仕事術、学び方、世間一般ほか
一般書となると、とにかく一冊のなかでゴールまで進めなくてはなりません。 編集者がいると、道筋が一通り描けるようにして一冊に納まります。 それは確かに編集のノウハウです。 本を書くには、まとめなくてはなりません。つまり、まとまらないものも無理に…
神や天才のなしえる術はわかりませんが、芸術家や芸人には、人間離れした人もいます。そのパワーや深さは、決して簡単に得られるものではないし、はるか先の目標でしょう。 しかし、同じ人間ですから絶望的な差にみえても、程度の問題なのです。 一流の人ほ…
うまくできている人の本人の気づきにくい問題を述べます。 やりたいことをみつけるのに、やりたくないことをやれてしまう人の問題 語尾までしっかりと言い切れてしまう人で、そのことの怖さを知らない人の問題 声は出ているのに、心が閉ざされている人の問題…
世の中は、名も功績も知られずに死んでいった人ばかりで、それによって真の歴史は創られてきたのです。歴史として、編纂されると、時の権力者、勝者に都合よく改ざんされていくのです。だからこそ、学んだことについても、逐一、精査していく必要があるので…
思っていることとしゃべっていることの違いに注意しましょう。 知らないのに自分の求めるものと感じてしまうことがあれば、大切にしましょう。
言葉はコミュニケーションの一つにすぎません。 それ以外にたくさんの手段があるのを忘れないことです。 全身で感じること、もやもやした体感を味わうことから始めましょう。 考えを変えるのではなく、自分の見方、捉え方を知ることです。 そのことで体に変…
何かを断念しないと自由にもなれず、先にも行けません。 何をあきらめるかから絞り込んでいくのです。 とにかく、人は変われる、輝くことができるのです。 「シュレーディンガーの猫」(1935年)は、観測者の存在で、結果が違うということです。
内発でなく創造でなく、 古くは中国、そして欧米のモデルの輸入で、 日本人には日本文化を捨てていくプロセスがあったのです。 二項対立は、一神教からきたのでしょうか。 どちらかではなく、両方、いや、もっと多種類あるのです。
誰しも、表と裏があるのですが、そうみなければ、同じにみえるのです。 視点をもつから、みえることもあれば、それに囚われてみえないこともあるのです。 声や足音などを音でみるのです。 目がみえないとき、自分で音をたてて反響でまわりを把握することもで…
足りない部分は、想像力で補って生きることができます。 みえないものも想像で補うのです。 三本足の椅子は、四本足から一本、不足しているのとは違うということです。
足らないと、大体の人は、だらしなくなるか、だらしなくできないかだそうです。 例えば、ファッションとして、だらしなくするのは、きちんとすることに加えたセンスが必要です。「着こなす」から「着崩す」への飛躍です。
情報は、そのままデータベースにストックされますが、人の記憶は書き換えられていきます。身体も日々、変わっているのです。 コンピュータのように、正確に記録に残していくようにはいかないのです。
昔の一流選手の神業のプレーより、今の身近な友人のちょっとしたプレーに強く魅かれるのは、今という時間を共有しているからです。 人には、有限で、死があることを知っているから、時間や順序があり、今が優先されるのです。
くせというのが一つに固まらないために、他のくせをたくさん取り入れておくのが有効です。くせだらけになると、一つのくせには囚われにくくなります。 声も歌もアートも仕事も人もそうです。
緊張すると強ばって対応力が落ちます。頭や五感はともかく、身体は鈍感になるのです。 頭のよい人が、しばしば最悪の学習者となるのは、そのためです。 トレーナーが教えていても、そこに学びの伝わる場ができにくいのです。
スポーツ競技をあるところまでやった人なら、「ゾーンに入る」とまではいかなくても、「場」というのは、わかると思うのです。 「いい感じ」と「嫌な感じ」というようなものです。「ノリ」ともいえます。 攻勢か守勢かは、必ずしも点数差や今の結果ではなく…
どう学んでも、その人自身の解釈と誤解が入ってしまいます。 私もあなたも同じです。それゆえに、自分なりのものにもなるのです。 「井の中の蛙」にとどまらず、自分の枠、器を大きくして、それを再編、再生産につなげていくことです。新しいメニュ、練習法…
メニュは、材料、叩き台です。 解剖学とか生理学に基づいたような科学的なものより、文学的なもの、比喩的なもの、オノマトペのように表現されたものの方が、本質が伝わることが多いように思えます。 「わからないからと、すぐにググる」のではなく、意味不…
間違うことを恐れなくてよいのです。 第一に、誰かの正解は、あなたの正解ではないのです。 それをそのまま、自分の正解とさせられること、自分でそうしてしまうことに用心することです。
教えられることから学べることは限られています。 教えられていないことから学んだら無限です。少なくとも、学ぶというなら、いつかは、先人よりも深く学べるようになって欲しいものです。 早くとか楽にとかは、学ぶのには、本当は関係ないのです。 しかし、…
自分から知りたく思ったら、自ら動いて、人に教えを請うことです。 そうしてこそ、ものになるのです。 自分の意志のようにみえて、自分でするのではなく、誰かにやらされているような方が、身につくこともあるといえます。
まずは自分のできることをすることです。 察して動くこと、そこで利益や楽を求めると、それは閉ざされてしまいます。 他人にできないことをすると、それなりに自己を肯定できるでしょう。 それが難しいときは、自然と対話するとよいのです。静かなところで自…
膨らませて学べるようになると、相手の伝えようとしていたことを超えて学べるのです。 そうでないと、師を超せないどころか、同じレベルにも達しないものです。
私は、できるだけ、仕事では、分担と手分けをしていくようにしています。その作業を通じて後進が育つからです。 連続性を保つには、連携する他の人が必要です。人を巻き込むのか、人が巻き込まれるのか、どちらにしても、そこに渦、流れができていきます。 …
自分の本当にしたいこと、好きなことは、簡単にはわかりません。 自分が魅かれるくらいでも、スタートしてよいのです。 それは、あなたを呼ぶ声です。(call、callingとは、天職のことです。)
誰もがわからない状況では、わかる人を捜して見つけ、そういう人につくしかありません。人は、自分がわからないときでも、わかりそうな人は、わかるものです。 世の中には、自分の知らない情報の真偽がわかる能力をもつ人がいるのです。ですから、正解のわか…
アーカイブへのアクセスには、人間の歴史を踏まえた教養が問われます。 歴史も、文学や映画、演劇も、そのためのものでもあります。 違う時代、違う世界、違う人間から何をどれだけ学ぶかです。 他人の人生を追体験することで、豊かになれるのです。それらは…
自分のいるところ、なすことへの洞察を深めましょう。自分以外に誰もやらないこと、やりたくないこと、気づかないことを大事にしましょう。 普通は、10のことから1くらいしか学びませんが、師をもつと何事も違ってくるのです。誰であっても、その相手を師と…
経験知は、現場での応用です。それは、個別なものです。 それに対し、根源への問いは、思考したところで、原理として共通するものです。
普通は、問題があって、その解決にいらっしゃる、それは当然です。 しかし、学んでいるうちに、もっと根本的な次元で出てくる問いに触れます。 すると、そのために続けていくことになります。 そのうちに、最初に問題としていたもの自体は、そのものがなくな…