極端にする必要性は、パラダイムでの揺さぶりのためです。どうしても人は一つの見方に偏りがちです。「細かく丁寧に」と、「思い切り大胆に」は両立しにくい。表現は、そのギャップに生じるのです。どちらも自由に行き来できなくてはなりません。
それを学ぶのが、人につく意味だったのです。「俺に惚れて弟子になったなら、俺の心地よいように振る舞え」と言ったのは、談志師匠でした。
人前に何かを表現しにいくのは、弾の中を生身で歩くようなものです。
「メンタルに弱い」と初対面で言えてしまう、今の日本の状況では、声と共にタフなメンタル基礎力育成が必要です。
舞台のレベル、特に音声力、身体力、精神力は日本では、著しく落ちてきています。高度成長期の日本のセールスマンくらいのタフさがあれば、今、この世界では引く手あまたと思っています。それくらいに人材が少ないのです。