私は、ずっと同じことを述べてきました。手を変え品を変え、今も同じことを述べています。時代や相手が変わったとはいえ、このロスをなくしたいために収録して、いつでも読めるようにしています。
真実を知るのでなく、真実をみる眼を養うために古典、歴史から学びましょう。ずっと続けていると、この分野では、私のも古典になりつつあるのでしょうか。前に出した本を改め続けていくと、初めて出された本より、歴史的に磨かれているでしょう。
いろんな人に振り回されているうちに、本質を見抜く眼が育つならよいのですが、私の経験では、それには、量や時間が必要です。さらにそれだけでは無理です。
量から入って質を得ていく人もいます。たとえば、子供のころの遊びや学習などでは、量でよいのです。しかし、大人になると、その量がとれないから、効率を考えます。ところが多くの場合、そこで理論や知識に振り回されてしまうのです。1回で100のことに気づく人も、100回で1つのことに気づく人もいます。後者は、100回くり返していくうちに10回で1つ気づけるようになります。しかし、100回で1も気づかない人もいます。そういう人が学ぶには、どこかで学び方を知っていく必要があります。そのために学ぶのです。
敵(目的、対象)を知り、我を知ることです。