私が応用という目的を念頭においているのは、結果がでなければ失敗、それをきちんと踏まえてフィードバックして、常によりよく、プログラムを改善していこうとしてきたからです。
試合のないフィールドでいくら練習しても、自己満足だけになりかねないからです。と言うまでもなく、もともと最初から過大なる結果が問われるところでの、ヴォイトレばかりしてきたからです。あらゆるところに生の現場がありました。ヴォーカルスクールなら、それは発表会ですが、私の相手は一度きりの大舞台、あるいは、連日の公演などへの対応です。
そこで全て成功などということは言いませんし、ありえません。ステージでは一度もミスはなく、完璧だったという人もいるかもしれませんが、私の立場上、そんな仕事は、さほどありません。プロでくるのは、調子を崩した人以外は、完璧主義者でまわりがOKでも自分が許さないという厳しい基準を持った人だからです。
声を応用で厳しく、基礎で厳しくみているヴォイトレというのは、他にはあまりないと自負しているのです。
私からみると、誰もに通じて誰もがよくなるヴォイトレは、トレーナーでなくとも、誰でもできるレベルのことで言っているとしか思えません。医者もお手上げのケースでも、何とかしなくてはいけない、でもうまくできない、そういう難しいケースに直面したことのない人ではないでしょうか。