夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

音声と表現力

 PVやテレビも、音声の表現レベルの高い人が登場してきました。それに加えて振りや衣装や装置が派手になってきました。すると今度は、その演出や装置を使うと、音声の表現力のない人もみせられるように、もつように、こなせるようになるわけです。

 アイドルやダンサブルな人たちを批判しているのではありません。もともと音声の表現力のレベルで選ばれたり認められたりしていないのですから、あたりまえのことです。それぞれに売りが違うだけです。

いつの時代でも、かわいいだけ、かっこいいだけのスターがいました。ただ、歌手というなら、歌=音声において、みせられる力で聞きたいと私は思うのです。

 

シンガーソングライターは曲づくりの才能の総合力、アーティストも総合力というのはわかります。その結果、昔のように何を歌っても、その人の声、その人のフレーズでオリジナルなものにしてしまえる人、歌唱におけるプロ、声のプロと節回し(フレーズ)のプロというのがみられなくなったのならば残念なことです。

 詩吟や邦楽などは、伝統芸で、年齢、ルックス、スタイル、振りが問われなかったので、声での表現力での勝負です。

 そういう人が、ここには多くなってきました。オペラでさえビジュアル力を問われる時代です。でも、そうでない大半の人たちには、みかけだけに囚われて考え違いをしないで欲しいものです。

声とビジュアル面

 ライブ舞台では、こと日本では、ビジュアル面の演出、照明、衣装といった装置の発展のおかげでもたせてきました。その分、声の表現について雑になります。その分、プレイヤーの音については、馬鹿丁寧です。

 歌手は、音楽技術を使いこなすのでなく、それでカバーしてこなすだけになるのです。他人と同じように、そして、自分のも前と同じようにこなすのが、うまいと言われます。これも悪循環です。

うまいからダメだという理由は、岡本太郎さんの論拠で略しますが、そうやって表現力を薄めてしまうわけです。

 

 「喉に負担なく、リスクなく」というのは、それだけをとると悪いことではありません。発声の基礎条件です。ヴォイストレーナーは皆それを教えているのです。ただ、それは何のためでしょうか。実状は、即興性がなく、結果として消化試合のように、そのエネルギーを体の動きやMCの方へまわすわけです。

プロとしてステージを活かすためには、演出、脚色は当然だと思いますが、それでもたせるとなると、形だけになります。若く有能なヴォーカリストが早い時期からそうなっていくのをみるにつけ、残念でなりません。

視聴と聴を分ける

 私は、舞台のビデオをみせるときに、2回に分けるようにしました。最初に動画でみせて、次に音だけで聞かせます。ときには逆にします。しつこく両方を試みることもあります。動画でみると、その出来に安心していた人が、音だけで聞いたときに唖然とします。

 私は目でみながらも、耳で判断します。声のトレーナーだからです。みるのは、他の人、客や出演者の心の動きです。舞台からは目をつぶったのと同じ世界で働きかけてくる音、声だけをひろいます。このあたりは、まさに音楽監督と一緒です。

 これを日本の演出家は、せりふはまだしも、ミュージカルや歌においても、声を楽器の演奏レベルで捉えられていません。その結果、ダンスが世界のレベルに一部、追いついても、声や歌は置き去りにされてしまったのです。

 ベテランになるにつれ、歌い手もそうなりがちです。ラジオやレコードだけならそうならないのですが、ステージの体験が皮肉にもそれを助長します。

視覚の盲点☆

 私は、あるときの合宿で、声=音の無力さを証明するような体験をしたことがあります。20名ずつの舞台で、あるとき、リハで音声だけでパーフェクトに成り立たせたのを、ちょっとした振りと動き、ビジュアルの効果を入れたところ、音声の完成度が格段に落ちてしまったのです。演出している私以外、出演者もみているお客(出演者の控え)も気づかなかったのです。

 目にみえる効果が入ることで音の世界がこんなに壊れる、しかし、客は、そういう効果に目を奪われ、トータルとして作品がよくなったとさえ思うのです。

舞台ですからビジュアルの効果が大きいのは当然です。しかし、ここのメンバーは、声=音中心をメインにしてトレーニングしてきて、ビジュアル効果をトレーニングしてきたわけではないのです。耳と声は充分鍛えてきたと思っていたのでショックだったのです。

私のような、耳だけで、目をつぶっているかのように判断するというような音に厳しい客がいないと、音より視覚効果に力を入れるのが当然なのでしょう。私がプロデューサーや演出家であったら、声のちょっとした変化を示すよりも、手の動きで示す方を客に伝わるということで選ぶことになるはずです。私がアーティストでも、迷わずそれを選ぶでしょう。

 一般の客の耳での判断力は低く、目での判断力が高い、これが日本の、日本人の音声表現力の育たない最大の原因と私は思っています。ヴォイストレーナーからみるから、よくないということですが。

 このことを踏まえた上で言うなら、音の世界での完成度を落としてはいけないのです。絵のために音を犠牲にするなど論外です。動きとしての振りも本人のなかで、表現=振りと音とが完全に結びついていなくてはならないのです。

ことばの力

 私は、写真や動画は、情報量が大きいので参考にしますが、自分に取り込むにあたっては、発信している人の情報とその文章をみます。

 TVの大きな影響力はまさに「百聞は一見にしかず」ですが、その「一見」は、自分が生でみたものではありません。誰かが意図をもって切り取ってみせたものです。それを知らずに、その意図に乗せられてしまいがちなのです。

 文章では、案外と真実を直接、イマジネーションによって捉えることができます。

ビデオを何十回みるより一言のアドバイスがすべてを変えてしまう例は、少なくありません。両方あればよいのです。一度みた動画、画像があまりにも強烈な印象を残すことには、用心すべきです。

ピンチに思想を学ぶ

 ヴォイトレで調子を崩すと、トレーナーや方法やメニュのせいにする人もいます。なぜ、調子を崩したのかを分析し理解していく、その対処こそ、トレーナーとともに行うことです。絶好の機会です。その前でやめるのでなく、それを超えていくことが、力をつけることです。

 ボクシングでコーチに言われたままに出場して、初戦でKOされたら、コーチに「バカヤロー」と言う人は、幼いだけでしょう。

 レッスンもトレーニングも誰かに頼まれて来るのではありません。自分の目的のために、より自分を活かすために、使うものです。

 そこでは自分の求めるものをすぐに成し遂げようとするのでなく、本当の目的、本当に必要なこと、可能なことを知っていくことから始めてください。

すぐにわからなくてもかまいません。ずっとわからなくてもよいです。でも、考え続けることです。基準やプログラムがないと後で伸びないのです。基本的な考え方=思想を学ぶことが大切です。

トレーナーと個性

 トレーナーのところにいくと、自分の歌や表現が変わるから心配だとか嫌だという人が少なくありません。それは直感的に正しく、それゆえ、勇なことです。トレーナーの悪影響があるくらいにしか自分に向きあっていないのなら、そのままでも同じです。「トレーナーにつぶされる個性など個性ではない」のです。トレーナーを、自分に向かい合うためのレッスンや、そこからのトレーニングを自分に活かすために、使うことです。

 トレーナーと長く一緒にいると何か身につくと思う人が日本には多いのです。それは確かにそうかもしれません。でも、それだけではどうにもなりません。

週一回のレッスンでも、何にもやらないとか、一人でやるよりはずっとましです。しかし、週二回の方がよいでしょう。そして、レッスンが、365日をひっぱらない限り、大して変わらないのです。レッスンの回数についての答えです。

レッスンの声に向き合うこと

 使い方次第なので、いくらでもある分はよいですが、誰もが同じように使えるわけではないのです。

 発声については、教材は実際のレッスンに及びようはありません。

レッスンのまとめとして、トレーニングのモチベートや方向性を確かなものにするのに、本はよい判断材料となります。本にもよりますが、声については、実際に知っている人の経験談です。ただ、多大に期待してはなりません。

私が本、会報、ブログなどでたくさん述べているのは、レッスンに来られない人のためではありません。レッスンでできるだけ無言でありたいからです。自分の声に自分で向きあってもらいたいからです。

一方的に他人に委ねるレッスンは、最初はよいと思うかもしれませんが、本当のあなたの力にはなりません。トレーナーの声を見本にまねる、そういうレッスンが多いのです。それがあたりまえのようになると鈍くなります。

 自分の声に向きあうのに、時間がかかってもかまわないのです。

教材のつくられ方

 本は文字ですから、イメージは伝わりにくい、といわれます。でも読んだ人のレベルに応じたイメージがつくられていくといえます。音声があると、声のイメージははっきりとします。それにもよし悪しがあります。

具体化される分、限定されるからです。絵がつくとさらに具体化し限定されていきます。ラジオはホットなメディア、TVはクールと言われるゆえんです。

 「よい例」、「悪い例」をたくさん入れてあると判断力をつけるために役立つでしょう。でも、悪い例を何回も聞くのは、喉にもよくないでしょう。練習用としては賛成しかねます。

同じ理由で、あまりに個人的なメニュや部分的なメニュも悪影響を与えかねません。一般的にはシンプルなメニュがよいのです。

 

 メニュがたくさん入っているのはよいのですが、全て使ったからといって大して意味はありません。特殊なものを除き、できるだけ誰でもあてはまる範囲内に収めておく方がよいでしょう。

海外のものにも、かなり特殊なケースでのハイレベルのトレーニングが入っているのもあります。参考にするにはよいのですが、使う人が今、使ってよいのかどうかの判断をできるわけではありません。優秀な人以外は、喉にダメージを受けかねません。本来は、そのトレーナーに会って、レッスンを受けてから使うべきものです。

 見本の声の入っているものは、具体的な分、よしあしがどちらの方にも大きく振れます。日本のものは、残念なことに、困ったものが多いです。弱々しく抜いただけの声や、がなった声、喉声も少なくありません。それを聞くたびにイメージが悪くなり、声にも喉にもよくありません。

ヴォイトレなのにスケール(音程、リズム)などが中心で、発声、呼吸や共鳴などはつけたしとなっていることが多いのです。

応用や周辺から入っていく、慣れるというのもアプローチの一つです。本当に身になるトレーニングが欠けていると思えるのです。

CD教材のつくり方

 CD教材といっても、一回聞いて終わりのものと、くり返して使うものは違います。最初にイントロや説明が長く入っていたら、2回目からは邪魔でしょう。

 トレーナーが一方的に見本をみせているのもあります。生徒とかけあってレッスン室のようにしているのもあります。TV向けのパターンでは、よくわかるようでも、他人のレッスンでは、自分がレッスンに使うには邪魔でしょう。見学会のようなものですから、1回みれば充分でしょう。他人の声が入っているのも邪魔になるでしょう。分けて入れても、時間がムダになります。

 私は、原則として本人の自習、自主トレ用としてつくっています。トレーナーが呼びかける対面式のようなものか、目の前にお客のいる本番シミュレーション的なものとなら動画でもよいかと思います。

 レッスンに通う人が使うのなら、補助教材です。レッスンに通わない人がレッスンのかわりに使うとするなら、シンプルにつくらないと使いにくいでしょう。

CD付の本も多くなったせいか、違いを聞かれます。

 私の本のCD、音源のメニュをサイトに載せました。参考にしてください。

自分の声を入れない

 CDについても多種多様につくってきました。いつも試行錯誤していました。英語の教材からヒントを得たことも多々ありました。

 最初は、体や息のトレーニングは、音声にならないので、カットとしていました。

最近は、図やイラスト、あるいはナレーションで指示してトレーニングメニュとして入れています。そういうことも他のDVDやCDが出てくるまで、わからなかったのです。

 私の声を入れるのは避けました。私はナレーターでなく、アーティストをサポートする立場だからです。いつもの現場通り、練習メニュとしての体系を入れ、現場でディレクションするようにしました。トレーナーは相手の声を指導することのプロです。よりよい仕上がりになったと思います。

一般の人向けで、説明も必要となります。

 本で理論ややり方を理解できるようにして、CDにはできるだけ余計なことを入れないようにしました。CDをかけたらすぐに練習できるとよいと思うからです。私自身が使えるもの、使いたいもの、生徒の自習に使えるもの、使わせたいものを目指しました。

動画教材のよし悪し

 本にCDを付け(ビジネスマン、一般対象本では10年後)、ガイド音源も入るようになりました。

 動画化は、踏み込みませんでした。

音声だけでみせることにこだわったのは、声=音を学ばせたかったからです。

わかりやすくみえることは、学ぶこととは異なるからです。これはTVやラジオの経験からも痛感していました。他のビデオ教材をみて、本当のことを伝えるのは無理と思いました。まともにつくるとイメージダウンや誤解が大きくなると思いました。

1.楽器の練習のようには格好はつかない。

2.トレーニング風景は、役者の舞台裏のように地味で暗く、アングラな感じになる。

3.キャスティングをモデルさんは、リアル感がなくなる。

4.プロの歌い手で行うと、歌はよいけど絵になりにくいし学びにくい。

5.個別にメニュや方法がかなり異なる。

当時は作曲家の先生(たとえば曽我先生)のが、いくつか出ていました。それらしきものになってしまうことしかイメージできなかったのです。

 研究所には、国内外の数多くの発声やヴォイトレのビデオ、DVDがあります。合唱団の発声など実用的なものも、たくさんありましたが、私自身にあまり役立たなかったし、人に勧められなかったからです。