師は弟子がわかるものですが、弟子もまた、師を読めるようになって初めて、師を超えられる可能性をもつのです。こうした以心伝心は、日本人に限ったことではありません。古今東西、偉大なことを成し遂げた人たちの間ではあたりまえのことです。
そこでは、あたりまえでないことがあたりまえになるプロセスをどうとるかです。
よい師は、自分を学ばせるのでなく、自分の背景を学ばせる。自分のようにするのでなく、自分を超えることを学ばせようとします。そうした指導者は、ほとんどいません。学ぶ人が先生を選んだり判断するようになって急に衰えました。そうすると、自分が理解できる人しか選べないからです。