外にある見本によって、自らに内制化できるのかということに入ります。アーティストもトレーナーも、歌や芝居もその一部のフレーズ、トレーニングメニューもすべて、自分自身の外にあることについては同じともいえます。
ヴォイトレとして取り出し、そこにレッスンとして本番ではできないプロセスをおきます。
方法やメニュとして断片的なものを用いるからこそ、うまくもいくし、ややこしくなるのです。トータルではなかなか学べないから、部分での完成度から徹底するということを突きつめます。声で一声、歌で一フレーズをとことんまでやるのです。
ヴォイトレとして、ヴォイストレーナーがやるからこそ、ややこしくなるところがあるのです。そこはきちんと位置づけしておき、あとで挽回しなくてはなりません。そうでなければ、その人の才能を活かせず、混乱、埋没しかねないからです。