声を身体からみるか、歌からみるかで私は2つの立場をもっています。その都度、変じたり、その割合をミックスして評価、判断、アドバイスをしています。
A.器を大きくする(ゼロから1へ)
B.優先順を決める(2、3、4番を1番のものに)
Aは破格やインパクト、パワーで、Bはバランスや使い方で、収め方、残し方です。
Aは押す波、Bは引く波です。
この掛け合いで歌もせりふも表現も成り立ちます。ところがAがなくなった、元よりそこが強くなかったのが日本人の音声の特徴です。
半オクターブで、まともに声を出せない人が1オクターブ半を歌おうとすると、これが露わになります。声を1オクターブ出せる話すポジションがないと歌えるはずがないのに、歌声という特殊なレシピをつくり、マイクやリヴァーブでカバーしたのです。
クラシック歌手からみたら、最近のポップス歌手はそうみえるでしょう。そのカバ―能力が、ポップス歌手のプロとしての処理の能力です。マイクがあるので、特にことばを丁寧にしっかりと歌えます。そしてポップス歌手の、カバー能力のなかでのもう一方の重要な創造の能力、インパクトやパワーに欠けるのです。それがあれば世界の一流の歌手の条件となります。日本も、歌謡曲のポップス歌手には、声そのものの質感のよさとインパクトをもっていた人がいたのです。
破格とは、声においてのオリジナリティの素です。クラシック歌手はいまだに向うへ近づけない(追い越せまでいかない)で、後退しているのです。日本のなかでクラシックもポップスも対立せず、ヴォイトレも共有できているのは、実のところ、裏で同じ問題を宿しているからです。そして、ヴォイトレは、歌においては守り、喉を壊さないためのもので不毛なのです。