型に入れて伸びるのは、その型から逃れられない状況におかれてのことです。型はプレッシャーとなり、他へ逃げる言い訳になります。逃げられなかった型で育った人が見逃してしまう点です。ですから、他の師匠についた弟子はとらないのです。忠義を立てるのでなく、芸の型を叩き込むという教育のシステムと思います。
でも、今や、無人島に二人ででも行かなければ、型にはめることもできないでしょう。
自由な状況ゆえに、その自由がみえない、自由が使えないのです。自ら不自由にしてしまうのは、自由を縛るものが時代や人など体制として固定しているのでなく、みえない、曖昧なものだからです。だからこそぶつけてつかむ場がいるのです。