高いレベルにおいては、説明できないことだけで舞台の歌唱や表現が成し遂げられていくものだからです。ありえないことをやっているのが一流だからです。そこに説明できることはなく、もしそれが語られていたとしたら、現時点においては、解釈、仮説、説明のための後付けの理屈にすぎません。
プロの人やトレーナーが、後になって、人に話すために思いついたストーリーや思い込みや試行錯誤で行っていったことを、理論とか方法と思ってしまう人も多いのです。人に話すところに説得の術が使われてしまうからです。☆
信じたい人の心の問題に入っていくと、何でもありとなります。それは、もっとも科学とは反しています。~的、というのは、それを含むことがあるだけにやっかいです。私の立場は、といえば、何でもあり、そこからどうしてくれるかということです。