「強い声」「大きな声」を出すようにというと誤解されて、力ずくの危ない練習を導きかねません。私はレッスンでは「深い声」と言っています。「共鳴する声」―「深い声」―「深い息」―「深い体」、深いというのは、「腹の底からの声」と捉えてください。女性なら「胸の声」あたりです。それをトレーニング、強化しつつ、その結びつきを付けていくのです。
ヴォイトレで「強化」や「負荷」「抵抗」ということばは、あまり使われません。使ってきたのは私くらいでしょうか。
素振りをするのは、バットのコントロールとともに、全身の感覚と、体の動き、イメージをきちんと結びつけるためです。同時に体のそれぞれの筋トレにもなっています。
かつては、「素振りをたくさんしても球は当たらない」、というような批判がありました。それは、すぐに球に当てるのではなく、いつかヒット以上の打球を打つためのトレーニングです。球を当てるなら、腕だけでバットを動かす方が簡単です、素人でもできます。それでは、試合では意味がないから、今、必要でなくても、いつかのためのトレーニングをするのです。
思えば、昔もそういう理屈っぽい輩に、「ボール球でも、何でもバットに当てるスイングでなく、ど真ん中にきたのを確実にホームランにするためのフォームづくり」というような例えで述べていました。ここでいう球を当てる―飛ばすは、ヴォイトレでは、声の芯を捉える―共鳴する、のような位置づけです。
目的のとり方が大切なのです。そこからの必要性がトレーニングの質を決めるからです。状態の調整と、条件の獲得が違うことを述べてきました。
トレーニングという、質を変えるために行うことが、論議も実践もされていないのは残念なことです。育てることについては以前よりも、はるかに浅はかな状況になりつつあります。感覚が鈍ってきたのでしょうか。
古今東西、世界の一流アーティストを、こんなに手軽に身近に、たくさん聞ける環境があるのにもったいないことです。感覚がなくては、どこに学びに行っても身につきません。