私は、当初、ヴォイトレを行う自分に、3つのことを声に求めました。
1.外国人が聞いても、専門家や一般の人が聞いても、その道のプロとすぐにわかる声
2.何時間も耐えられる声、心身の不調にまったく影響されない声
3.話すように歌になる声。
それが私にとっては求める目標であり、正解であったのです。やってきたことすべてが正しかったとは思いませんが、結果として、出てくる声は、一つです。そのプロセスも半生という大きな時間でみると、一つです。その一つが正しかったとするとすべてが正しくなるのです。
発明家が5000失敗して、その次に発見したら5000の失敗は、失敗でなく成功へのプロセスになります。つまり、実験の5000になるのです。
ですから、私は、声に関しては、内容や方法で論じるようなことを行わず、プロセスに役立つと思われることを出すようにしているのです。
ですから、私やここのトレーナーが否定している方法やメニュがあったとしても、それは間違いでないし、それで教えているトレーナーがいても間違ってはいないのです。そのままで正しいのかというと、どういう人にどう使っているのかによりますが、他の私の方法やメニュと同じく、すべては正しくなりうるということなのです。
残念ながら、この分野に限らず、日本人は皆、学ぶにつれ、目が曇り、間違いや否定的態度で悩みだします。上達したら、その都度行き詰まるのは当然です。これまで超えてきた壁を越えようとせず、手を抜いて頭で解決しようとしてしまうのです。「この方法は正しいですか」「このメニュが役立ちますか」
まったく喉に素人でありながら、感性の鋭い一部の人の方が開かれた眼をもっているといえます。そういう人に聞く方が、次に進めるほどです。