私は勘のよい人には、かなりの部分を本人の判断に任せています。できるだけ口を出さずに、材料だけを与えます。その与え方に工夫をします。環境を与えるのは、本人の資質を尊重してのことです。
当初は研究所もそのような人しかいない環境でしたから、私は場を高次に整えていればよかったのです。
「何も教えてくれない」などと言うのは、勘のよくない人で、そのまま放任しているとクレーマーになりかねません。「教えてくれる」「教えてもらう」ことで、どれだけ勘を鈍くしているかを、ときには考えてみることです。
まずは、自分に、その内面に、目を向けなくてはいけないのです。このことがわからず、「青い鳥症候群」の人が多いのです。「どこかに絶対的に正しい方法、よい方法、正しいレッスン、よいレッスン、正しい先生、よい先生がいる」と思って、探し求めてばかりいるのです。
レッスンはそういう思い込みに拍車をかけるのでなく、それをストップさせるためにあると思います。「正しい」とか「よい」とは何か。そんなものがあるのかどうか、疑問や否定を通じて、自らに問い続けていくようにしましょう。
でも今は、優しい先生が優しく教えることを求められるため、その期待に添うようにがんばるほど、本質からそれてしまうのです。厳しい場を求めてください。