ヴォイトレは、言われたような声を出すのでなく、自らのなかにそれを感じて取り出すのです。出口をコントロールするのではありません。出口の前で、すでにコントロールされていなくては何ともならないです。
それを司るのは外からの指示でなく、内なる感覚です。
そういう意味で多くのヴォイトレが、「ヴォーカルコントロール」と私が称したように、出口でのコントロールだけを学ぶようになっているのは残念なことです。
その教え方は、言われたように声を出させるのです。それは感じたままに声を出してうまくいかないから一つの手段として、( )に入れてやることなのです。この( )は、やり方も期間も人によってさまざまです。
私が「ヴォイトレの方法論は、机上の空論で考えても無意味」と言うのは、トレーナーの数とレッスンする人の数以上に組み合わせがあるからです。入口としての自覚をもっていればともかく、出口、目的となっていることが、とても浅いのです。