人の感情に働くように声が導かれる、するとそれが一つの型となり、馴染むようになってくる。その味わいが細かく分かれて通の人が出てきます。マニアックになると、それについて行けない人は離れていきます。新しい人も入ってこれなくなります。
聴くのがうまい人もいれば、語るのがうまい人も出てきます。ちなみにトレーナーには、聴けることと、語れることの才能も必要です。歌い手は歌えればよいのですが、トレーナーは歌い手に歌ってみせるのでなく、イメージをもたせる ことが、より大切です。そこで、ことばやジェスチャーを使えなくてはなりません。相手が低いレベルならカラオケの先生のように歌って口伝できますが、目的が異なります。
クラシックは、そういうプロセスを体系化しました。例えば、ABAのソナタ形式という型で構造を捉える。しかし、ポピュラーでもAメロ、Bメロ、サビなど、どんなものも型にはまってくるので似たようなものです。
ここで私が聞くのは、型に声をはめるのでなく、声で型になる、そのプロセスを歌い手がとっているかです。体からの息や感覚で型の元にある本質的なもの、人の感情を動かす動かし方になっているかです。