夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

日常生活とヴォイトレ

 声、話や歌は、日常にありますから、トレーニングを考えるにあたっては、両親やまわりの人、また遺伝的要素まで、深く関係してきます。しつけ、教育や遊びの環境とこれまでの生活に、経験ものります。考え方、性格の向き不向きも含めて、関係してきます。自分を知ること、それは一人ではできないから、トレーナーを使うのです。

 ヴォイトレは、声やことばや歌が生活と育ちのなかにあるだけに、わかりにくく見えにくいのです。トレーニングをしなくとも、トップレベルに近い人もいるし、トレーニングを10年しても、平均なところまでいかない人もいます。それでも向上するから意味はあります。ふつうは、日常の中に、どっぷりとつかっているから、そんなことがどう起きてきて、どうなるかを捉えられないのです。ヴォイトレは、必要と思わないなら必要でないし、声にも発声にも正誤があるのでなく、程度の問題です。

 体力のない人は体力をつけるだけで、声はよくなります。体力が著しく劣るのに、ヴォイトレしても限度がありますが、きっかけにはよいと思います。眠れない人は、眠れるようになることが、声が出せるようになる秘訣です。喉に病気のある人は、医者で治すことです。ここまでは納得できるでしょう。ここからが、大切なのです。

能力発揮までの三段階

 例えば、走ることでは、天性のランナーがいます。走るのが好きで走っている人が選手になった、というレベルです。その人の生来の素質、精神、いわゆる心技体が向いていて、しかも日常でかなり接していたというケースです。

 走ったことがない人は、ランナーになれませんから、育ちが要因としてあります。毎日の生活に組み込まれているかでしょう。毎日10キロ通学していた子や、農業、漁業を小さい頃から手伝っていたという人は、日常の中で、体や感覚が鍛えられていきます。知らないうちに他の人のレベルを凌駕してしまうのです。

 両方と関わりますが、そういう人がたくさんいる中で、その人だけに突出したという、何かがあったということです。これは生来のものかもしれないし、育ち方、学び方に起因するのかもしれません。フォームを改良したり、努力したのかもしれません。素質や才能といわれるものとは区別しがたいです。

 つまり、ここまで、

 A.生来(DNA、生まれつきの何か)、

 B.育ち(日常生活の環境での何か)、

 C.A +Bの中で、更なる変化、他人に優れる何か、ギフト(天与のもの)とみてきたわけです。

アーティストとトレーナー

 喉を壊す歌手が少なくなったのはヴォイトレの進歩でなく、そこまで使えなくなったということです。レコーディングレベル以上に、生で歌える人も少なくなりました。カラオケのようなリバーブの効果に頼り、表現よりも喉を守り、そつなくこなし、ビジュアル(ダンサブル、振り)で見せていく。作詞作曲での才能が、プロの証となっていったのですから仕方ありません。海外ではハードなバンドも、作詞作曲はプロがやっている例が多いのですが…。

 ファンをライブで、感動させているから、プロを続けられているのは、確かです。そのことは評価すべきことです。世界に向かうよりも、日本の、今の目の前の人に受けるように、というのが、今の日本のアーティストとでしょう。

 私は、アーティストがそのように活動するからこそ、支えるトレーナーが、それに迎合するだけではだめだと思っています。トレーナーの元に来たら、大きく変わらなくてはいけないのです。ただの調整なら、マッサージや整体などで充分です。医者の元へいけば誰でも即効的に声が出るようになりますが、すでに持っている状態をよくして出す、日々の疲れを回復させる。それは、調整で、トレーニングではないのです。

客のありかた

 ファンはその人が歌っていたらいい。曲が好きならば、それでいいのでしょう。日本のアーティストは自分の歌のよし悪し、レベル、どう歌えばもっと良く見せられるのかを知らないのでは、と思うほどです。うまく歌えば、すぐに評価される、そのまま、同じに歌っていればよい、これは日本の風潮です。

 声や歌について、クリエイティブではないのです。

 エンターテイメントとしてのみせ方で、向こうのマネから始めても、アーティストによってはかなりクリエイティブな試みをしているのと、対照的です。進行、構成、照明、すべてが、装置産業となりました。日本ではステージの設備投資が莫大で、赤字になるくらい凝っています。

 それは、目をつぶって聞くと関係ありません。音に対してのクリエイティビティや完成度への追及が、ずっと甘くなっているのです。

歌い手のありかた

 大して気にかけなかったアーティストが、ある曲、(ときに他人の曲)で、たまたまTVのライブ、あるいはイベントで、すごい歌唱をするのを聞いて、見直すこともあります。大いに反省して、その人のCDを聞きまくるのです。といっても、他の曲は、どうもよくない、というケースも多いです。

 

 日本の場合は、すぐれたアーティストでもほとんどが1曲です。しかもデビュー曲などに多く、アーティスト発掘というより、その歌1曲を見つけたという方がよいです。これは大いに考えさせられる問題です。

アーティストに力がありながら、その力を作品に活かせていない、デビュー後に力量を伸ばせていないのです。プロデューサーやスタッフなどまわりの問題も大きいです。昔から変わっていないのです。歌や声に関しては、レベルダウン著しいと言えます。

 演歌歌手に、ポップスを歌わせたり、トリビュート版を作ったりするような、企画はよいとしても、選曲やその完成度は評価できません。質がよくないのです。やってみた、歌ってみたのレベル、ファンサービスで、創造していないのです。いろいろと聞かせていただいても、選曲や作品のねらいに首をかしげます。

研究所の発足

 当時、私は、プロの育成から一時、手を引き、一般向けの研究所を開きました。1年363日体制で、来るもの拒まず、スタートしました。東京で300~400名、京都で40~50名で15年ほど続けたのです。

 そこでは、皆さんからもたらされる歌、マスメディアでの曲の批評、連載などで、時流に応じることを余儀なくされていきました。

 おかげで、そうでなければ聞きもしなかったであろう、よい歌やすばらしいアーティストにも巡り合えました(曲リストは、研究所ホームページ、前出の本に一部あり)。

 そこでの私は、30年間、まったく軸がぶれていないのです。やや無理やり、日本のアーティストの歌を付け加えていますが、カンツォーネを使い、シャンソンを使い、ファドやラテンなどエスニックを使うなかで、発掘できたアーティストもたくさんいます。欧米などで歌っているVHS(ヨーロッパ式の)、日本未発売のは、LDを研究所に追加していきました。全集もあり、ほぼ全てはライブラリーに入れてきました。何万枚もの声のコレクションです。TVの特別番組やライブ版は貴重なものです。

ベースとしての6~20曲リスト

 つまるところ、私が10年遅れて現実を認めてきたのは、10年分、鈍かったのではありません。その10年に、前の10年を越えるアーティストが現れなかったからです。

 私は、「一流を見本に」と多用してきました。かつて、ここに関わった人なら、必ずここのある6曲(ある時期までは20曲)を聞いているはずです。そのリストはいまも変わりません。私が年をとったとか、保守的になったのではありません。これらは私の生きた時代の思い出の曲でもありません。私がリアルタイムでは生きていたけれど、リアルに聞くことのなかった、私の育った時代より古い曲です。今ならもっと古くなった曲です。

 今もこのリストであるということは、結果として、日本は、そのレベルのアーティストを育てられずにいるということです。

 日本の歌でいうと、せいぜい1980年代前半くらいまで、歌謡曲と演歌がしのぎを削り(五八戦争とは、五木ひろし八代亜紀の賞争いレース1980年)プロの作詞家、プロの作曲家がプロの歌唱をする歌手と一流の作品を生み出していた時代です。リストでは、もう少し古く1968年くらいまでです。

 私はレコード大賞光GENJIがとったとき(1989年)、この賞も終わり、紅白歌合戦も、裏番組のナツメロ番組と同じになったと思いました。

 私の目的は、世界に通じない歌と業界を超えることでしたが、世に求められる歌や声は、80年代を調整期間として90年代、大きく私の本意とするところから外れていきました。

アーティストの不在

 1960年代からアーティストを挙げていくと、70年代、80年代、90年代、2000年代、2010年代と、明らかに、歌の説得力として、声の力として、衰えています。これは、日本においての特殊な現象と思います。海外もビックスターは出なくなりましたが、それなりにレベルはキープしていて層も厚いです。

 カラオケの普及や指導法の改善、音響機器の発達で、平均レベルは上がっています。しかし、アーティストというなら、トップのレベルでみます。常に前の世代より上のものをつくってこそ、アーティストです。

 歌はファン、聞く人の目的、レベル、志向あってのものですから、戦後、苦難の時代に大スターは求められ、祭りあげられたのは言うまでもありません。

しかし、アーティストは、ファンを新しくつくるのです。歌の衰退は、業界に才能が集まらなくなったからです。番組や場がなくなったとか、客が集まらなくなった、CDが売れなくなった、歌手では稼げなくなったというのは、本末転倒です。

 私の仕事がなくなるとしたら、私の実力がなくなったからです。世の中が変わったとか、多くの優秀な人が出たからではありません。本人がやる気がなくなったとか、別のことをやりたくなったというケースは別ですが(日本の歌の衰退については前出「読むだけ…」のP194「これから歌手という職は成立するのか」に詳しい)。

声、歌、音楽の衰退化

 海外では、街やホテル、店で気軽に触れられる音楽や歌が、日本、特に東京では特殊な場でしか聞けません。TVでも、歌番組は少ししかなくなってしまいました。

 世界的にみると、歌や声は、一時の勢いは失いましたが、日本ほど顕著ではありません。このあたりは戦後、いや、明治維新以後の日本の欧米化の問題との絡みが大きいと思います。憧れて取り込んだあと、発展させるか。切り捨ててしまうかということです。歌や声について、日本人は発展させてこなかったと思うのです。

 私は、2つの原因をあげたいと思います。音楽、特に歌以上に、手軽で面白いものが登場したこと、音楽、特に歌のレベルの劣化(特に声の力)です。音質は向上していますので、ハード面ではなく、ソフトについてのことです。

 一人のアーティストとしての人間の力と、作品のレベル、創造力や発想といえばよいのでしょうか、それが衰えているのです。これは、発展途上の国と、発展を終えた国の人材の可能性のようなものでしょうか。日本には大物も大スターもいません。時代の流れの問題でもあります。

この50年、1960年代~

 私は、自分の育った頃のアーティストから、彼らが影響を受けたアーティストに20年ほど遡っていって、そのままです。1950年代、1960年代をベースとして、ポップスのアーティストを捉えています。マイケル・ジャクソンでいうと、ジャクソン5のマイケルはよいが、ソロとしてのエンターティナーとしてのマイケルは別、プレスリー、シナトラあたりも、若い頃の声でみていました。

 これまでに、音のメディアは、レコード、ラジオ、トーキー(映画)、テレビ、ネットと、大きく変わりました。何よりも人間の声を聞きたかった人類は、レコード、ラジオで、歌と、音声でのことばを普及させました。貴族の特権だった音楽を、大衆のものにしました。そこから、100年、カラオケ、合成音声(初音ミク)、と大改革が、受け手だった側に起きてきます。まさに、ネットでインタラクティブ化しているのです。

地球と半世紀☆

 私は、もっとも多忙な30代、40代で海外へほぼ年6回、50カ国以上を訪れました。日本と世界との差を実感するためでした。東京にいることで鈍くなっている感性をリフレッシュするため、あたりまえのものをあたりまえにみるために、世界の感覚を入れておくことの必要がありました。日本もその間、網走から沖縄まで、ほぼ二巡りしました。キューバやジャマイカ、アルゼンチン、ブラジルと、行き着くところまで行ってしまい、「日本は日本」と開き直ってからは、アジア中心に巡りました。地球を半周すると、その大きさが何となく実感できます。50年生きて、半世紀を実感するのと合わせ、私の1つのスケールとなりました。

 

10年毎に…

 10年経つと、その20年ほど前のプロのすぐれたところに改めて気づいていく、というのが、20代以降の私のパターンのようです。プロデューサーは、何年か先のプロとしての優れたところを見抜くし、ファンは、新しいプロを認めます。それから比べると、私は遅れているといえます。しかし、実のところ、私は10年ごとに音声に求めるべき基準を下げているわけです。よくいえば、柔軟になり、その人のトータルの才能をプロデューサー的見地でみるようになってきているのです。

 業界に関わっていると、そうなるわけではありません。そのことで、プロになりたい人に適確にアドバイスできるし、他のトレーナーの相談や声以外のことについてもアドバイスできます。ここには「声をよくする」人や「プロになりたい」人もいらっしゃるので、この要素ははずせません。

 欠点よりもよいところをみる、これも私は声に限っていたのですが、トレーナーたちに任せられるようになったからこそ、プロとして仕事として、その人がやっていける要素を見出すことができるようになったともいえます。

 私は、10年古い感覚でやってきたから、20年以上年配の人たちとやってこられたし、世に出てたくさんの仕事をいただくことができたと思うのです。