夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

しぜんに

「しぜんに」という、そのしぜんとは、そう簡単にはわかるものではありません。心身は一体なので、新しい型、違う型をやると頭で止まるのです。そこで、引いてしまう人と頭を消して乗り越えられる人が分かれます。人によりますが、頭を変える方がずっと大変です。ですから、体で分かっていく方法が有効なのです。

再統制

ピアノのレッスンは、左右の指の運び方、動かし方をしつつ、指の鍛錬、強化をする練習法をとります。それは、なぜかわかりますか。バラバラに強化しても必ずしもつながらないので、丁寧に一つの動きに再統制するためです。よりしなやかになめらかに、強くも弱くも弾けるようにします。曲を何百回と弾いて癖から抜けられないのと(ときに抜けられる人がいますが)指一本から学ぶのとの違いですね。ピアノを練習して3年、5年でプロのピアニストになれた人はいないはずです。まずは、徹底した量、最低限の絶対量が必要、それが声の場合、何時間とか定量化できないのです。

 ここでは、ヴォイトレを一音レベルで徹底しています。そうしないケースは、そこまでの必要がその人にないのなら、それはそれでよいと思います。それが、ここでの私の立場です。

不自由の自由

歌で不自由でレッスンにくる人が、なぜトレーニングでさらに不自由にならなくてはいけないのでしょうか。それは、不自由をよしとするのでなく、一時の不自由、より大きな自由の獲得のための段階でなくてはなりません。トレーニングは、本番とは違うというのは、なかなかわかってもらえません。

 形という格好から入っても、そこから恰好だけではできないことを知ります。その支えとなるものを実に入れて、型となるのです。野口(三十三)体操なども、日常に入っている力を抜くことが難しいから創られたのです。つまり、日常というものも、すでにしぜんでなく、その人の毎日の使い方によって癖がつき、バランスが乱れているのです。

パターンを破るパーツ化☆

私たちの体はしぜんに、日常の動きでパターン化されて動いています。しかし、緊張したり、他人の役をやったり、非日常な虚構を演じたときに、そうはなりません。それに対応するには、より強度な心身とともに、さらに精密に細かく心身を認識し動かす必要があります。そこで予め、いろいろと動かしておいて、いつも自ずと自由に動かせられるように準備しておかなくてはならないのです。そこがレッスンとトレーニングのもっとも基礎となるものです。強化は丁寧さのため、それが私なりの、型での注意点です。

全身から学びとる

 自由と言うと勘違いされることもあるので、もう一つわかりやすい例で言います。役者なら、練習で大声で全身で笑うこと、本番ではその眼の動きを知って、無表情でも眼だけで笑えること、これがレッスン=トレーニングと本番の違いになります。日常でできる人もいると思いますが、最初は難しいから全身の動きを使い、腹から大笑いをして身につけます。

 パントマイムは、体をパーツに分解して、それぞれそこだけ動くようにレッスン、トレーニングします。日常でできない動きで芸が支えられる、そこを補うのがレッスンとトレーニングです。だからこそ、客は錯覚するわけでしょう。

ろうそくの火

たかだか、ことばです。しかし、ことばの使い方一つで、トレーナーの熟練度がわかるものです。つまり、感覚や感性の鋭さは、ことばに出るのです。

 例えば、「前に立てたろうそくの火を揺らさず、鼻につけたちり紙を揺らさず響かせる」みたいなのを、理想の型と伝えた人も、そう思った人もいました。共鳴の技としては、ワイングラスを割るようなもので、できる分にはよいでしょう。でも、本来の目的とは、違います。できなくてもあまり問題はないし、まともな一流の歌い手は、ろうそくも消すし、ちり紙も飛ばす、自由なのです。そもそもこれは、呼吸より共鳴の例えとみるべきです。

吸うトレーニング

私は「吸う」トレーニングを原則として行っていません。「吐いたら入る」トレーニングをしています。つまり、鼻も口も耳も眼も開いていて、どこから入ってもよい、自由です、と。ちなみに、横隔膜は吸気筋です。吸うのは、生きために強制的にしぜんになされているのです。吐くのもその点同じですが、せりふや歌に使うから、そこは応用です。当然、生きるところで組み込まれていません。

 口呼吸は健康上も悪者扱いされています。ですから、金科玉条のように鼻呼吸と、トレーナーが言うのは一理あります。それで、その後のケアまで引き受けていたらダメとも申しません。トレーニングですから、本番と異なることでよいのです。

吸うということ☆

呼吸に関して、具体的に3つのアプローチがあります。

1.強化、鍛える。

2.目的や必要度、個人としての差を考え、調整する。

3.一つ手前、基礎の基礎を固める。

そのプロセスでは、どんな方法もありえます。

 そして、ことばの問題が出てきます。

表現からみる

問われるのは表現で、お客さんは、呼吸法を見に来ているのではないということを知っていれば、トレーナーの言うことが絶対ではないとわかります。そしたら、その人なりに解決するはずです。表現が決めていくのです。それゆえ、大きな表現での大きな器づくりを設けるのがレッスンであり、本番よりも強い必要性を満たすのがトレーニングなのです。しかし、一方で、呼吸が表現を決めていくのです。応用と基本の密接な関係がここにあります。

鼻呼吸と姿勢☆

例えば、顔が前に出ていると、首が曲がって鼻呼吸しにくくなります。自ずと口呼吸になってしまいます。そこは本当は、姿勢の問題として直すことです。姿勢の型の問題が呼吸に出ているのに、呼吸で直そうとする人が多いのです。すると、鼻呼吸では苦しくなってしまうのです。

 トレーニングは、鼻呼吸といっても、実際は、自由、口鼻両方使えばよいのです。トレーニングでも、歌や発声のときに口で補ってもよいのです。

個人差

トレーナーの教え方、ことばが間違いとは言えないまでも、無理を引き起こしているのに、トレーナーが気づかない、あるいは、相手に応じてうまく変えていかないと、そのまま、それに囚われたままになります。

 トレーナーには、自身にうまく使えているのに、教えた人には使えないときはよくあります。

これは人によって違うケースに多いです。体も声も一人ひとり違います。そこで、より深い問題を見逃しているときがあります。

ことばと本質

私は、「自分やトレーナーの言うことは信じるな」と言っています。ことばは、状況で変わります。私もいろいろとことばを変えてきました。ことばの限界をことばで述べてきました。理論も考え方もことばの使い方も変わっていくものです。私たちも日々学んでいるのです。だから声をみる、みることができるようになることです。聞くのでなくみるのです。「本質をもみる」みえるようにレッスンしているのです。

 話したことを、まずは素直に受け取って、その後、徹底して自分で追及するようにと、願っています。納得したことだけが身につく、それがレッスンに対して必要な、本当の自主トレの目的です。