夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

子供の声の日本人

 浅い声の人や弱い声の人は、日本人よりは、外国人に範をとることがよいでしょう。男性だけでありません。むしろ女性の方が、その差は大きいでしょう。文化的背景として、“かわいい”文化の先進国である日本の人は、早く大人になりたいという成熟願望をもつ人の多い海外と、大きくズレているのは言うまでもありません。

レーニングは早く一人前、大人になるための手段なのです。子供でいることを目的にすることは、大きな矛盾でしょう。

 ロシア人やフランス人の深い声とは言わなくても、欧米やアジア、アフリカ、どこの国にも声は範を取れます。エスニックな歌唱、民族音楽だけでなく、日本人の伝統的な声芸にも、たくさんのよい声、深い声があります。

 ここでは、聴衆の好みや歌のジャンル、流行については触れません。人類共通の体としての発声と表現に従いたいと思います。

勘違い

勘違いされやすいのは、体の声とか深い声といいつつ、喉を使い、押しつぶした声です。独力での自主トレでは、ほとんどの人が間違えてしまいます。憧れの人の声から、ハスキーを見本ととらえてしまう人にも多いです。

 とはいえ、これを安易に今のトレーナーは否定しますが、プロセスとしてはすべてがすべて、だめなのではありません。役者(悪役の人に多い)やハスキーな声のポップス歌手には、そういうプロセスのままの声も少なくないのです。ただトレーンングの中心にはお勧めできないということです。

 

 声の調子が少々悪くなったくらいで、喉を潰してもいないのに、大騒ぎするようになったのは、ここ20年くらいのことでしょうか。ヴォイストレーナーがたくさん現れた時期です。歌い手のレベルも下がってしまいました(これはトレーナーのせいでなく、歌い手の安易な目標にトレーナーが応じた、いやそれしか知らないためです。短期でみるのと、長期で育てることの違いがわかっていないのです)。

 とはいえ、これを促したのは、求められる歌の変化が大きかったのです。それと昔のように荒っぽい、大声練習では、通用しない人が多くなったことです。

 もとより大声とレーニングは効率が悪いのですから、効率をよくするトレーニングはよいことです。しかし効率のよい発声が、可能性を大きくする声の出し方なのかというと、そうではありません。

 声の弱い人と強い人がいます。この弱者がヴォイトレの対象になったために、トレーニング全体が、ヤワな方向へ行ったのは否めません。トレーナーについても同じです。タフな声のトレーナーは、本当にいなくなりました。弱い声の人が、弱い声は強くならないと、トレーナーに見切られてきたともいえましょう。

 そういうことが思い当たらないという人は、昔の、声と感覚だけで勝負できていた頃の、歌手や役者の声を聞いてみてください。世界の声、そして浪曲から民謡、詩吟の名人の声を聞いてみてください。耳から目が覚めるのではと思います。

 J-POPS用の声があるのではありません。いろんな声があり、いろんな歌い方があるのです。

息を深くする

 喉を強くするには「声出し」をすればいいのですが、個別に持っている身体が違うので、私は、喉そのものでなくその周辺を変えるイメージをもつようにした上で、息吐きをトレーニングのメインの一つとしています。

 一流の歌い手や役者は、息が聞こえるほど深い声をもっている、それを支える、深い息を持っています。人の心を動かすときに使う声=息=体です。その息からアプローチしてみようと思ったのです。

 彼らをよくみて、共通の体、息、声(の芯)をとらえます。声は個人差があり、わかりにくいのですが、体や息の条件は、私も近づいていくに従って、わかってきました。結果としては全身が響いてくるのです。椅子に座ると、椅子から床まで響きます。

 声の出る体では、息は意識しません。どういう息を吐こうとか、体をどう使おうとか、考えません。ただ、体から声が出るのです。少しの動きが、そのまま100パーセント声になるのです。これが完全な結びつきです。声は背骨から尾てい骨まで響きます。

 目先のレッスンには、そういう根本的改善=鍛錬がないのです。浅い息、浅い響きで、高音をカバーしようというのは、逆だからです。バランスをとるために今の息の力を制限していくのですから。

 「使った分しか声にならないが、使った分だけは確実に声になる」ようにしていくのが、正攻法です。

 常に100パーセントの結びつきで、80パーセントや、50パーセントでは、そうならないのです。120パーセントや200パーセントでもよくありません。

 1の体=1の息=1の声、この結びつきを完全に身につけると、声は体となります。これは、体や息で声を押し出すのとは違います。ことばや歌にしようというのではありません。声を発しようとしたら、もう響きが飛んでいるのです。よくみる発声練習のような、浅いつくり声ではありません。その人の体、喉をふまえた声、その人の性格、生き方、感情を踏まえた個性ある声なのです。ここでは使用目的での色は付けず、ベースとして目指すべき声とします。

結びつきと強化

 ヴォイストレーニングをしていました、という人も多くなりました。なかには留学までして、いろんなメニュや方法を体験していらっしゃる人もいます。しかし、肝心の声はよくなっていないのではないでしょうか。大半の人は発声のしかたを変えて、高めに楽にギアチェンジすることで終わっているからです。それが目標で満足しているからです。

 声=息=体、この結びつきと強化が、本当の意味での、私の考えるヴォイストレーニングです。

 声楽でも1、2年で大して変わるものではありません。ポップスのヴォイトレの数カ月では、調整して確認ができたらよいくらいです。

 それは、レッスンのよし悪しでなくトレーニングとしての絶対量が不足しているのです。そこで期待したり、ガッカリしたりするのは、おかしいのです。噺家の修行さえ、前座、二つ目で、3年、5年とかかります。1、2年での成果は、声でなら、少々優れている人なら、すでに身につけているくらいのものです。

 問題は、声を得るために、その手段を得にいったはずなのに、その実践を伴わせていない。つまり、いつかきちんと自分のものとなるように得てきていないことです。結果として処方や治療のように考え、先のことを忘れてしまっているからです。

 今の声の響きを変化させて、声域を上に(高く浅く)広げるように言われたとします。バッティングでいうと、脱力して楽になったので、当てやすくなったのですが、キチンと芯で打つことができなくなったようなものです。ちなみに、野球は飛ばないボールに変わって、再び、素振りという基礎の大切さが、クローズアップされています。

 声も同じです。マイクで音響がよくなったので、あてることばかり考え、きちんと芯で声を使うことができなくなったのです。初音ミクに歌わせるのですか。体から声を出すことの大切さを見直すことです。息吐き=呼吸のトレーニングの大切さをクローズアップしてください。

お客にならない

 プロは客商売です。彼らにとってはアマチュアの人はお客様で、アンチファンにしておきたくはないのですから、よいことしか言いません。トレーナーも生徒がやめたら困ると思うと褒めることしかしません。こういう構造は知っておくことです。

 厳しいことを言われたら感謝すべきです。学べなくしているのは学べない本人のせいで、学べるようにしているのも本人の力です。

 そこは私もトレーナーも、限度があります。そこをも何とかしたいと思ってアドバイスをし続けています。

 トレーナーも大変だと思いますが、期待してレッスンをしています。どんな人がいらしても、学べるようにしたいと努めています。何事も縁ですから、大縁に育てましょう。お互いに学び合っていきましょう。私がここを続けている理由です。

 

問題にしないで学んでいく

 「問題にするから問題になるだけで、問題にしなければ何の問題もないのに…」と、私が最近よく思うことです。医者やメンタルトレーナーを頼り、一時的な喉のよさを求める人もいます。それは、時間もお金もかけて、なんら変わっていけない状況に自分をおいています。

 トレーニングもトレーナーも、自分に役立つために利用するものです。一流の人は誰からも学び、何でも吸収して、周りの人を活かしていきます。だめな人ほど、誰をも否定し文句だけ言って、周りの人を何ら使えないのです。

 いつの世の中も同じです。私がこうして指摘しても何ら変わりません。厳しく言うと逆恨みを買いかねません。こうして何か言うような手間さえかける人は少ないのです。大きな甘えなのです。無視すればよいことに、応答するのに文句を言うなということです。

発声だけでみないこと

 表現のための発声ですから、発声の理想から外れても、表現を優先させる判断力をもつことです。その優先順位をヴォイトレマニア、人が表現する場にいない人や、浅い経験しかない人、表現してこなかった人は、とれません。

 私は歌を聞くときは発声でなく、歌をみます。喉声であろうと、心を動かされる表現をとれます。これはヴォイトレに毒されていなければ、誰でもわかるのですが、ヴォイトレが10割のつもりでやっているとわかりません。よい表現が出ても、「発声が違う」と否定します。発声がわからないときに、確認を求めたがるのです。これは目的をはきちがえています。マンガのようですが、よく目にします。

 若い時期やヴォイトレを始めてから、一時期は、そういうことは起こりやすいものです。いずれ、そこから出られたら、問題はありません。でも、そういうヴォイトレ信者になってしまったら、もったいないことです。マニアックに権威者の元を回り、発声だけの確認を得て、満足するタイプは増えているようです。

 

発声でみせない

 「トレーナーは黒子で、相手が学んで、自立していけるようにする」ことを本意とする私をカリスマ化するのは、困ったことです。その人自身の考え方や精神だけが、将来、未来を切り拓いていくのです。

私は声を材料にして、伝えるのに尽力しています。こうして、伝えたいことを補っているのです。

 自分の成長を自ら、阻害する考えを持ち、そういう言動を行う人がいるのは、残念なことです。そういう人は、人を妬み、僻み、落とし込むことに情熱をかけるのです。前向きに生きていたら、自分のことで精一杯で、他人をどうこう言う時間はありません。私とて、このようなことを述べるようになったのは、一段階引いてからのことです。

 

現実対応のトレーニング

 自分のヴォイトレの声を聞いてください。いや自分の声だからわからないなら、一流のプロの歌でなく、声を聞いてみてください。「ここがポイント、ヴォイストレーニング」にも述べました。

 そういうことを目指している人にも、否定する人がいます。しかし、よほど勘の鈍い人以外は、喉を壊していないはずです。合わなければやめればいいというのは、責任逃れなので言いません。研究所はⅠとⅢの間にⅡをおいています。

つまり、他のヴォイトレやヴォイストレーナーが行うことのほとんどもまた、研究所の中で共存し併行させています。どれがよいかではないのですが、共に研究すべき課題だからです。

 

 どのトレーナーも自分のやり方に自信を持ち、こだわっています。すると、他のトレーナーの方法におのずと否定的になります。私も最初、始めたときはそうでした。肯定できないから研究しだしたのです。結果は、いらっしゃる人の欲するものが手に入るかどうかです。それ以上に持論を押しつけません。

 音大受験でも、ミュージカルのオーディションでも、パスすることが目的なら、そこにレッスンをシフトして、対応しています。

 トレーニングにあまり色がつくのはよくないことです。全ては本人のものとして、成果が出なくてはならないのです。そうでないトレーニング、特に歌や発声にトレーナーの形が、そのまま出ているものはよくないといえるのです。

目的のためのプロセス

 Ⅰ、Ⅱ、Ⅲのレベルでの、それぞれの目的とプロセスを、よく考えてください。Ⅱ、Ⅲが、Ⅰの下積みになっているのです。

 Ⅰのトレーナーが、成果をすぐに上げられるように思うのは、誤解です。そこで上がったくらいの効果では、どこにも通用しないです。5年もみたら、わかります。一からやり直しするために、こういうところにいらっしゃるからです。

 

 日常性のところで通用しなかったのに、やり方を少し変えてみてよくなったと思う、そう思わせるトレーナーや整体のようなことに依存してしまう。となると、声の調子は、よくても本番の舞台には通用しないでしょう。それを自分の素質とか才能のせいにしてあきらめてしまうことになるのです。

 それをメニュや方法のせいにしないようにしてください。メニュや方法が悪いのでなく、おおよそは、あなたのスタンスの問題なのです。日常のベターを取り出すこと、使い方のよさでバランスを取ることが最終目的では、そこで上達が止まって当たり前なのです。

 

 私がⅢのレベルで課しているのは最悪のコンデションでもプロを凌ぐレベルです。こうなると、一声で違うのです。

 ですから、私は、最初から、あなたのめざすレベルの声、ヴォイトレやトレーナーが引き出すことができ、目的とした声が出たところで、どの程度、通用するかを考えることから、始めるように言っています。声域が曲をカバーできても、どうしようもないでしょう。

ヴォイトレのリスク

もし私の本を読んで、声を出して壊したり、つぶしたりしたり、前より悪くなったという人がいるのなら、次のことが考えられます。

  1. 無理に大きな声を出す。
  2. 無理に高い声(で、大きな声)を出す(私のメニュにはありません)。

3.ほとんど休みを入れずに続けてやる。

  1. 声を喉で出している

私の本やレッスンの主旨とは違うことです。

 喉さえ壊さないのであれば、体や息、喉頭や呼吸に関わる筋肉のために、一時、若干、ハードに使うことは悪いことではありません。

 ヴォイトレがあろうとなかろうと、役者なら、舞台で大きな声を出すのです。雑に急すぎるからよくないのです。トレーニングも同じです。感性が鈍くならないことです。

レーニングの目的と、メニュでやっていることとの位置づけを、しっかりとふまえて行うことが前提です。

 こういう注意は、マラソンのためのランニングをする人に、「時間をチェックして」「信号や車に気を付けて」と言うことに近いでしょう。

 声を出すことは、新しいことでも、危険なことでもありません。声をうまく出す、つくらないで自然に出す、よくするためにすることです。それを歪ませたり、潰したりする方向へ近づけていくのは変でしょう。

 素人や初心者だからわからない、という高いレベルの方法やメニュではないのです。

 もしそうなら、ハイトーンで、複雑なメニュをやることの方が、ずっとリスクは高いでしょう(私の基本メニュには入っていません)。

 そういうメニュを使うと、メロディやリズムを正しくとることで目一杯で、声をしっかり出そうとできないのです。その結果、喉を疲れさせてしまうのでしょう。

声域と音色

 この頃は、多くの人が声域を優先します。私は、音色を優先しますから大きく異なります。以前は、声量と共鳴の延長上に音色をおいていました。どちらがよいとか、正しい間違いの問題ではないのです。いろんな考えがあってよいのですが、声の質感こそ、忘れてはいけないことです。

 

 役者や外国人の日常の声のレベルに接して、その差をふまえた上でギャップを克服し、歌唱へ入るのがブレスヴォイストレーニングのプロセスです。

 日常の声のレベル、たとえば、思いっきり「アー」と出した声ですでに生じるギャップを埋めていくことを中心にします。だからこそ、役者も、他の分野の人も、早くからいらしたのです。

 

 伝えることの限界として、高い声は応用ですから、相手をよくみなくては、かなりリスクの高いトレーニングとなります。これは現場のトレーニングで対応することです。