夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

ヴォイトレの程度

ヴォイトレをしていることは、何らかのプラスになっているという実感は大切です。

スランプのときに、知識や仮説の証明に時間をかけ、頭を悩ますのは無駄なことです。

正しいとか、合っているとか、間違っているとか、考えても考えるだけ無駄です。

すべては程度問題だからです。やっていくなかで進んでいけばよいのです。

マイナスになるなら使わなければよいのです。あくまでヴォイトレは、手段です。

ヴォイトレとメンタルの使い方

健康に気遣って、そのストレスで不健康になる人が多いそうです。

そのように、声に神経質になって、練習のモチベーションや表現能力が落ちる人もいます。

そういうことで、いちいち、ヴォイトレを中止するなら、意味がありません。

 

本気で取り組むと、両立しがたいときが出てくるのは当然です。

トレーナーと相談をすることです。

特に、メンタルに関わるのが、声ですから、メンタルは、たえずプラスに活かそうと努めることです。

 

エビデンスの無力さ

最近は、エビデンスにこだわって説得力をもたせようとするものが多いです。

読む人がエビデンスで説得されたくて買うからです。

その分、中途半端におかしなものになって、役立たなくなっているのです。

 

特に、「科学的」というのは、この分野では、何ら実証されず、後付けの説明でしかされてきていないからです。あるいは、仮設の積み重ねで中途半端に放り出されたまま、自説にもっていくものばかりです。

 

問題提起を論文で行うならともかく、実習本にしては論にもならず、効果も出ないのは当然です。研究のため、治験のためなどのガイドとして出ているなら、使えるとは思いますが。

一冊の本

多くのトレーナーや学者、医者が1、2冊、自説をまとめたような本を出しています。

その人なりに捉えてまとめたものは、参考にはなります。

特に、デビュー作というのは、どんなメディアでも、生涯にわたる、その人の作品のベースが入っているのです。

切り口をつけて切り出してまとめ上げるのが、最初の1作であることが多いです、

となると、そのバックには、少なくともその後の作品すべてのコンテンツのベースがあると思うのです。

しかし、そんなものくらいで、まとまるようなものでは、ないのです。

まとまりがよいものほど、他説のオンパレードで自説などみじんもないものです。

わかりたいから

何事も、変わらなくてはみえない、書き出さなくてはみえない、つくってみないとわからない。

ですから、出せばよいのです。それしかないでしょう。

何事も深めていくと、わからないこと、説明できないことばかりです。

わかろうとしたり、説明してみようとしてみて、ここまで来たのです。

 

研究ですから、そう簡単にまとまらないでしょう。まとめてしまったら、もう終わりです。そうしたところで、もっとわかりたいからと、続くわけです。

いつか、わかりあえたらよいですね。

チャレンジする人に

「ありのままにしぜんに」は、理想と思います。

しかし、最初からそれでは動物と変わりません。

新しいものを創っていく、

少なくとも、創意工夫してチャレンジしていくことでしょう。

 

日本全体にそういう熱を感じにくくなって久しいです。

平和ボケっていうのでしょうか。

でも、熱している人もやる気に満ちている人、エネルギーをもてあましている人は、います。そこに対応するところが、この研究所の生命線と思っています。

研究生と研究所

この研究所の理想と現実の現状から、それを超えた今の必要と将来の必要で、ある程度、枠をつくっているつもりです。

 

スクールに、こういう情報発信や会報はありません。

研究所の研究生になら、「書くのは、私ではなく、あなたでしょう」と言います。

クライアントには、お客さんもいますし、目的に特化した利用者もいますから、人それぞれでよいとは思っていますが。

 

考え、書いて出すことも表現、創造の世界へのアプローチ、声=歌の一つです。

歌や声が何かというところから、考えることを怠ってはなりません。

私にとっては、研究所でなすことが、ずっとアートなのです。

会報の利用法

会報が「厚すぎる」、「内容が多すぎる」と言われたことがあります。

昔は今のページの3、4倍あり、しかも文字は小さく3段組でしたから、分量は10倍くらいあったでしょう。それでも、そう言われたことは、ありませんでした。

「全て読むように」とは言っていません。

「本当に重要なエッセンスだけ、すぐに役立つことを選んで読めるようにまとめてくれ」というようなことなのでしょう。

 

しかし、それをこちらにやらせたら、ますます、あなたは学べなくなります。

半分は編集してあるので、あとは、自分で行って編集の力をつけてください。

その力こそが創造の基礎となります。

少なくとも、どこが自分に必要なのかの選択くらいはしましょう。

 

私は、読む人に重要なことのセレクトはしません。

それぞれ一人ひとり違うからです。

その代わり、ここで、このようにアドバイスしているのです。

関係ない話との関係

ときどき、こういう文章を読んで「なぜ関係のない話をするのか」と思われている人もいるようです。

文章に関しては、自分に関係ないと思えば飛ばせばよいと思うので、

関係をつけるのは、あなた次第です。

私が述べているのですから、「何か関係あるのでは」、と思ったらよいのです。

その関係を関係があると思えないのなら、読まなければよいのです。

関係づけられないことでも、何か感じることがある、というものが大切です。

ストレートに関係しているようなことなら、言われなくてもわかるからです。

実体験

発声の話を発声のノウハウとして聞くくらいなら、レッスンで体験していった方がよいでしょう。

私は、発声で得たことを世の中でどう活かすかの話をよくします。

それは、発声だけ得ても、レッスンで学んで声だけ使えても、普通は、そのままでは、世の中で使いようがないからです。(とはいえ、知らずに使えているのが、理想ですが)

 

まあ、野球部に入らずにバントや素振りの練習をしているよりはよいかもしれません。

少なくとも、声は、日常、あらゆる場で使われているからです。

 

舞台は、仕事でも家庭でも、どこにでもあるからです。そのことへコネクトすることで、声のレッスンがより活きてくるのです。

受け身での言語☆

私たち日本人は、外国語を、彼らに何かを「言うため」ではなく、彼らから「聞くため」に学んできました。

そこにあったのは、日本語にはない新しい感覚や価値体系、その発見と学びです。

それこそが外国語を学ぶ意味だと思うのです。

日本語は、文字で聞く☆☆

私たちは、耳から入ったことばを文字化し、漢字をイメージして捉えます。

それに対して、欧米の人は、あの記号でしかないアルファベットの文字をみて、音化して捉えていると思います。

表意文字ideogramと表音文字phonogramの違いを考えてみましょう。

 

漢字には、身体性があります。体で感じられるということです。

それは目から伝わります。記号というよりも絵、図、漫画に近いのです。