルから持ってきているものです。正しいとか、間違いなどはないのです。

私のが正しい方法、他のトレーナーが間違った方法とは言ったことはありません。それなら私は一人でやっています。いろんな力がついて、総合的に器が大きくなっていけばよいのです。大らかさも大切です。

 

「何を」でなく「どう」使うか

 ヴォイトレには、いろんな種類のメニュもあります。音程の広いもの、特殊なリズムもあります。それらは早口ことば、演出加工した声と同じです。声そのものの育成の目的から外れていたり、外れた使い方をされているのです。

 カラオケと歌唱ヴォーカルアドバイス、ヴォイトレは分けておくことです。総合点なトレーニングとして、他のパートの強化トレーニングの中で声も育つこともあります。声に接点がついていればよいともいえます。

 そこを声の芯(ポジション)、音色(トーン)、コントロールなど、楽器のトーンコントロールのようなことをしていく。これが最もヴォイストレーニングとしてふさわしい考えです。

声にそこまで求めない人は、せりふのトレーニングを人一倍やっていたら、声量がついてくる式のトータルトレーニングでもよいでしょう。その段階にていねいなヴォイトレを入れたらよいのです。

 

まねるな

 歌や声は、一流であるゆえに一流のオリジナリティ、それは、その人なら正解なのを、他の人がやると間違いになるというものです。

野球で名選手の王貞治と張本、野茂、イチローなどのフォームをそのまままねてはいけないのと同じです。

一流になるなら、一流を超えるためのレッスンが、必要だと私は考えています。そして、一流の人が来たら行うヴォイトレを、一般の人にも与えていたいのです。

 そこで、理解しにくいことや手間のかかることは、研究所のトレーナーたちが補充してくれています。ここのトレーナーは、その師や先輩とは同じにはなりません。私とも違います。トレーナーに独立性を与えているからです。

生じ私をまねしようとする先輩では、小坊主のように害になりかねません。初心者にはわかりやすくて受けはよいでしょう。しかし、一流になるべき人にはプラスにならないのです。日本の師やアーティストは一門を構え、そういう人をそばにおいて重宝して、守りに入って、だめになってしまうのです。

次元のステップアップ

 声の場合、問題になっているところほど、へたに手をつけないことがよいでしょう。本人がいろいろとやると、くせ(限定)がつくからです。それを忘れて、違うアプローチをしていると根本的な解決に結びつきやすいのです。

 コピーバンドでの歌手を目指すと言われた場合、初心者なら、コピーしていくとよくなりますが、ベテランは、引き受けるときに充分に考えます。

 ベテランの役者の発声は、すでに日本語では使いつくしているので、イタリア語の朗読やオペラ歌唱をやることもあります。状態でなく条件を変えることにより、日本語で広がった日常性をイタリア語で切るわけです。そこで「次元がアップ」するのです。

 この次元アップの積み重ね、これがクリエイティブなレッスンです。

 AもA’もできないとき、その答えを2つのどちらかやその間で探すのでなく、自分の器(体、感覚)を大きくすることで、上の次元のCで解決していくのです。もっと上位にある見本を開いて、感覚を同化していくのです。まねるのではありません。

 

理詰め

 私はトレーニングについて、理詰めを徹底して使えばよいと思っています。

 多くの問題は、「○○では△△できない」です。これは「□□では△△できる」という、声の程度の問題です。声が出ている以上、ゼロではないのです。できないというのは、すでにできている延長上できていないのですから、その間を詰めます。その必要があるのかも問うことです。

 トレーニングは器作りですから、細かなことは後まわしでも構いません。

「高いところで音程が不安定」なら、「低いところは音程が安定」かをみて、そこから片付けます。どの音から不安定になるのかをみることが、一般的な教え方でしょう。

 高いところの声がコントロールできないなら、音程練習の前に、発声を中心に行うとよいでしょう。一見、本人の目的を違う目的より優先させなくてはならないことになります。

 「高音域で声量がない」というなら「低音域で声量が出る」かをきちんとみます。

 (詳しくは音楽之友社の「読むだけで、声と歌が見違えるほどよくなる本」に述べています。)

トレーナーの割り振り

 どういうトレーナーを選ぶかは自己責任です。選んだ以上、選んだトレーナーをどう使うかが大切です。メニュもトレーナーにも当たりもはずれはあります。しかし、そこからみると大したことではありません。

 私はセカンドオピニオンをやっています。ここに通うようなことは、立場上、勧められません。ここに来たいという人にも、その人のトレーナーのために、お断りしたり、他の専門家を紹介することもあります。

 そこをフェアに扱うようにしておかないと、問題でないことを問題にしてしまうことがでてきてしまうのです。特にメンタル面です。

研究所に私を訪ねて来た人を、他のトレーナーに割り振るのは、とてもよいことと思っています。

 回数や時間も大切です。しかし、すべては目的や必要度で決まってくることです。基礎の基礎を求めてくる人が、まず一通りの基礎を学んでいくのは悪いことではありません。