夢実現・目標達成のための考え方と心身声のトレーニング(旧:ヴォイストレーナーの選び方)

声、発声、聞くこと、ヴォイストレーニングに関心のある人に( 1本版は、https://infobvt.wordpress.com/ をご利用ください。)

創造すること

情報を、どのように整理し、組み合わせて使うのかを学ぶことです。選ぶとか正誤を判断するというのではなく、自ら創ること、それに役立つものを引き出すと考えます。選ぶのでなく、少しでもヒントになるなら、そこからつくりあげるのです。その努力を惜しんでは創造できません。まさに私がここで回答をしているのと同じです。

 「合わない」「間違った」とネガティブに捉えてフィードバックするのではありません。行動していくのにポジティブに情報を使っていくのです。現実の世の中を切り拓いていくのです。

 しかし、日本人には、ポジティブに世界へ出ようというエネルギーが減じてきているのではないでしょうか。出れば打たれるのはあたりまえ、無理するから失敗もするし、間違いも起こします。でも無理しなければ、高いところを学べないのです。

 これを読む人も、これを活かそうとするのでなく、自分の頭で白黒をつけようとしてどうなるのでしょう。私のファン(アンチも含めて)でいたいのでしょうか。

 物事はスタンスによって、よい方にも悪い方にもみえます。生涯かけてやっていくことに、あるいは、そこまでかけなくても、ネガティブにみることに何の意味があるのでしょう。自分自身が、否定でなく肯定して行動することです。

創造すること

情報を、どのように整理し、組み合わせて使うのかを学ぶことです。選ぶとか正誤を判断するというのではなく、自ら創ること、それに役立つものを引き出すと考えます。選ぶのでなく、少しでもヒントになるなら、そこからつくりあげるのです。その努力を惜しんでは創造できません。まさに私がここで回答をしているのと同じです。

 「合わない」「間違った」とネガティブに捉えてフィードバックするのではありません。行動していくのにポジティブに情報を使っていくのです。現実の世の中を切り拓いていくのです。

 しかし、日本人には、ポジティブに世界へ出ようというエネルギーが減じてきているのではないでしょうか。出れば打たれるのはあたりまえ、無理するから失敗もするし、間違いも起こします。でも無理しなければ、高いところを学べないのです。

 これを読む人も、これを活かそうとするのでなく、自分の頭で白黒をつけようとしてどうなるのでしょう。私のファン(アンチも含めて)でいたいのでしょうか。

 物事はスタンスによって、よい方にも悪い方にもみえます。生涯かけてやっていくことに、あるいは、そこまでかけなくても、ネガティブにみることに何の意味があるのでしょう。自分自身が、否定でなく肯定して行動することです。

アーティストに向けて

日本人というのは、まじめで受容能力が高く、いろんな情報から選ぶ能力は長けています。それゆえ、海外に追い付け追い越せの時代には有利でした。ネットの時代ですから、料理をつくるのに、早く安く、それなりにおいしくするのにレシピを利用するというなら、それでよいでしょう。どれが今日の自分の状況に一番よいかを選べばよいのです。

 しかし、私の接しているアーティストには、そんな一般的な正解は不要です。まったく役立たないからです。これからの世界をつくっていくのですから、Wikipediaの情報や知識などは使えません。主体的に創っていくのに必要なものを、ここから取り出せるようにしているのです。

一つは、直感的な力です。料理なら味覚です。私もそれに対応できる回答、いやヒントを出すようにしています。その一部をここに公開しているわけです。

動画とことば

動画の教材も多くなりました。ことばで伝える何百倍の情報が、動画では、声や歌でも数秒で伝えられます。ことばよりも動画はわかりやすいため、よく伝わるように思えます。その反面、間違いやすいことも助長されます。

 動画だけでヴォイトレがうまくなるなら、現実のステージを見て、まねているのでも、皆、うまくなるはずです。それは理想です。それでうまくなったところで、足らないからヴォイトレがあるのです。必要に応じて、レッスンのことばがあるのです。

 こういう分野は、文字でなく音声や動画をもっと使うことだと思うこともあります。音声検索ができるようになれば、もう少し、動画を使いやすくなると思います。

今しばらくは、使いたいところだけ選んで学ぶには、文字が100年の長があります。それをきちんと踏まえて動画版をつくるのなら効果的でしょう。ストレートな分、メリットもデメリットもより大きくなるということです。具体化されるために、イメージ、想像力の働く余地がなくなりかねないのです。音声より画像に気をとられるでしょう。音声ならTVよりラジオで学ぶ方がよいと思いませんか。

一般論でなく各論

声楽家は、発声を他人に習うことの必要性を知っています。オペラという舞台が日本人の日常とはかけ離れたところにあるからです。その点は、クラシックバレエにも似ています。(なのに、なぜバレエの方は、日本人も世界レベルに達する人が出るのかということです)習ったからといって一流になれないのは、なぜでしょうか。他のトレーナーのレッスンを受けている人や、一人でトレーニングをしている人を批判しているわけではありません。すべての方法や考え方は、対立したりどちらかを選ぶものでなく、欠点を自覚し、相補充して、うまく活かせたらよいからです。

 この分野は、未熟なせいで、正しいか間違いかでしか考えない人が多いのです(トレーナーや先生方もそういうレベルに安んじているのです)。一般論でなく各論、自分にとって、今よりよくなるかどうかだけを考えればよいのです。☆

 今の自分を絶対視せず、正しいと思っても、常に学ぶことを怠ってはなりません。天才であって、これまですべてが正しかったとしても、教えることまで正しいとはなりません。言動の記録はその一助になります。記録をみて、すべての内容を捉えられるのではありませんが、同じミスを防ぐことができます。

総括し比較し気づける場に

会報には、よくある質問に、私が一人でなく、何人ものトレーナーの答えを一緒に載せています。過保護かもしれませんが、いろんな答え、というよりは、いろんな意見や見解があることを知って欲しいからです。いろんな状況もあり、いろんな人もいて、それぞれに異なるということです。客観的にしているのです。

 多くのトレーナーはそれぞれに、それぞれの立場で自分の考えに基づいてレッスンを行っています。ですから、トレーナーは、自分が正しいと信じているものです。自分だけが正しいと信じているような人に教えられるのは、入口の周辺です。

 昔の私もそうでしたから、わかります。いつも、誰にも、どんなことにも正しいことなどはありえません。正しいということ自体が絶対的なものでなく、相対的なものです。常に、目的や時期によって、その人にとって、より正しいトレーナーは世界のどこかにいると思うべきです。

 それまでは、トレーナーと客観視して使える環境をつくりましょう。それぞれのトレーナーの正しさを信じつつ進めていきます。厳しくなるほどに、絶対的に正しいことなどは一つもないことがわかるのです。

 この分野は、どの生徒にも自分のやり方を、よしあしはともかく、工夫もせず行っているケースが多いと思うのです。ましてや、レッスンにも通わず一人で練習している人の思い込みやトレーニングの非効率なところは本人にはわかりようもありません。

要は使いよう

一人で、黙々とやっていくと、人は考え悩みます。いろんなイメージが思い浮かびます。ほとんどは雑念です。それを切るには、何も考えないことです。でも、そんなことはできないなら考え尽くす、ことばから離れるために、ことばをありったけ使い尽くすというのです。公案問答のようなものです。

 習い事を、真っ白の心で始めて、そのまま無心で身についていくなら理想的です。ですが、本気でやろうとするなら、そういう人はほとんどいません。

 一流になる人は、誰よりも一流の人の演奏を聞き、本も読んでいるものです。それは、芸事でも同じでしょう。より新しく、より高く、より深く、物事を極めていくのに、どうして過去の偉業や他の分野の一流の人から学ばないことがあるでしょうか。

 理想というよりは、ことばは必要悪なのです。「ことばは、不要」というのは、「歌なら歌っていればよくなる。声は出していればよくなる。レッスンはいらない」と思って伸びない人の考え方です。そこでうまくいくならよい、いかなければレッスンにいけばよいのです。本や会報も同じです。使えると思えば使えばよいし、使えないうちは使えないのです。いつか活かせるように待てばよいのです。

 「方法やメニュを使うと悪い方にいく」というのは、「声楽を学べばポップスが個性的でなくなる」というくらいに安易な考えです。ポップスを聴かず、自分の表現も追及せず、声楽で言われるままにしか声を出していなければ、そうなるでしょう。それしかしていないのがおかしいのです。自分のしたことしか出てこないのはあたりまえです。

 本や会報やQ&Aを、いくら読んだところで、声も歌も身につくわけがありません。日本人は、検定クイズのようなものが好きなので、ハマってしまう人もいるでしょう。それを戒めるなら、「ことばは、不要」といえます。

 

インデックスとしてのことば

ことばはインデックスになるということです。イメージは、なかなか捉えられないし、まして人に伝えられません。私たちは、絵でも、ボディランゲージでも、何かに例えて説明せざるをえません。トレーニングの意図やレッスンのあり方についても伝えるのは難しいものです。

声だけでみせたところで、すぐにそのままできるような人などはいません。まして、声は、まねたらよいのではないのです。

 レッスンは、ことばで伝わるのというのではなく「実習あってのことば」です。ことばはないよりもあった方がよいでしょう。声のイメージを伝えて共有していくためです。

 それらは、私の考えよりは、いらっしゃる人の要望です。私は、しばしば、ことばの使い過ぎや説明を抑えます。そうするよう、トレーナーにも注意しています。

第三者へのことばの力

三者、直接に関わっていない人が読んだらどうかということです。これを否定してしまえば、スポーツ、武道、芸術、医学なども、伝わらないから、言語化して残すな、伝えるなということになりかねません。どんな書物であっても心身に関しての処方の記述に完全なものはありません。どの人が使っても、必ず一定の効果が現れるというものはありません。

 一方で、トレーナーが面倒だから、ことばにしたくないという怠惰さは忌むべきことです。ことばに残す努力をして一流になった人が、芸術家やアスリートには少なくありません。

 私は、この分野の多くの情報に接して、多くのことを発信してきました。そして、私の本やホームページを読んでいらした人のトレーニングをみてきました。

それだけに、いかに情報がいい加減に伝わり、使えないもの、誤解、誤用を防げないものかを知っています。読み手と書き手の両方の立場から知っています。実際に、そういう体験もしてきたからです。それでも、ことばの力を信じるのは、大きな効用があるからです。

言語化の必要性

ヴォイトレは、声を身につけていくトレーニングです。しかし、ことばや文章化することを頭から否定するのは関心しません。それには、いくつもの理由があります。

 まず、第一は、生徒さんとトレーナー自身の勉強と研究のためです。他のトレーナーの状況や方法、そこで述べていることを読んだら、もっと学べるようになります。すでに同じようなケースを自ら体験したり、人に教えて同じ状況に面したトレーナーたちのことばです。

 状況に応じて一つの答えというのがあるというのなら、トレーナーの答えは同じになるはずです。そこは、千差万別です。違う見解や他の対処方法もあります。ことばや音声として記録していかないと比較、検討や検証はできません。

 第二に、トレーナーの指導の技術として、声に対する処方とともに、的確なことばを使うことも学ばなくてはいけないということです。レッスン中にも、それ以外でも、ことばで伝えることは必要となるでしょう。ことばやその使い方を学ぶことは、トレーナーとしても必修です。ことば一つの使い方で、生徒がよく理解できるし間違いを回避できるからです。

ヴォキャブラリーが豊富で、イメージや例えをわかりやすくできると、生徒はよりよく学べます。これは長くトレーナーを経験したらわかることです。ここのトレーナーも、私や他のトレーナーのことばやことばの使い方を学んでいます。

 実際に教えられた生徒にとって、トレーナーのことばの記録は、将来に必ず役立ちます。トレーナーの他人へのアドバイスを見たり読むのも役立ちます。会報やブログはそのために出しています。トレーナーの他の生徒へアドバイスしていることばを知り、その言動をみると、より早く深く理解することができるようになるからです。

 個人差が大きいとはいえ、そういう状況を明らかにする方が、方法やメニュが合うとか合わないとかを考えるよりも先です。自分にはうまくいっていないレッスン(方法やメニュ)で大きな効果を上げている人のことを知る、いろいろと参考になります。そこから、自分に足らないものの存在に気づき、大きく伸びるきっかけとなるからです。

 ことばや情報の理解のためにも、自分がことばにする、自ら情報を発信することは欠かせないことです。それは、世の中で実践していく力にもなります。

セカンドオピニオンのすすめ

私の場合は、研究所内のトレーナーでよく知っているケース、外のトレーナーで、ある程度知っているとか面識があるケース、そこから生徒が何名かきていて知っているケース、私のところのトレーナーがよく知っているケース、誰もまったく知らないケースなどがあります。

ただ、多くの生徒さんのいるところからは、必ず何名かはいらしているので、だんだん事情もわかってきます。すると、最初は分からないことがあっても、少しずつ、なぜそう教えているのかもみえてきます。その方向性、可能性や限界も学ばせてもらっているのでウエルカムです。

 日本で30年近く第一線でやってきたのですから、どこよりもその事情には通じていると思います。是非、ここをセカンドオピニオンとしてご利用ください。

 

セカンドオピニオンの役割

私は、研究所の内外問わず、他のトレーナーのレッスンのことをよく聞かれます。本を出しているから、国内は遠方からも、海外からも疑問をいただきます(訳書もあるし、日本の書籍も売られているからでしょう)。

 原則としては、そのトレーナー本人に聞くように促します。その上で、アドバイスを必要とするなら、セカンドオピニオンとして、見解を述べます。セカンドオピニオンとは、担当のトレーナーを否定、批判するのではなく、その説明を補足する役割です。担当のトレーナーの話が信用ならないから聞きにいくのではありません。ですから、まったく反対の見解であったとしても、それを担当のトレーナーにも伝えてもらい、担当のトレーナーとよりよい解決を図るために利用するとよいのです。

 担当トレーナーを変えるのではありません。一見したくらいで、長くみているトレーナーとの間に立ち入るべきではありません。それでは、セカンドオピニオンでなく、次のトレーナーになってしまいます。ですから、他のトレーナーのやり方で相談にいらした人に、そこをやめるようなことは決して勧めません。だから皆、安心していらっしゃいます。