トレーニングにおいて「目的―現在」、その間のギャップをつくり、そこを「つくる―みる」で埋めます。ですから、「みる←つくる」、つまり、「みる」、そして、「みたところまでつくる」の順となります。
みた上でつくる人とみえないでつくる人は別です。みえない人は、つくりつつ、みえるようになっていくかです。みえた人も、それがよりよくみえるようになっていくかです。そのギャップの間に、もっと近くにみえる目標をおき、みることができるようにしてあげるのが、トレーナーの仕事です。
ヴォイトレのレッスンをしなくても、自ら高められる人は、自ずと「つくる→みる」と「みる→つくる」をくり返しています。ですから、それがみえなくなったら、あるいはつくれなくなったらレッスンにくればよいのです。
しかし、安易に、つくってさえいればそれでよいと思ってしまうのが、日本の芸術教育などです。つくっていればいつか、何かができると教えています。大いなるアマチュアイズムと国民総サブカルチャーアーティスト化は、日本のよさですが。
何かは、つくればできますが、それがすごいものになるためには、そのままの環境では、天才でもない限り不可能です。すぐれた人ほどみることに長けているから、他の人について学ぶのです。