夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

お家芸化

どんな歌もステージにできる日本の演出技術は、向こうから学んでそれを超えたと思います。とはいえ、未だ、形として見えるのは形としてつくりあげているからです。私は世界中、巡っているので、ディズニーシーでは、疑似的なパビリオンより、最初から人工的なマーメイドエリアでしかくつろげません。擬似は、本場の代わりとしてあるので、本場があれば存在意味はないのです。

 ともかく、こうしたまねとその応用は日本人のお家芸です。歌から声の本質、個としてのアーティストの実力を問うとなくなりつつあります。

 かつて、直に影響を受けた、米軍基地や海外で外国人客を相手にしていたアーティストが多かったのに、客が日本人ばかりになって、薄めて拡散させたようなところがあるのではと思います。ロカビリーあたりからです。街の喫茶店がコーヒーチェーン店に置き換わって、どの街の風景も同じようになってしまったように。日本人ならマクドナルドをやめてモチくえばいいなどと、もう誰も思わないのでしょう。

 音楽が殖産産業、お上からの欧米の技術輸入のようになったのが、日本土着の歌を根なし草にするきっかけになったのです。唱歌、童謡、演歌、歌謡曲あたりまでの和魂洋才で、融合して日本に定着したまでは、それほど悪くなかったと思うのです。ブラジルのボサノバのように、朝鮮のハングル文字のように、人工的とはいえ、定着しつつあったのです。

 宝塚歌劇劇団四季は、もはやサクセスストーリーとなっています。問題は、そのためにどれだけ何を失って来たかということです。