ヴォイストレーナーの選び方[アーカイブ版]

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に  バックナンバーは「夢実現・目的達成のための考え方と心身のトレーニング」をご覧ください http://bvt.txt-nifty.com/trainersen/

BV理論とイメージ

理論を用いるのは、自分の体をモデル化して捉え、イメージで動かしやすくするため、記憶するため、再現しやすくするためです。私のイメージのモデルは、頭と胸の中心に2点があって、それが結ばれている軸とします。そこから上下にひっぱります。

地声や話声の弱い日本人対策として、胸の真ん中に口があるようなイメージ(胸部体振)をつくりました。

 それは私のイメージですが、素直な人ならイメージそのままに自分の体に読み込めるのです。

体に聞く

私はよく「頭でよいと思っても、頭ゆえに判断を間違うもの」だと言っています。

 そういうとき、「バッティングセンターでいつもより打てるか(ボーリングでもダーツでもよい)チェックしたら」と言っています。頭でよいと思っても、結果、打てなければだめ、頭でだめと思っても打てたらよし。

 それゆえ、身体が不良(悪い状態)と頭が思っても信じません。レッスンには、「体でいけ」と言っています。「倒れていなければ行ける」ということです。

 私に関してはワークショップのメニュに、レッスンではできないいくつかの体、感覚の刺激、耳と声のつながりみたいなものを入れています。ご参考に(リットーミュージックの「裏技」に詳しい)。

 

聞かれる

何にしても「鈍い」を「鋭い」にしなくてはなりません。

 レッスンでさえ、スタンスで決まります。それをみている人が感動するようなものでなくては、と思うのです。私はいつも第三者に開かれているように意識してやっています。グループやマンツーマンでも、先生と生徒でクローズであってはならない。誰もいなくても常に外に開かれている。そう感じているべきだと思うのです。

 

 考えてから動くのでなく考えなくても動くようになることです。ピンポーンと鳴ると同時にドアの前にいる。そんな反応のできる感覚と体づくりの方がよほど大切です。

 身体性の問題は、ここのところ、何事においても中心になりすぎたきらいがあります。とはいえ、声を支えるもの、歌を支えるものですから、大切です。

スタンス

私の手伝いをさせていたトレーナーがあるとき、私の全体評(ステージ実演のコメント)のあとに自分も「私と同じことを、寸分たがわずにノートに書いた」と言っていました。「10年もいたからわかること」と思いました。

 評というのは、歌への評価ですが、本当に大切なのは「スタンスとして、今、何か欠けていて、どうしなくてはいけないのか」ということです。

 ステージの多くの問題は、歌でなく、そのスタンスにあるのです。スタンスができていたら何をどう歌っても大体はもつのです。できていなけれな、どんなにうまく一所懸命歌ってももたないのです。

 スタンスとは、「落とすべきところに落として、納まる」ということです。その人の「表現の力」、その人の「存在理由」が「納得できる」「腑に落ちる」ということです。

時間と静寂さ

音楽やせりふは、時間のアートです。時間をどうみるかです。これは「永遠の問い」にも通じます。ともかくも、無音から一つの音やその動きに集中して、ゆっくりと学ばなくてはなりません。

 私は、ピアノ伴奏に頼らせずアカペラをメインにしています。何でも描ける透明なキャンバスに声を吹き付けさせるようなことを意図しています。

 私のレッスンはとても静かです。その人の声だけが響きます。声で時空を変えるのですから、時空が止まらないとダメなのです。時空を一瞬で変えるようなことをやろうと試しているのです。

 

 これまで、いろんなレッスンをみたり経験してきました。ワークショップは騒ぎすぎ、個人レッスンでもピアノや声がうるさいのが多くなったように思います。日本人はおとなしいので、トレーナーがテンションをあげさせようとします。それでは、本人の感度が高まりません。

 私の合宿では、静寂のなか、小さな鐘を鳴らし、そこに小さな声を一人ひとり重ねていくようなことをしていました。どんな音も、もともと遠くまで聞こえるのです。とはいえ、この共鳴とロングトーンのコントロールは、基礎として、呼吸や体がないとしっかりとはできないのです。まずはできていないことに気づけばよいのです。

 

理想から引きあげる

ヴォイトレは、普通の人の力50%を70%くらいにしていくものです。しかし、積み重ねるより天才ヴォーカリストと言われるような人のもつ完璧さ、100%の感覚の方から引きあげられるようにしていく、感覚―イメージ―体の順でレベルアップしていくのが理想です。

 私としては、未熟な体をそのままに、小賢しいレッスンからたくさんの技巧を習得して、歌をうまくするようなことは、百害とは言わないまでも、一利しかないと思っています。名人のものをたくさん聴くことが大切、そこから感覚、そして体を変えていくのです。

 聴いていても聴き方がなっていないからうまくいかないものです。そこをトレーナーが感覚と体の両面から部分的によくしていくのを手伝うのです。声もせりふも歌も丁寧に聴けるようにしていくのです。

声の土台

何事であれ、これまでに心身をプロとして扱って何かをなし得たことのある人は進歩が早いです。声や歌というものは、その土台に体と感覚のコントロール、筋力なども含まれます。土台があって今のあなたの声も維持されているのです。

 少々、無理をしても応用しているうちに基礎も固まります。

 昔の役者は、音大生などよりもずっと声の習得が早かったと思います。今は声も呼吸も浅い人が多いです。アナウンサーや声優もです。浅い呼吸の上に急いで正確な発音をつくろうとするために声が素直に出てこないのです。

 体は健康であれば、半分はもうOK、そこから限界値の100%までというのはオリンピックレベルを望む人だけ、大体は、20%もアップできたら、大体は、うまく適応できていくと思います。

整えていく

BV法とか理論とか言っても、そんなものがあるわけではないのです。しぜんなものの成り立っていくプロセスを理解して身につけていくアプローチの一手段として、私は仮に命名しているだけです。

 「ブレスヴォイス」というのですから、息を吐いて声にする、息と声を出して生活しています。そういうなかに声や歌において、すぐれた人も劣った人もいる。なら、もう少し深く息を吐いて、深く声を出して、生活を深めたら声も歌もよくなるといったようなことです。

 体や呼吸の調節も似たようなものです。日常が浅く乱れているなら、ある時間をとって、ある場所で集中して(非日常として)整えていくのです。そのくり返しがトレーニング、そのきっかけがレッスンです。

 身体の能力を高める、感覚、心、精神関係と、もっと丁寧にアプローチをしていくのです。そのプロセスはヨーガとか武道と同じです。BV法もモデルの一つにすぎません。

 

逆境と否定

私は、若いころ、わからないものを知りたかった、見たかった、味わいたかった。そして、わかっている人、あるいはわかったようにみえる人にコンプレックス=ギャップを強く感じた。そこから抜け出せたら、その溝が埋まれば、もう一つ上の世界がみえてくるという予感があった。

 貧しく悪環境におかれていると、こういうことが起きやすいし、豊かで恵まれていると起きにくいのかもしれません。

 「変わりたい」という欲求は、自分の外であれ内であれ、逆境を強く意識しなくてはいけないのかもしれません。今は「変わりたい自分」より「変わりたくない自分」が強くなったのでしょう。でも本当にそうでしょうか。

 今、日本人の甘受している豊かさは自分のものでなく先人の作りあげたものです。それに気付かないのは平和ボケです。何一つ自分でつくっていないのです。

 昔から子供みたいな人はたくさんいましたが、そのことを家や学校や社会で気づかされたのです。そういうメカニズムが、今は働いていないのでしょうか。

 先生が教育の先には何もないようなことさえ言うのです。まわりがどうであれ、問題は、いつも自分自身なのです。

わからないものをわかるな☆

コメントにも、わかりやすさばかりが求められるようになりました。

 たとえば、音楽を「聞いて、わからない人に説明しても仕方ない」です。しかし、そのコメントをきっかけに何回も聞く人もいるというなら、やってみる価値はあります。万に一つでもそういう効果があるならお勧めします。それがレッスンというものを支えるなら。

続けていると、あるとき「わかった」とくる。学ぶというのは、そういうものです。

 今日聞いて今わかったとかわからないなんか、どうでもいいのです。そんなに簡単にわかったなら、大して、あなたが変わることではない。

わからないものなら、それがもしかしたらわかるだろう、わかりたい、わかったらおもしろいかも、などとなるかもしれない。そういう「いつかの自分」への直観を働かせて期待するのが、「学ぶ」ということです。

 今の人は「わかるように教えてくれ」とか「わからないからつまらない」とか「わからないものはよくない」と、自分で幼い判断してしまうのです。今のままでいたくて、将来もずっと変わらないと宣言してしまっています。それでは幼児以下です。