昔は、学校の若い先生を町や村の人が、尊敬しつつ育てていったものです。今のようなモンスター・クレーマーはいなかったのです。子供も、誰の子であっても、村や町の子で、天から授かった子だったのです。
鳥羽一郎の「師匠」(「オヤジ」と読むが師匠のこと)という歌では、殴って育ててくれた師への感謝があり、尊敬があります。
「人間はみな同じ人間」とみるのは大切ですが、そのために大切なものがみえなくなっているのは否めません。日本人の旧態で日常的だったものが、今の時代も残っているところに問題が出ているようにも思います。
コミュニティについては、どう判断するのかは難しいことです。誰もが自分の都合のよい方に考えるからです。女人禁制のような域や、宗教の儀式、禁忌なども。クレームとお節介との違い一つでも判断の難しい社会になりました。自分の絶対有利をフェアではないと考え、譲る人がいたから、今の平等があるわけです。