ヴォイストレーナーの選び方[アーカイブ版]

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に  バックナンバーは「夢実現・目的達成のための考え方と心身のトレーニング」をご覧ください http://bvt.txt-nifty.com/trainersen/

姿形の制限と音声の成立

日本人は、音声よりも形、耳よりも目を重んじてきました。声も話も歌も、ヴォイトレも、フィルターをかけてゆがませているというのが、私の持論です。

私は、研究所を、「音声、表現、(生)舞台での基本」を学ぶところとしました。目をつぶって聞こえてくる世界で、基準を確立しようとしたのです。日本のほとんどの分野がヴィジュアル中心になっていくことへのアンチテーゼ

です。

 詩吟、邦楽、歌舞伎、噺家の指導をしてきた私も、能と関わったときは、ためらいました。目をつぶって聞こえてくる音、声の世界での成立の基準のとりにくさでした。生の舞台や舞台裏をみたあとも、狂言はわかりやすいのですが、能は、衣装や舞とヴィジュアルあっての音声で、様式美中心です。型のなかに声を入れていくことで、音声の可能性は閉ざされているのかもしれません。節回し(音程、リズム)や声のトーンには、流派によって多様な価値観があり、音声を切って離せないでしょう。

 私は能のCD(音声世界)というのは、成立するのかというと疑問を持たざるをえないのです。詩吟、長唄はそれが主です。落語や狂言では、音声だけにすると見る面白さが失われるとはいえ、名人級であれば成立するでしょう。

 一流の音声を学ぶのなら、声楽家やオペラだけとはいいません。自らの体を中心に最高の音声(表現)を追求すべきです。そのときに形、姿勢や表情、ことばや発音をしないのです。これが私の考える声、発声の基本であり、ヴォイトレです。

 それに対して、一流に見せようと早く上げるなら、制限された型のなかでの使い方、体、声、歌を覚えて、コントロール、調整していけばよいのです。

 師をまねて守破離の手順を踏む日本の伝統芸では、時代を経るにつれ、守で終わってしまいがちです。伝承に傾いているからです。某歌劇団や某劇団から、二世三世ではありませんが、トップスターを真似て、早く途中まで育った挙句、そこに達しなかった人を山というほどみてきて、そう考えるのです。