「しぜんに」という、そのしぜんとは、そう簡単にはわかるものではありません。心身は一体なので、新しい型、違う型をやると頭で止まるのです。そこで、引いてしまう人と頭を消して乗り越えられる人が分かれます。人によりますが、頭を変える方がずっと大変です。ですから、体で分かっていく方法が有効なのです。
再統制
ピアノのレッスンは、左右の指の運び方、動かし方をしつつ、指の鍛錬、強化をする練習法をとります。それは、なぜかわかりますか。バラバラに強化しても必ずしもつながらないので、丁寧に一つの動きに再統制するためです。よりしなやかになめらかに、強くも弱くも弾けるようにします。曲を何百回と弾いて癖から抜けられないのと(ときに抜けられる人がいますが)指一本から学ぶのとの違いですね。ピアノを練習して3年、5年でプロのピアニストになれた人はいないはずです。まずは、徹底した量、最低限の絶対量が必要、それが声の場合、何時間とか定量化できないのです。
ここでは、ヴォイトレを一音レベルで徹底しています。そうしないケースは、そこまでの必要がその人にないのなら、それはそれでよいと思います。それが、ここでの私の立場です。
パターンを破るパーツ化☆
私たちの体はしぜんに、日常の動きでパターン化されて動いています。しかし、緊張したり、他人の役をやったり、非日常な虚構を演じたときに、そうはなりません。それに対応するには、より強度な心身とともに、さらに精密に細かく心身を認識し動かす必要があります。そこで予め、いろいろと動かしておいて、いつも自ずと自由に動かせられるように準備しておかなくてはならないのです。そこがレッスンとトレーニングのもっとも基礎となるものです。強化は丁寧さのため、それが私なりの、型での注意点です。
個人差
トレーナーの教え方、ことばが間違いとは言えないまでも、無理を引き起こしているのに、トレーナーが気づかない、あるいは、相手に応じてうまく変えていかないと、そのまま、それに囚われたままになります。
トレーナーには、自身にうまく使えているのに、教えた人には使えないときはよくあります。
これは人によって違うケースに多いです。体も声も一人ひとり違います。そこで、より深い問題を見逃しているときがあります。
ことばと本質
私は、「自分やトレーナーの言うことは信じるな」と言っています。ことばは、状況で変わります。私もいろいろとことばを変えてきました。ことばの限界をことばで述べてきました。理論も考え方もことばの使い方も変わっていくものです。私たちも日々学んでいるのです。だから声をみる、みることができるようになることです。聞くのでなくみるのです。「本質をもみる」みえるようにレッスンしているのです。
話したことを、まずは素直に受け取って、その後、徹底して自分で追及するようにと、願っています。納得したことだけが身につく、それがレッスンに対して必要な、本当の自主トレの目的です。