2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧
姿勢はスタンス、生きる姿勢となります。他人とふれあい、存在の在り方を問うのです。 サングラスとマスクをかけてでもよいですから、人を直視するところから始めましょう。 人は、それぞれ独自の性格、人となりをもちます。その性格は、体と声に現れるので…
キャラというのは、反応パターンにすぎません。 本当の自分ではないもの、いい顔をするためにつくったり、用意したりします。 自分であるという自覚を、必ずしも持てないから、キャラなのです。
身ぶり、表情、声のトーンの方に集中してみることです。 みえる、わかる、共振するといった生々しい直の体験をしましょう。
「手を出す」は、意識的です。しかし、「手が出る」は、体と一体化しています。 「目がいく」「気がつく」「腹が立つ」、これらは、体がそうするのです。 その分、しぜんでパワフルになり、表現しなくても伝わるのです。
あえて、声にする、歌にするとき、アートになるのであれば、そのとき、体と結合されているのです。 ことばを生むには、それを探す努力がいります。 しかし、声はどのようにでも出てしまうだけに難しいのです。
身ぶりと声について、考えてみましょう。 声、吐息、うめき、叫びを出してみます。 声をのむ、息が止まる、そのようにします。 「喉から手が出る」を感じてみましょう。
ことばは、まずは、話すことばであり、語りかけることばです。 歌詞からことばを感じ取って、手ぶり、身ぶりで表現してみましょう。 はずみと高まりで声が出て、フレーズとなり、リズムとなり、歌となります。
ことばだけなら感情によって声が変わっていくのに、歌うと歌声で一本化してしまう人が多いです。 声のよい人や歌のうまい人は、皆、歌っているつもりで歌わされてしまっているのです。 歌声にしてしまうからです。
杜甫、李白、阿倍仲麻呂など、 かつて、世界中の詩人たちは、 自分自身の声でうたいかけていました。
演劇や朗読は、情感、衝動に身を任せていく装置として使えます。 はずむ息で感情を出し切るのです。 そうして声を通じて見知らぬ自分と出会っていくのです。 ヴォイトレでの研修依頼では、最初は「滑舌や語尾まで明瞭に」といった要望から始まることが多いで…
口先の声は、今のAIの音声と同じです。それには、体、肉体が感じられません。腹にひびき、心にひびき合う声ではありません。 簡単な改良法としては、高音を使わず声を低くすることです。それを続けると豊かな声になる人もいます。
声もボールのようにみてください。 壁に当たったり、跳ね返ったりするように、です。 声の重さを感じ、声をつかみ、投げると、体も砲台のように抵抗を受け、反応します。 反発クッションのように動くのです。
声が届くには、声に触れるための重さや熱さ、つまり、重量感と熱がいるのです。 それがないと、直に、生に、ストレートに伝わりません。 上司や教師などが「聞いているのか」 という前に、その声は 「聞こえていない、届いていない」 のではないでしょうか。…
総じて、今の教師は、たっぷりした豊かな声の人が少なくなったように思います。冷たく硬く、かすれた声が多いようです。 女性では、細い声、胸と喉を絞めつけた声、胸を吊り上げて固めた声も目立ちます。それは、昔はソプラノで、かん高くきれいと言われてき…
のみこめない、こなせないとは、ものごとの理解のことを体のことばで表しています。 腹が立ち、煮えくり返り、胸に突き上げ、熱く疼いて、むかつき、血が昇り、頭にくるのです。
顎が出て、胸が落ち込み、腰が前に張り出ている子どもが増えました。 それが左右に傾くと側弯症になることもあるので,、注意です。
人への対応が変わり、生き方が変わり、そして、姿勢が変わるのです。 それは、守っている何かを捨てることから生じることでもあるでしょう。
姿勢は、仕事によって違ってきます。職業にもよります。 知識人、学者、インテリは、おでこの内に集中します。 経営者、オーナー、商店などの主人などは、人を動かすので、もう少し身が入ります。すると、背中から動くのです。 外から姿勢で正すのではなく、…
四つん這いで、動物のように動いてみましょう。 たしか、手足4本での走法で世界記録に挑む選手がいて、ギネスでしか記録になりませんが、100メートルも相当速かったです。4つの足と言っても、交互に地を蹴るので地に着くのは2本か3本ですね。 それなら、人間…
立つということに、じっくりと向き合います。 上体を前に傾けて、重心を膝から足の裏へ移します。地の反作用で、膝、腰と伸ばして、斜め上方向に向けて立ち上がるわけです。 地から立ち上がる、自立するのです。そして、その喜びで跳ねる、ジャンプするので…
体には重さがあるというのを発見してください。 たとえば、体の重さは、心と体の緊張がとれたときに感じられます。 腰が抜ける体験、ほっとしたとき、驚いたときを思い出してください。 TVのバラエティで、出演者が驚いたとき、憧れの人に会えて感動したとき…
わらべ歌の歌唱など、子供の歌は、きれいに上手に歌うようにしてしまいがちです。 メロディに声の音高だけ、正しくのっけているような歌が多いのです。 正しく声を出せば、ことばとなり、歌となり、通じるのではないのです。 体の内から心から声を発すること…
自分の体を客体ではなく、主体として捉えることを試みます。 ことばで動かされるのではなく、自らの感じることで動くのです。 つまり、反応して行動する。するとそれが表現のきっかけとなります。
予言者、演説家、カリスマ、巫女、芸人の出したものは、リアルな瞬間を生きる、突きつけるのです。多くの物語が口承されています。 稗田阿礼、琵琶法師、吟遊詩人、瞽女、香具師の口上など、学んでみてください。
冒険は、未知への探検です。未経験なことを味わうことに人は憧れます。 それをうまく行おうとか、正しくしようとなると、学びごとです。 それよりは、なんとはなしにわかって、腑に落ちていくことが重要なことです。 論破したり証明したところで、わかること…
同じ言葉をくり返すと、「またか」と思われるのは、知識、情報だからです。 もう聞いたこと、知ったことは、ニュースにはなりません。 そのくり返しは効率的でないし、時間の無駄と思われます。 しかし、芸事、たとえば落語や歌は、そこから始まるのです。 …
挨拶のことばのように深い意味のないことばのやりとりは、声のやりとりです。 それは、体のやり取りとなるのです。だからこそ大切です。 同じことばをくり返すのは、情報としての意味の伝達はなくなります。 そこからコミュニケーションが始まるともいえます…
多くの場合、話していても、他の人のわからないところ、わからなさを切り捨てて理解しているつもりになっているだけです。 思いは、ことばの意味としては限定されてしまいます。そこからは溢れてしまった何かをとらえていくことが大切なのです。
知識や情報として、知らない話を聞いて学ぶのではありません。 体験としてわからない話を聞くときこそが重要です。 体で相手をすることになると、それだけ真剣で逃げ場がなくなるからです。 思いをくむには、体を受け止めることで必要なのです。
声では、音色、強弱、高低、間、ブレスなどが表れます。 声をとり巻く相手の感じ、熱、雰囲気、意思の強さが受けとれます。 その人の普段の振る舞いと別の顔、所作、闇、醜悪さのようなものもあります。 それも認めていくのです。