夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

未熟という独自性

 オペラは、世界の観客を熱狂させた、一部の天才の能力にのっかってきたのも事実です。200年も前の、遠く離れた国で権勢を誇っていたものが何一つ疑問を持たせず東洋の島国、日本で伝承され、保持され、存在していることを否定するつもりはありません。ラテン、カントリー、ロックからヒップポップ、ハワイアン、フラメンコまで、どの国よりも柔軟に世界中のものを集めて、楽しんでしまえる日本人の許容度の高さは、歌に限ったことでないからです。スポーツや舞踏だけでなく、工業製品からクリスマスなど宗教まで受け入れアレンジしていくのは日本人の能力でしょう。こうなると文化、宗教の定義さえ日本人の場合は特殊となります。

 

 本来のオリジナリティは、文化や風土に触発されて生じ(地に足をつけて)、高度な域に高まるものです。その資質の上に表現が生じてオリジナリティとなると思います。なのに、日本では本人の上でなく、斜めや横の方に開かれてしまうことが多いのです。そのいい加減さ、未熟さにも、よし悪しがあります。

一流の職人などではありえない、その独自性の完成について、歌の場合、歌手は(俳優、声優やアナウンサーなども含め)本人不在のままにパッケージ商品化されてしまいます。その矛盾に対して誰も指摘しないことです。

というより、プロデューサーはじめスタッフなど、まわりはむしろ、それを促進していく構造になっているのです。つまり、判断がなされているのに、その基となる判断基準がゆがんでいる。客についてもいえると思うのです。未熟をよしとする文化の歌が、代表になりました。